アジア経済
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Print ISSN : 0002-2942
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紹介:川村朋貴著『扉の向こうの帝国――「イースタン・バンク」発生史論――』
ナカニシヤ出版 2020年 ⅶ + 399 + 28ページ
久末 亮一
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2021 年 62 巻 4 号 p. 131

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本書は,19世紀アジアに展開したイギリス系国際銀行(イースタン・バンク)の生成と発展を「一方ではイギリス経済・社会の変化に,他方ではアジア地域経済の内在的変動にも関連させ,そして両視点を統合させた広い枠組み」(1ページ)のなかで捉え直し,それが象徴する「イギリス帝国膨張の力学を導き出そう」(1ページ)と試みた1冊である。

第1部「東インド会社とイースタン・バンク」は,第1章「ジョージ・ラーペントによるBank of India計画(一八三三~三七年)」,第2章「ロバート・M・マーチンとウィリアム・ジャーディンのBank of Asia計画(一八四〇~四二年)」,第3章「ロバート・M・マーチンのEast India Bank計画(一八四二~四四年)」で構成される。ここでは1830~1840年代に計画されたイースタン・バンク設立案が,拡大するインド貿易を出発点に新しい金融を求める新興商人層の要請で出現したものの,東インド会社,本国・インド商業界,インド監督局などの既得権益層,さらに本国政府の利害から失敗に終わった経緯が描かれる。

第2部「よちよち歩きのイースタン・バンク」は,第4章「オリエンタル銀行の誕生(一八四二~四八年)」,第5章「東インド会社支配領域内でのイースタン・バンク問題(一八四七~五二年)」,第6章「『マンチェスター=ロンドン枢軸』の逆襲?(一八五二~五五年)」で構成される。そこでは1840~1850年代に,本国政府が自由主義的経済政策に転換するなか,インド統治の実権を東インド会社やシティの旧勢力から剥奪すると同時に,急拡大する帝国勢力圏の金融経済を円滑化する必要から,ロンドンとボンベイでイースタン・バンクの始動が可能となった姿が描かれる。

第3部「『扉の向こうの帝国』とその膨張力学」は,第7章「英領インドから海峡植民地,そしてロンドンへ(一八五三~六七年)」,第8章「ボンベイから香港への『帝国のテレコネクション』――香港上海銀行の創業とその歴史的前提(一八六〇~六七年)」,第9章「イースタン・バンクの『関所資本主義』(一八六〇~九〇年)」,第10章「マーカンタイル銀行の『関所資本主義』(一八六〇~九〇年)」で構成される。そこでは東インド会社解散後のイースタン・バンクがアジア各地に展開するなかで,各地域経済の内在的変動とも呼応するかたちで変化して,アジア系商人と結びついていった態様を明らかにすることで,イギリス帝国経済の有機的な拡大メカニズムが描かれる。

以上のような本書は,従来のイースタン・バンク研究と異なる視角をもつ。既存研究の多くでは,その生成と発展の要因を,マンチェスターやランカシャーといった本国の工業・輸出セクターの伸張,シティの金融発展とホワイトホールの自由主義経済的な論理・政策の結合,あるいはアジア間貿易といった在来経済の急拡大との相互作用,などに求める解釈や接近方法が取られてきた。しかし,いずれに偏ってもイースタン・バンク,ひいてはイギリス帝国が膨張した力学の説明として十分ではない。なぜならば,その膨張メカニズムは,19世紀という時代のなかのイギリス,さらには世界経済の変容に大きく左右されたからである。

そこで著者は膨大な一次資料を渉猟して縦横に駆使し,既知あるいは新しい事実,数字,構造変容を丁寧に整理している。そのうえで,安冨歩の提唱した「関所資本主義」論や,気象学の「テレコネクション」現象の概念を援用し,ダイナミックな展開と組み上げによって,イースタン・バンクが形成され,ひいてはイギリス帝国が膨張してゆく,複雑かつ有機的な態様を説明している。この結果として本書は,同テーマの既存研究が描き切ることのできなかった経済史上の「大きな物語」を紡ぎ出すことに成功している。

 
© 2021 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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