アジア経済
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書評
書評:李恩民著『中国華北農民の生活誌』
御茶の水書房 2019年 184ページ
石井 弓
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2021 年 62 巻 4 号 p. 117-121

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Ⅰ はじめに

中国は,都市と農村の異なる2つの社会の連環によって成り立ってきた。農民反乱による混乱をともなった王朝交代はもちろん,安定期にも農村・都市間の人口移動が士大夫たちにとって社会秩序をめぐる課題として常に認識されてきた[岸本 2012]。1949年以降,都市戸籍と農村戸籍を区別した中華人民共和国期においても,実際には時々の労働受容に応じて,農村からの人口流入を許容したり,都市から締め出したりと政策が揺れ動いてきた[上原 2009]。また,市場経済化が進んだ1990年代以降,農民工の都市への流入が社会問題となったことも記憶に新しい。中国の過去・現在を理解し,未来を見通すうえで,都市だけでなく農村について知ることは不可欠である。しかし,現在の日本において中国農村の現状が十分に伝えられているとは言い難い。農村が刻々と変化するなかで,農民たちが自らその状況を語ることはなく,保守的な農村で広範な調査を行うのは大変な時間と労力を要するためである。

本書は,このような状況のなかで,現在の中国農村を取り巻く諸問題(結婚,一人っ子政策,医療,水利建設,農民の日本観)から農村を総合的に捉えた良書である。「農民の生活史(書名では「生活誌」:引用者)を政府の対農村政策の変革の文脈に置きながら検討したい」(ⅷページ)と著者が述べるように,現地でのインタビュー調査で得たミクロな情報と,マクロな農村政策の両面から農村社会を紐解いている。章立ては次の通りである。

  • 第1章 農民の結婚――通婚圏と社交圏

    第2章 農民の子孫――一人っ子政策の実態

    第3章 農民の健康――医者と医療

    第4章 農民の移住――都会のための犠牲(水調達プロジェクト)

    第5章 農民の日本観――1995年

Ⅱ 本書の位置づけ

まず,本書の位置づけを整理しておきたい。本書執筆の背景には,日中戦争下で満鉄調査部によって行われた『中国農村慣行調査』(1952~1958年刊行,以下『慣行調査』)と,1980年代に始まった慣行調査の村の再調査がある。戦後の冷戦構造のなかで,外国人による中国農村のフィールド調査は中断したが,1980年代以降,慣行調査の村への再訪が可能となり,1990年代には中国,アメリカ,日本の研究者らがつぎつぎと入村し大・小規模の調査を行ってきた。著者は1980年代後半から1990年代にかけて三谷孝,内山雅生ら日本人研究者を中心とした調査団に参加し,『中国農村の変革と家族・村落・国家――華北農村調査の記録――』[三谷編 19992000]を執筆した1人でもある。この2巻に及ぶ分厚い調査記録には,『慣行調査』と同様に,農村における聞き取りの内容が一問一答形式で書き連ねられており,村の変遷を知ることができる貴重な資料となっている。『慣行調査』と再調査を対比的に用いた研究としては,三谷孝[三谷編著 2000],内山雅生[内山編著 20032009]らがすでに詳細な議論を展開しており,本書は先行するこれらの研究書を参照しつつ,著者が独自に行った調査記録を用いて執筆された。これらの先行研究と比較した場合,本書は読者に中国農村の現状を総合的に伝えるものとなっている反面,ひとつの問題を学術的に掘り下げるという点ではやや物足りなさを感じさせる面があり,それについては後に詳述したい。

著者自身の経歴も,本書を特徴付ける重要な要素となっている。著者は,父親が政治的な迫害によって,山西省の一村落で労働改造の処遇を受けたことから農村で育ち,文革後の1980年代に北京の大学で,その後日本で学び,日本で研究活動に従事してきた。このため,本書には農村で育った中国人としての視点と,1980年代以降日本の学術界で主流となった中国研究の問題意識が共存している。たとえば,農村の社会問題を論じる記述のなかに,雨乞いや伝統的な巫医の役割,一人っ子政策における婦女主任の置かれた厳しい立場などが,農民にとっての切実な問題として取り上げられるのは,実体験をもつ著者ならではの視点といえよう。そのことは同時に,農村の近代化や工業化を人間の生存という観点から絶対に必要であるとして譲らない本書のスタンスにも反映されている。

