アジア経済
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紹介:C. H. アレクサンドロヴィッチ著(D. アーミティジ・J. ピッツ編,大中真ほか訳)『グローバル・ヒストリーと国際法』
日本経済評論社 2020年 xii + 281ページ
山下 範久
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2021 年 62 巻 4 号 p. 132-133

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チャールズ・ヘンリー・アレクサンドロヴィッチは,1902年に生まれ,1975年に没したポーランド系イギリス人の国際法学者である。第2次世界大戦までは,故国ポーランドの悲劇的な運命のもとでヨーロッパを転々とし,戦後イギリスに帰化したのち,1951年に創立されたばかりのマドラス大学に招聘され,その後1961年にオーストラリアのシドニー大学に移り,1967年に引退するまで,同大学の教壇に立った。

本書の原著は,デーヴィッド・アーミテイジとジェニファー・ピッツという2人の歴史学者によって編纂されたアレクサンドロヴィッチの論文集であり,本書はその抄訳である(抄訳となった経緯は本書の「訳者あとがき」に詳しい)。原著に「序章」として収められた両編者によるアレクサンドロヴィッチの優れた評伝も訳出されている。

アーミテイジは『帝国の誕生』,『独立宣言の世界史』,『思想のグローバル・ヒストリー』,『内戦の世界史』など,グローバルな視座から思想史を書き換える数多くの作品で著名である。ピッツは政治思想史,国際関係思想史の専門家であり,最近著[Pitts 2018]は,18~19世紀におけるヨーロッパ列強の非ヨーロッパ諸国との法的関係に関する論争を扱って,本論文集の主題にそのまま連なっている。両編者とアレクサンドロヴィッチとのあいだに師弟関係のようなものはなく,アレクサンドロヴィッチは長らく忘れ去られた学者であった。つまり本書は「グローバル・ヒストリーにおける諸国民の法」(本書の原題はThe Law of Nations in Global History)という主題について,いわば時代に先んじすぎた探究の発掘によって生まれた作品である。

今日でも国際法の歴史を語る際に,所謂ウェストファリア史観をなぞるナラティヴは隠然とした力を遺している。ウェストファリア条約によってヨーロッパに主権国家間体制が完成し,そのヨーロッパの主権国家をメンバーとする排他的なクラブとしての国際法システムは,その後ヨーロッパが「文明国」と認めた順に非ヨーロッパ諸国(オスマン帝国,中国,日本,シャム,ペルシア,エチオピア……)の加入を認め,第2次大戦後の脱植民地化ののちにグローバルなものとなったという語りである。

アレクサンドロヴィッチはこの語りを拒絶する。最も重要な論点は,「諸国民の法」(Law of Nations)と「国際法」(International Law)のあいだの断絶である。16~18世紀のあいだ,ヨーロッパ諸国と非ヨーロッパ諸国との間には,相当な交易関係があった。そこには当然,国家間の法的な関係もあった。ヨーロッパ諸国はそれを自然法思想に由来する普遍主義的な枠組みで理解しており,したがって互いに同格の法的主体として法的関係を取り結んでいた。これが「諸国民の法」である。しかるに19世紀に入るやヨーロッパ諸国は,一方で実定法思想に立ち,他方で「文明」の規準を持ち出して,「国際法」システムにおける非ヨーロッパ諸国の主体性を否定した。本書に収められた諸論文が書かれたのは,こうして国際法上の主体性を否定された多くの社会が脱植民地化を果たしてつぎつぎと独立を遂げた時期にあたる。脱植民地化は国際法システムへの初めての加入のように語られてきたが,それはヨーロッパ中心主義的な誤謬なのだ。長期のグローバルな視野に立てば,それはむしろ植民地主義によって歪められた一時的な逸脱としての「国際法」システムから,より普遍主義的であった「諸国民の法」への回帰だとみるべきだというわけである。

近世のグローバルな地域間交渉が,アレクサンドロヴィッチの理想化するほど平和的な共存であったかどうか,またアジアの視点に立ったときに,「諸国民の法」の実践がどのような規範的枠組みのもとで理解されていたのか,今日の歴史学の水準からアレクサンドロヴィッチを批判することはたやすい。しかし,そうした批判を可能する視野自体が,むしろアレクサンドロヴィッチの業績の切り開いたものなのである。

文献リスト
  • Pitts, Jennifer 2018. Boundaries of the International: Law and Empire. Harvard University Press.
 
© 2021 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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