2021 年 62 巻 4 号 p. 3-24
本論文は,家計負債が急速に拡大している中国において,家計の金融行動を決定する重要な要素の1つである金融リテラシーと家計の借入行動の関係を明らかにするものである。具体的には,CHFSデータを用いて金融リテラシーが実際の家計負債にどのような影響を及ぼしているかについて,負債目的(経営負債・消費負債・住宅負債)に注目して実証分析を行った。
本論文の主なファインディングは以下のとおりである。(1)世帯主の金融リテラシーが高いほど,家計は負債を持つ傾向にある。他方,金融リテラシーが低いほど,過剰負債を負う可能性がある。(2)住宅負債に対しては,金融リテラシーは有意な影響を与えないことが示唆されるが,それは中国の住宅ローン市場が非競争的であるためである。(3)消費負債に対しては,金融リテラシーが強い正の影響を及ぼしているが,これは消費者金融市場が競争的であるためであり,家計の金融リテラシーが大きな影響を与えていると思われる。
This paper examines the relationship between financial literacy, an important factor in determining the financial behavior of households, and the borrowing behavior of Chinese households whose debt has been rapidly expanding. By using data from the China Household Finance Survey and dividing debt into different categories (business debt, housing debt, and consumer debt), this paper shows how financial literacy affects actual household debt accumulation and distribution. The main findings of this paper are as follows: (1) higher financial literacy is linked to household debt, while lower financial literacy is correlated with excessive debt, suggesting that financial literacy helps households to rationally manage their assets such as by effectively controlling household debt risk and reducing the risk of excessive debt; (2) financial literacy does not affect housing-related debt because the housing loan market in China is not competitive; and (3) financial literacy has a strong positive effect on consumption debt.
This paper demonstrates the important role that financial literacy plays in the rapidly expanding household finance market in China. Along with digital banking services provided by conventional commercial banks as well as borrowing services from small loans platforms such as Alibaba and Tencent, financial literacy is expected to become increasingly essential for consumers. Therefore, improving financial literacy can promote healthy borrowing behavior and reduce the risks associated with consumer finance and financial markets as a whole.
はじめに
Ⅰ 先行研究
Ⅱ データの概要と記述統計分析
Ⅲ 家計の借入行動の実証分析
おわりに
家計における借入行動は,資産選択行動とともに最も重要な家計の金融行動の1つである。本論文の目的は,中国家計金融調査のパネルデータを利用して,金融リテラシーが家計の借入行動にどのような影響を与えているかを実証分析することである。
家計の借入行動は家計消費を平準化させ,経済成長をもたらす効果がある一方,負債が過剰になると家計消費が抑制され,結果的に総需要の減少となって経済成長を鈍化させると考えられる。実際に,米国サブプライムローンの不良債権化がきっかけとなり,世界金融危機が引き起こされたことは記憶に新しい。そのような経緯もあり,近年の中国において,企業部門に加え,家計部門の負債残高が急速に増大してきたことは,国内外から大きな懸念を呼んでいる[上海財経大学高等研究院 2018;IMF 2018など]。
それでは,中国の家計の負債残高はどのような現状にあるのであろうか。図1は中国全体の家計負債残高とその推移を示している。それによると,中国の家計負債残高は2007年の5兆700億元から2018年には46兆8000億元と,わずか11年間で41兆元を超える急拡大を見せており,対GDP比の負債比率も同期間において19.1パーセントから52.4パーセントに急上昇している。図1には,中国だけでなく米国と日本の負債比率の推移(対GDP比)も示されている。それによると,2009年以降の米国と日本の負債比率はいずれも低下してきたのに対し,中国の負債比率だけは一貫して上昇し続けている。その結果,2018年には中国の比率は52.4パーセントとなり,日本の58.4パーセントにわずか6ポイント差に迫っている。
(出所)国家統計局,中国人民銀行,IMFGlobal Debt Database.