また,オーラルヒストリーという研究手法からみたとき,著者本人の聞き取りと,他者が行った聞き取りの記録を併用する点が興味深い。従来,資料的根拠の稀薄さが問題視されてきたオーラルヒストリー研究では,欧米を中心にインタビューアーカイブの整備が進められてきたが,インタビュイーのプライバシーに由来するアクセスの困難さや,他者が行ったインタビューをどう有効に利用するかといった問題が指摘されている。これに対し,すでに出版されたインタビュー資料を用いた本書は,資料的根拠を公開しているため,読者が著者の議論に違和感を覚えた場合,インタビュー記録にさかのぼってそれを批判的に検討することが可能である。先に述べた通り,著者は慣行調査の村への再調査に参加しており,『中国農村の変革と家族・村落・国家』[三谷編 19992000]から引用されたインタビューの一部は著者本人が行ったものである。著者自身が共同研究者の1人として参加した集団型の調査において,いかに全体像を把握し,資料を有効に用いるかは,本書のような著作の試金石となっている。

Ⅲ 本書の概要

第1章では,『慣行調査』と再調査を比較して,河北省樂城県孟董荘郷寺北柴村の通婚圏について,解放前後の変化を分析している。著者によると,農民たちは解放前同様に「同姓不婚」を貫きながらも,その通婚圏は半径5キロから10キロ(94.7パーセント)に拡大していた。結婚するまで顔さえみることがない「包辦婚姻」は変化し,少数ながら恋愛婚も出現するなど,「伝統的な外殻の内部で近代化が進行しつつある」(23ページ)と分析される。

第2章では,寺北柴村の村レベルでの一人っ子政策の実態について,再調査時の延べ百十数名に対する170回以上の村民,県や郷の幹部に対する聞き取り調査を用いて分析している。1970年代後半から実施された計画生育政策の成果は,1994・1995年時点の村民の世代別子供数の減少に表れており,著者はこれを「政策と農村の伝統・現実とが対立・融合した結果」(34ページ)であるとみる。これに対し,紹介された幹部らの語りからは,「多児多女多福」の伝統的観念が根強い村で産児制限を行うことの困難さが垣間見られる。行政部門は賞罰措置をとったため,2人以上の子供を産んだ者は罰金を支払い,避妊手術を受けたうえで,はじめて戸籍登録を申請できた。政策を推進するため,避妊手術は「幹部が先に立って模範を示すから,農民としても受けなければならなかった」のだという。

第3章では,農村医療の問題を取り上げる。中国農村には医療保険制度がないため,病院での治療を断念し,自宅で最期を迎える農民も多いという。また,神仏や巫医のまじないに頼って病気を治そうとする信仰も根強い。政府が進めてきた合作医療は,1970年代に90パーセントの普及率だったが,農業集団経済体制の解体にともない事実上崩壊し,現在は一部の「裸足の医者」が開設した個人診療所が,村の医療を担っているという。著者は寺北柴村と臨汾市の高河店村で現役の医師2名にインタビューを行い,彼らの言葉によって医師の速成養成や,市場経済化による大病院の営利主義と貧困農民に対する人道的医療の板挟みになって困窮する農村医の問題を描写している。近年,深刻な問題となったエイズ(HIV)やSARSなどの伝染病についても取り上げ,大規模な伝染病が再発した場合,混乱を避けられない状況が明らかにされている。

第4章では,国家規模の水利プロジェクトについて論じている。揚子江以南の水を華北・西北地域に引水するプロジェクト「南水北調」は,北・西部の水不足と,南部の洪水を同時に解消することを目指して1958年に提起され,2014年までに東と中央のふたつのルートが開通している。著者は,自身の農村における生活経験上,これらの水利開発は必要不可欠だという立場をとりつつ,プロジェクトの是非をめぐって,華北地方の水不足,環境問題,そして農民の強制移住といった観点からの議論を紹介する。また,未開通の西ルートは,複数国を貫流する国際河川を利用することから,水の共同利用をめぐる国際協力が必要となる。人類が自然と共存しつつ水を共同で利用することは,「水の世紀」と呼ばれる21世紀の課題であり,南水北調はその大きな「試験場」として世界から注目されているという。

第5章では,農民の日本観について論じている。日中戦争終結50周年の1995年に,著者が寺北柴村で行った14名へのインタビューと,河北省の数村で回収したアンケート票526部に基づいて農民の戦争賠償や日本軍国主義復活に対する認識,歴史和解に対する民間の役割への認識,対日感情の形成について論じている。対日感情については,多くの中国人が日の丸に好ましくない感情をもつことから,戦争の記憶はいまだ過去の出来事になっていないことを明らかにする。一方,アンケートからは,今後の日中関係にとって重要なのは,もはやイデオロギーではなく経済関係であるとする農民の認識が見出されている。

Ⅳ さらなる議論の可能性

本書全体を通じて,農村問題が幅広く取り上げられる一方,各問題に対する分析はやや不十分であると感じられる。それは「全体を総合的に分析して理論的説明を加える」(ⅶページ)とする本書の執筆意図によるものかも知れないが,ここでは今後の議論の可能性として提示したい。

1. インタビュー内容にどこまで踏み込んだ分析をするか

第1章で通婚圏の拡大と変容は,農村の近代化を示す要因としてとらえられるが,これはある程度予想され得たことではないだろうか。中国農村特有の変化を掘り下げるには,従来の研究成果に対していかなる新しい知見があったかを,著者自身がインタビューから読み解く必要がある。既存の研究では,石田浩が『慣行調査』をもとに,W・スキナーの議論を引用しつつ,華北農村において通婚圏は,市場圏に包摂される形で形成されていることを論じている[石田 1986]。これに対して,再調査ではどのような新たな現象が見出されたのか。移動や通信の手段が変化した今日,市場圏それ自体も変化していると考えられる。拡大した通婚圏とその背後に予想される近代化した市場圏の影響関係が言及されれば,本書の内容はより豊かなものになったに違いない。また,戦前の慣行調査と,1980年代の再調査の間には,農業集団化(1955~1983年頃)の時期があり,合作社や人民公社を通じた人的交流が通婚圏にいかなる影響を与えたのかについても分析が可能であろう。

第2章でも同様の問題が指摘されよう。一人っ子政策をめぐっては,「政策と農村の伝統・現実とが対立・融合した」(34ページ)と著者は結論づける。本書が引用する幹部のインタビューには,伝統的観念が根強い農村で産児制限を行うことの困難さが語られ,行政部門による罰金や避妊手術の強制といった対応策が示されていることから,政策と農村の観念が強く対立していたことは明らかである。しかし本書は,このような困難な現実がいかに対立から融合へと変化したのかを十分に論じていない。インタビューの引用元である『中国農村の変革と家族・村落・国家』(2)には,産児制限に関する多様な聞き取りが採録されていて,村の女性は3カ月に1度レントゲン写真を撮って避妊具が装着されているかを確認され,装着されていなければ避妊手術を勧められるという語りが散見される。そのような強制力のなかで,産児制限は実現されていったのであり,それに伴う農民たちの痛みはいかほどであり,政策が廃止された現在,過去に実施された強制的な手術や幹部の対応は,村の人間関係にどのような影を落としているのだろうか。こうした問題に踏み込まないまま,「対立・融合した」という言葉で一括りにするのは,問題の本質から目をそらすことになるまいか。評者にはそのプロセスを論じることこそが,農村理解に通じると感じられる。