このようなマクロ経済データだけでなく,中国家計金融調査(China Household Finance Survey,以下CHFSと呼ぶ)の2015年及び2017年のパネルデータからも,我々は家計負債の残高の拡大傾向を確認することができる。表1はCHFSに基づいて集計した家計負債の2年間の変化の結果を示している。それによると,負債のある家計の割合は2015年の27.93パーセントに対して2017年は27.82パーセントと,ほとんど変化は見られない。それに対し,家計当たりの負債残高は3万5284元から4万2325元となり,7041元の大幅な増加となっている。さらに,借入目的別にその増加額を見ると,(1)経営負債は495元,(2)消費負債は1819元,(3)住宅負債は5474元,それぞれ増加となっている。家計負債残高に占めるそれぞれの比重は,2015年から2017年までに経営負債が3.01ポイント低下(25.12パーセント→22.11パーセント)したのに対して,消費負債と住宅負債は同期間にそれぞれ3.36ポイント(5.61パーセント→8.98パーセント),2.62ポイント(61.99パーセント→64.61パーセント)増加している。
(出所)CHFSにおいて2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
このように2年間の動きを見ても,負債のある家計の割合に大きな変化がない中で,負債残高は拡大していることを確認できるが,それには次のような特徴が挙げられる。第1は,住宅負債が家計の負債残高拡大に最も寄与しているということである。これは,住宅価格の上昇と家計当たりの平均持家数の増加が住宅負債を大きく押し上げた結果であると言える。第2は,消費負債がこの2年間に倍増していることである。負債残高に占める比重はまだ低いものの,その負債の増加分は住宅負債に次いでいる。消費負債が急増したのは2010年代以降,消費者金融市場の育成と整備が進められた影響が大きいが,さらに同時期にスマートホンが急速に普及し,スマートホンのアプリをプラットフォームとして,AIやビッグデータなどが活用されたことも後押ししている(注1)。
したがって,近年の家計における負債残高の拡大は住宅負債と消費負債がけん引役になっていると言えよう。住宅負債と消費負債の意思決定に際しては,家計の状況や社会経済状況の影響を受けながら,その借入についてのメリットとデメリットを熟慮した上で判断することが家計に要求されている[呉・呉・王 2018]。たとえば,住宅購入の際に借入金をどの程度にすべきなのか,耐久消費財を買うためにカードローン(中国では「消費負債」に分類)をどのように借りるかなどを決める必要がある。そこで実際に,借入額,金利,返済期間,借入先などを決定する際には,有効な関連情報を収集し,適切に判断することが求められるが,その成否に後ほど定義する金融リテラシー(financial literacy)の高さが深く関わっていると考えられる。
この「金融リテラシー」の重要性は,2008年の世界金融危機を考察したLusardi and Tufano[2015]においても指摘され,金融リテラシーの低さが米国家計においての過剰負債をもたらしたということが広く認識されるようになってきた。したがって,この金融リテラシーに着目し,それが家計の借入行動に影響を及ぼしているのか,及ぼしているとすればどの程度なのかなどを,中国でも実証的に分析する必要性が高まっていると思われる。
以上のような問題意識に基づいて,本論文では,CHFSデータを独自に構築した上で,家計の借入行動において,金融リテラシーが家計負債にどのような影響を及ぼすかについて実証的に明らかにする。次節以降の構成は次の通りである。第Ⅰ節では,先行研究をサーベイしたうえで,金融リテラシーが家計負債に及ぼす影響の基本的な枠組みを示す。第Ⅱ節では,データの概要を説明した後,記述統計分析を行う。またデータや記述統計分析から得られた家計負債の特徴を考察し,本論文での仮説を提起する。第Ⅲ節では,実証分析を行い,仮説検証,頑健性検定,内生性検定を行う。最後に,本論文のまとめとインプリケーション,残された研究課題を述べる。
金融リテラシーについての統一的な定義は確立されていないが,代表的な先行研究によれば,金融リテラシーは人的資本の1つとして定義され,経済や金融などの情報の理解力と認知能力が含まれるだけでなく,これらの情報を処理する能力の高さにも関係しているとされる[Hung, Parker and Yoong 2009;Lusardi, Michaud and Mitchell 2017]。あるいは,金融リテラシーは金融の常識,基本概念などを理解し,知識を入手・処理したうえで,金融行動を決定する能力であると説明されている[Huston, 2010]。そこで本論文では,金融リテラシーは金融に関する制度や金融商品の仕組みなどの知識や情報を正しく把握し,家計の資産形成や借入の際にどのような金融手段が利用できるのかを理解し,判断できる能力と定義することにする。
先行研究は,金融リテラシーが家計の資金需要や借入行動にどのような関係性を持つのかについて,次のような側面から明らかにしている。すなわち,第1に,金融リテラシーを向上させることにより,家計は消費者金融に関する法制度や借入プロセスなどに関する理解を深めるため,資金へのアクセスが容易になる。たとえば,家計は様々な借入先の情報を把握することによって,借入の成功確率を高めることに成功しており[Akudugu, Egyir and Mensah-Bonsu 2009],また,住宅ローンを利用する際に,金融リテラシーが高い人ほどより多くの金融機関の比較をしているといった研究が報告されている[家森・上山 2016]。
第2に,金融リテラシーを向上させることにより,家計は金融手段を適切に活用できるようになり,潜在的な投資が促進されるという点である。たとえば,消費者が金融リテラシーを高めることで,借入に関する潜在的な需要が顕在化し,金融資産への投資[Van Rooij, Lusardi and Alessie 2011]や家計による創業[Oseifuah 2010]が促進されることが挙げられる。第3に,金融リテラシーが高いほど,家計の資産形成が促進され,借入に対する家計の返済能力も高まることが期待される。その結果として,フォーマル金融機関からの借入を獲得する可能性が高まることも指摘されている[Lusardi and Mitchell 2007]。第4に,金融リテラシーが高い家計は良好な信用記録を保持することができるため,借入の獲得に繋がりやすいことが挙げられている[Kidwell and Turrisi 2004]。
中国における家計の借入行動の研究は数こそ少ないが,それでも近年では,金融リテラシーという視点から,家計の借入行動を考察する研究が注目されるようになってきた[宋・呉・尹 2017; 呉・呉・王 2018; 呉・張・呉 2019]。この背景には,次のような2つの要因があると考えられる。1つ目は,近年の家計負債の急速な拡大が社会的な関心を呼んでいることである。2008年の世界金融危機後,金融リテラシーが低い家計は過剰負債問題を引き起こしやすいとの指摘がなされ,家計負債への金融リテラシーの影響の大きさが注目されるようになった。たとえば,金融リテラシーが低いほど,過剰負債に陥る可能性が高い[Disney and Gathergood,2013]という関係は,中国のデータを用いた呉・呉・王[2018]の分析からも確認されている。
2つ目は,内需拡大を目指す中国経済にとって,消費者金融市場を通じた家計の消費拡大が重要な政策課題となっていることである。そこにおいて,金融リテラシーは消費拡大にもつながる家計の借入行動に大きな影響を及ぼす要因となることが示唆され,金融リテラシーを向上させる必要性が強調されている[尹・宋・呉 2014など]。また,金融リテラシーが高いほど,家計の負債能力を向上させ,かつ借入をフォーマル金融機関チャネルから利用する傾向が高まったり,過剰負債を減少させることも明らかになった[呉・呉・王 2018]。さらに,金融リテラシーが高い家計ほど,借入金利を低下させるので,住宅購入の借入に占める銀行融資の比重が高くなることも実証されている[呉・張・呉 2019]。