2. インタビュー記録の利用と説得性

本書が引用しているインタビューの多くは,『中国農村の変革と家族・村落・国家』に採録されたものであり,『慣行調査』が行われた河北省の沙井村,寺北柴村,呉店村といった,中国研究においては有名な村々で行われている。これらの村には1990年代に次々と中国,アメリカ,日本の調査チームが入り調査を行ってきたことから,村人たちの調査慣れの問題が懸念される。また,村の幹部とその妻へのインタビューにおいては,政策への理解も一般の農民とは異なると考えられる。とくに一人っ子政策を論じる第2章では,おもに幹部の意見が引用されていることから,内容はどうしても当局の政策に親和的になるだろう。その点を著者がどのように勘案したのかについての記述が欲しい。他方,第3章では,農村医の現状を説明するのに,現役医師2名に対して行ったインタビューを長文で引用しており,その描写は説得的である。これは,インタビューを論じる際,引用数の多寡もさることながら,インタビュイーの立場や背景を十分勘案することが,より説得性を高めることを物語っていると言えよう。

3. 日本観に対するイデオロギーの影響をどうとらえるか

第5章では,日本観を論じるために14人へのインタビューと526部のアンケートを取り上げているが,1995年といえば,戦後50周年の年であり,テレビや映画,書籍などを通じて日中戦争を記念するキャンペーンが行われ,対日感情は悪化していた時期であり,当時これだけの数の調査を行ったことをまずは評価したい。著者は,農民たちがイデオロギーを重視せず,経済協力を強めるべきだと回答したことに驚きを示し,「経済面で誠心誠意な協力を行い,庶民生活の向上をいっそう図ることが一般民衆の最大の願望である」(138ページ)と結論づけている。多くの農民たちがイデオロギーより日本との経済関係を選択したという事実は,評者としても驚きであった。ただ,イデオロギーの浸透をめぐって,ここではいくつかの異なる見方を提示しておきたい。第1に,日々農作業を行っている農民に,外交問題についてアンケートを取ることの妥当性を考えるべきではないか。これは多くの農民がアンケートに分からないと答えている結果にも表れている。第2に,イデオロギーか経済関係か,という2択の設問そのものがそもそも誘導的ではないだろうか。イデオロギーといえば,中国人でも文革及び毛沢東時代を想起する言葉であり,いわば過去志向が強い。これに対して経済関係は,鄧小平の改革開放や事実求是を想起させ,また日本に対する態度としても未来志向である。両者が選択肢に並んだとき,中国の農民も経済関係を選択するのは自然だろうか。そして第3に,イデオロギーの個々人への浸透をどのようにとらえるかについては,単純にアンケートや聞き取り内容をそのまま受け入れる訳にはいかないように思われる。2000年前後に,南京大虐殺30万人説をめぐる日中の議論のなかで,中国社会科学院の孫歌は「感情記憶」概念を提起し,戦争の記憶とそれを土台とした対日感情が中国の公的イデオロギーと分かち難く絡み合っていることを示した(注1)。農村では,1950年代の土地改革に伴う「訴苦」や,1960年代に始まる「憶苦思甜」などの思想政治教育運動によって,日本軍の侵略を含む旧社会の「苦」が度々政治的に想起させられてきた。イデオロギーと体験的な記憶はこうした運動のなかで交錯してきたのであり,それが深く交錯しているからこそ,その状況を言葉によって言い表すことは,農民にとって困難であると考えられる。まさにその時代を農村で生きてきた著者にとって,こうした状況はどのように映っているのか。著者のような立場の研究者によって,日本観とイデオロギーの関係がさらに掘り下げられることを期待したい。

以上述べてきたように本書は,中国農村を理解するうえで重要な問題を取り上げている。その13年に及ぶ地道な現地調査の蓄積と,幅広い問題への取り組みに対して敬意を表したい。多くの読者が本書を読んで,既成の中国イメージに囚われないかたちで中国農村の現状を理解することを願っている。

(注1)  この概念を取り上げた座談会で,戴錦華の「侵略者への恨みと憎しみは社会主義イデオロギー構築の内在的構成部分をもなした」[孫ほか 2000]との発言は示唆的である。

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