しかし,中国における家計の金融リテラシーが住宅負債に及ぼす影響については,先行研究では必ずしも明らかにされてこなかった。一般的に,競争的な金融市場において,家計が住宅ローンを組む際には,複数の金融機関の住宅ローン商品を比較して,金利タイプ,借入費用,限度額などが自分のニーズに合ったものかを適切に選択する必要があるため,金融リテラシーの能力が重要と考えられる。しかし中国では,住宅ローン市場は必ずしも競争的でなく,商業銀行によって独占されており,さらに政府がマクロコントロール政策の一環として不動産市場に介入しているため,政府の関与が強いと考えられる(注2)。また,住宅購入のために金融機関などから融資を受ける場合,一般的に不動産業者が提携している2~3行の商業銀行から借入をすることがほとんどであり,なおかつ借入条件は政府の規制に基づいて,金利水準も金利タイプも横並びであるため,家計が主体的に住宅ローン商品を選択することはほとんど不可能な状態にある(注3)。
他方,2010年代以降の中国では,消費者金融市場の育成と整備が進められた結果,消費者金融サービスでは国有商業銀行のほか,消費金融公司(馬上消費金融,ハイアール消費金融,北銀消費金融公司,中銀消費金融),BATJ(バイドゥ・アリババ・テンセント・京東を指す)の網商銀行,オンライン融資プラットフォーム P2P(peer to peer Lending)などが参入し激しい競争を繰り広げている(注4)。このような消費者金融市場の発達は,家計消費の多様化を促す側面もあると考えられる。家計の借入は住宅購入や自動車購入,教育のためのローンのほかに,耐久消費財,旅行,医療美容などに広がりを見せている。また借入先が多様化していることも,金融リテラシーへの注目を高めている。実際,金融リテラシーは家計の消費者信用を高めることができるという実証研究もなされている[宋・肖・尹 2019]。そこでの金融リテラシーは人的資本の1つとして,消費者の借入行動と密接な関係にあると考えられている。また,金融リテラシーが高いと,その消費者はインターネット金融におけるローン情報をより適切に理解することができ,時間と経済的コストを低下させ,借入意欲を高めるのに役立っているという[向・郭 2019]。
こうした先行研究において,金融リテラシーは中国の家計の借入行動にとっても重要な説明要因であることが示唆されているものの,ほとんどの実証研究が借入先をフォーマル金融機関とインフォーマル金融機関というカテゴリーに分類するだけにとどまっている[宋・呉・尹 2017; 彭 2019; 呉・呉・王 2018]。従来の研究では,親戚友人からの借入及び高金利業者などの民間業者からの借入をインフォーマル金融機関からの借入とみなしており,それは政府の監督や監視を受けず,高金利・複雑・不透明という特徴を持っているという[楊・匡 2013]。消費者金融市場を含めて急拡大している中国の家計負債の現状からすると,このように借入先をフォーマルとインフォーマルに分類しただけの分析では,家計の借入行動における金融リテラシーの影響度合いを正確に捉えることができないと思われる。
図2に示しているように,それよりもむしろ家計が借入をしている市場環境が競争的か否かということの方が重要であると考えられる。たとえば,前述したように住宅ローン市場は非競争的であるため,金融リテラシーが住宅負債に対して影響を与えていないのではないかと推察される。それとは逆に,近年急速に発展している消費者金融市場は,競争的な市場環境におかれているため,消費者の金融リテラシーが試され,そのことが消費負債の規模に影響を及ぼしているのではないかと推測される。このように,両市場の環境には大きな相違があると見られるため,近年増加が著しい住宅負債と消費負債という借入目的毎に,それぞれ金融リテラシーの影響の有無を実証分析することによって,中国の家計負債が急速に拡大している1つの要因を明確にすることができると考える。
(出所)現地でのヒアリング調査などによって筆者作成。
また,いずれの先行研究においても,近年の家計負債残高の急増の実態とその要因は明らかにされていない。たとえば,代表的な先行研究である呉・呉・王[2018]は2010~2011年の24都市の6878のサンプルデータを,また呉・張・呉[2019]は2011年の「中国消費金融現状と投資家教育調査」4503の有効サンプルを用いるにとどまっている。これらの研究では,現在の家計負債の急拡大要因が明らかにされておらず,この分析結果を中国全体に遡及することは難しいと思われる。
したがって,これまでの先行研究を補うべく,本論文には以下の特色がある。すなわち,第1に,全国規模の家計調査データを使用して,家計の借入行動を実証的に明らかにしている点である。第2に,金融リテラシーが実際の家計負債にどの程度の影響を与えているのかについて,借入目的という新しい視点から分析を試みていることである。このような着眼点に立つことにより,住宅負債のみならず,急速に規模を拡大している消費負債にも対応でき,金融リテラシーが住宅ローン市場及び消費者金融市場において,それぞれどの程度重要なのかを初めて明らかにすることができる。
本論文によって,金融リテラシーの重要性を既存の研究とは異なる新しい視点から検証するとともに,家計の借入行動を解明できれば,家計の金融行動を理解する上でも有用だと思われる。さらに,これらの研究は家計負債がもたらす金融リスクへの対応,安定的な金融システムの構築を推進する一助となるだけでなく,家計消費の拡大による経済の持続的な成長を目指す中国にとって,経済政策のあり方を検討する上でも有用な情報となるだろう。
本論文では,西南財経大学が2015年及び2017年に実施した全国規模の家計金融調査であるCHFSのパネルデータを構築して,実証分析を試みる。CHFS2015年,CHFS2017年の調査範囲は新疆,チベットを除く29の省(市,区),363の県,1439の村を含み,都市及び農村世帯の両面に及んでいる。層化3段と確率比例サンプリング方法(PPS sampling)で選出された2015年,2017年の有効なサンプルサイズはそれぞれ3万7289世帯,4万11世帯である。CHFSでは,人口の基本集計(男女,年齢,世帯の構成,住居状態など),家計の資産と負債,商業保険と公的保険,家計の支出と収入などの現状に関する4つの部分によって構成されている。
本論文では,金融リテラシーが借入行動にどのような影響を及ぼすかを明らかにすることを主眼としている。したがって,家計の借入目的と金融リテラシーが最も重要な変数である。その借入目的別に見た家計負債については,(1)経営負債(家計が自分のビジネスや個人事業のために必要な負債),(2)消費負債(自動車,教育,耐久消費財などの負債),(3)住宅負債という3つに大きく分ける。さらに,金融リテラシーの水準はCHFSが用意する3つの問題の正答率によって数値化する方法を採用する。CHFSでは,2015年及び2017年の金融リテラシーに関連して,3つの質問項目を用意している(注5)。すなわち,(1)金利の計算能力,(2)インフレーションへの理解力,(3)リスクの認知水準,という3つの側面から世帯主の金融リテラシーの水準を判定している。
家計における金融リテラシーの水準の作成方法はすでに尹・宋・呉[2014]によって開発されている。本論文でもこれに倣って,因子分析の方法を用いて2015年及び2017年の金融リテラシーの指標を構築した。表2には,2015年及び2017年の金融リテラシーに関する質問項目の回答状況を集計したものが示されている。それによれば,家計の金利計算能力,インフレーションの理解力,リスク認知水準の正答率は2015年に比べて2017年のほうが若干高くなっているものの,依然として低水準と言える(注6)。他方,インフレーションの理解力の誤答率が17.3ポイントの大幅な減少となっており,「わからない」という選択率が最も高いままである。
(出所)CHFSにおける2015年及び2017年データに基づき筆者作成。
しかし,「誤答」または「わからない」という選択では,金融リテラシーの水準は異なると考えられる。ここでは尹・宋・呉[2014]にしたがい,両者の違いを示すため,金融リテラシーに関する3つの質問項目に対して,それぞれ(1)正答かどうか,(2)直接回答かどうか,という2つのダミー変数を設定し,計6つのダミー変数を作り,探索的因子分析(Exploratory Factor Analysis)を行った(紙幅の制約で2015年のみ示している)。その結果は表3で示しているように,因子1及び因子2は最も重要であることがわかる。そして,表4のKMOの標本妥当性(Kaiser-Meyer-Olkin measure of sampling adequacy)を検証した結果から,その数値がいずれも0.6を超えているため,ここでのサンプル数は因子分析に適していることがわかった(紙幅の制約で2015年のみ示している)。表5の記述統計では,表4の因子負荷の数値に基づいて,被調査者の金融リテラシーの水準を導出した2015年と2017年のそれぞれの値を示している。
(出所)CHFSにおける2015年データに基づき筆者作成。
(出所)CHFSにおける2015年データに基づき筆者作成。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
なお,ここでは家計の借入行動に影響を及ぼす可能性のある多くのコントロール変数を取り入れている。具体的には,世帯主の属性(性別,年齢,教育年齢,党員,職業,リスク態度,婚姻状況など),家計の経済的な特徴(家族規模,家計所得の対数,持家戸数,負債の対数など)を挙げている。Barnes and Young[2003]が示しているように,人口社会学的諸要因は米国の家計の借入行動に大きな影響を与えていることから,我々も中国の家計の借入行動にこうしたコントロール変数の多くが有意に影響しているのではないかと予想した。また,農民のダミー変数,省レベルのダミー変数を用いて地域の固定的な効果をコントロールした。なお,データの処理において,我々は2015年及び2017年の2時点で観測された同一の世帯を選択した上で,家計所得が負の値,あるいは純資産が負の値,または持家が30軒以上,世帯主年齢が16歳以下のサンプル数を除外した結果,実際のサンプル数は2万4679となるパネルデータを構築した。
表5はCHFSの2015年及び2017年の記述統計値である。これによると,負債のある家計の割合は2015年の27.9パーセントから2017年には27.8パーセントへと,わずかに減少しているものの,家計負債残高は同時期には3万5284元から4万2325元へ拡大している。また,総負債の対純資産比率が1を超過,すなわち過剰負債のある家計の割合は13.9パーセントから21.2パーセントまで増加している。さらに,家計負債を次のように3つに分類して見ると,自営業などの経営負債は8862元から9357元,消費負債は1981元から3800元,住宅負債は2万1873元から2万7347元へと,それぞれ増加している。また,住宅負債が家計負債残高の60パーセントを超えており,最も大きな割合を占めていることがわかる。郭・周[2014]は,持家の所有状況が家計負債の有無や負債残高に大きな影響を与え,持続的に上昇する住宅価格が家計負債残高の拡大をもたらしたと分析している。
記述統計表をもとに,所得階層別に見た家計とそれぞれの家計負債との間にどのような関係があるのかを探ってみるため,CHFSデータに基づいて,家計の所得を5段階に分けて,それぞれの家計の純資産残高,負債残高,住宅負債,持家戸数を比較してみた。その結果を示した図3によると,最も所得の低い層は純資産残高,住宅負債,持家戸数のいずれもが最も低く,所得が上がるにつれて,それぞれ増加する傾向にある。特に,最も所得の高い層の家計の指標がいずれも一気に跳ね上がっており,他の所得階層から飛びぬけていることがわかる。たとえば,持家戸数については,下位20パーセントの所得階層は0.98戸で,純資産残高は27万9370元しかなかったが,上位20パーセントの所得階層は1.38戸で,219万2220元を保有している。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
同様に,家計負債残高も前者が1万7803元なのに対して11万5371元と大きく,その負債残高に占める住宅負債の比率も前者の49.7パーセントに対して68.0パーセントと高い。呉・徐・白[2013]は所得と負債の両者の間に正の相関関係があるのは高所得層のみであると主張していたが,我々のパネルデータでは,主な家計負債は住宅負債であり,その住宅負債は持家戸数とともに増加することが示され,所得と負債との間に正の相関関係が確認される(注7)。
次に,金融リテラシーに関する質問への正答率(以下,金融リテラシー正答率)で見た金融リテラシーの水準を5段階に分けて,それぞれの家計負債残高と各負債の関係を示しているのが表6である。金融リテラシーが家計の資産選択行動に及ぼす影響に関する研究としては尹・宋・呉[2014]が先駆的なものといえるが,曽ほか[2015],宋・呉・尹[2017],胡[2018]などの実証研究では,金融リテラシーが高いほど,家計の金融市場への参入度が高く,資産運用の多様性と資産蓄積との間に正の相関関係があると報告されている。この表6からは,金融リテラシー正答率下位20パーセントのグループは,家計負債残高及び各負債のいずれもが,20~40パーセントのグループより大きいことがわかった。しかし全体的に言えば,世帯主の金融リテラシーの高さと家計負債とは正の相関関係にあると考えられる。すなわち,金融リテラシーの正答率が高いほど,負債額も大きくなると言える。家計負債残高では,金融リテラシー正答率の最も低い20パーセント以下のグループは2万8300元であるが,最も高い80パーセント以上のグループは5万4100元に達しており,目的別に見た各負債残高でも同じ傾向にあるからである。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
先行研究と以上のようなパネルデータの記述統計分析によるファインディングをもとに,家計の借入行動における決定要因,特に金融リテラシーの重要性を明らかにするため,次のような2つの仮説を提起し,第Ⅲ節で検証することにしたい。すなわち,
仮説1:金融リテラシーは住宅負債に影響を及ぼさないが,消費負債に影響を及ぼしている。
仮説2:所得が高いほど,また持家数が多いほど,家計負債がある傾向が強く,債務規模も大きくなる。
本論文では,家計負債に影響を及ぼすと考えられる様々な要因をコントロールし,金融リテラシーの影響が見られるか否かを検討する。そのためには,CHFS2015,2017の2時点で観測された2万4679世帯のパネルデータをもとに,家計が負債を保有するか否か,過剰負債に陥っているかどうかというプロビットタイプの二値選択モデル,及び家計負債残高,借入目的毎の負債に関する固定効果の回帰分析で推計する。
まず,家計負債の保有については,(1)負債を保有する(=1),負債を保有しない(=0)を被説明変数として,また,過剰負債を抱えているかどうかについては,(2)過剰負債を抱える(=1),過剰負債を抱えていない(=0)を被説明変数として,次の(1)式のようなプロビットモデルを考える。
\[Dummy\ debt_{it}=β_{0}+β_{1}\ Financial\ Literacy_{it} +β_{2} X_{it}+v_{i}+λ_{t}+ϵ_{it}\quad\quad\quad\quad(1)式\]
次に家計負債残高と借入目的毎の負債(経営負債,消費負債,住宅負債)の被説明変数は連続変数であるため,ここでは固定効果モデルを用いて検定を行う。基本的なモデルは以下の(2)式の通りである。
\[Y_{it}=β_{0}+β_{1}\ Financial\ Literacy_{it}+β_{2} X_{it}+v_{i}+λ_{t}+ϵ_{it}\quad\quad\quad\quad(2)式\]
(1)式は金融リテラシーが家計負債の有無に対して影響しているかを推計する。(2)式は金融リテラシーが家計負債にどれほど影響しているかを推計する。ここで\(Y_{it}\)は各被説明変数で,家計\(i\)における\(t\)年での1家計当たりの家計負債残高,経営負債,消費負債,住宅負債のそれぞれの対数値である。\(Financial\ Litercy_{it}\)は金融リテラシー,\(X_{i}\)はコントロール変数であり,家計の特徴を示す説明変数と省・直轄市レベルの地域のコントロール変数である。\(β_{i}\)はパラメータベクトルであり,\(v_{i}\)は時間を通じて変化しない家計の属性であり固定効果を表す。\(λ_{t}\)は時間の固定効果を示し,\(ϵ_{t}\)は誤差項で標準正規分布に従うものとする。
注目変数である金融リテラシーについては,呉・呉・王[2018]が金融リテラシーが高いほど,家計の負債能力及び借入を正規金融機関チャンネルから利用する傾向があるということを明らかにしている。本論文では,急速に発展している消費者金融市場の現状を踏まえて,借入目的毎(経営負債,消費負債,住宅負債)の負債残高にどのような影響を与えるかを検証する。これは先行研究にはなかった着目点である。
また,すでに記述統計分析で考察したように,本論文では家計借入行動に影響を及ぼす可能性のある多くのコントロール変数を取り入れている。特に,家計所得,持家数などが家計の借入行動にとって重要なコントロール変数であると考えられる。
2. 推計結果とその解釈表7は,(1)負債あり,(2)過剰負債,(3)家計負債残高,さらに家計負債を(4)経営負債,(5)消費負債,(6)住宅負債に分けて,それぞれへの金融リテラシーという注目変数とコントロール変数の影響度合いを推計した結果である。それによると,(1)負債ありの推計結果では,金融リテラシーは5パーセントの有意性で正の値を示しており,金融リテラシーが高いほど家計は負債がある傾向が高いと言える。逆に,(2)式の過剰負債に関する推計結果では,金融リテラシーの係数は10パーセント水準で有意に負の値を示しており,金融リテラシーが低いほど過剰負債に陥る可能性が高いことを示唆し,呉・呉・王[2018]の分析結果と一致している。言い換えれば,金融リテラシーが高い家計は,自身の負債状況を適切にコントロールしていることが示唆された。さらに,家計負債残高と借入目的毎の負債の(3)~(6)式に関する固定効果モデルの推計結果では,(3)式の家計負債残高に対して,金融リテラシーの係数は10パーセント水準で有意に正の値を示しており,金融リテラシーの高いことが家計負債残高の増加に正の要因として働いていると言える。しかし,金融リテラシーは被説明変数(4)式の経営負債と(6)式の住宅負債との相関に有意性がなく,(5)式の消費負債のみ5パーセント水準で有意な正の相関にあり,金融リテラシーの能力が高ければ,家計の消費負債の規模も大きくなることが示唆される。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
(注)(1)負債金額が「0」の場合,1を足してから対数変換を行った。
(2)(2)の過剰負債ダミー変数は(1)「負債あり」の家計から算出したものである。(3)~(6)はパネル分析による固定効果モデルの推計結果を示しているが,このほか変量効果モデルでも参考値として推計を行ったが,紙幅の関係で省略している。
(3)*,**,***はそれぞれ10%,5%,1%の有意性を示す,かっこ内は不均一分散頑健標準偏差である。
経営負債の場合,自営業などのスモールビジネスではそもそもフォーマルな金融機関からの融資はかなり限定的であるため,借入行動には金融リテラシーの影響があまりないと思われる。また,金融リテラシーが消費負債に強く影響を与えているのは,金融リテラシーが高いと,家計は消費ローン情報をより完全に理解することができ,時間と経済的コストを低下させ,借入意欲を高めるのに役立っているからと考えられる。さらに,なぜ金融リテラシーは住宅負債に影響を与えないのかについては,前述したように,金融リテラシーに関係なく,不動産業者の提携先の商品を選ぶしかないという実情を反映していると考えられる。
また,表7のコントロール変数の中で,家計所得の対数はいずれの被説明変数に対しても,強い相関が得られている。これは家計所得が高いと,負債の必要性や過剰負債の可能性が低下する一方,所得が高いほど,負債能力が高まるため,住宅購入や経営目的の負債残高が大きくなることを示唆している。この結果は,陳・李[2011]による都市家計の分析において,所得水準の上昇が家計負債を押し上げる効果が指摘されたが,それと同じである。
それとは対照的に,持家戸数の説明変数は経営負債を除く被説明変数のいずれにも相関の有意性が認められた。これは持家戸数が多いほど住宅負債の増加傾向が高まるが,同時に住宅資産も大きくなることから過剰債務に陥る可能性が低くなることが示唆される。この結果は,住宅価格の上昇につれて,住宅負債が家計負債の規模を飛躍的に拡大させ[何・呉・徐 2012;呉・徐・白 2013;郭・周 2014],家計負債率(対所得比)の上昇をもたらすことなどの結果と一致している(注8)。したがって,これらのことから,家計負債残高の拡大は住宅の所有が重要な要因であり,家計負債の増加,または家計負債残高の拡大に大きな効果をもたらしていると言える。このように,推定の結果は我々の仮説1と仮説2が強く支持されたものとなっている。
3. 頑健性検定次に,表7の推計結果に対する頑健性検定をウィンソライズ(winsorize)する。すなわち,各被説明変数である家計負債残高及び借入目的毎に見た「経営負債」,「消費負債」,「住宅負債」の残高の下位1パーセント以下の値と上位99パーセント以上の値を取り除いた残りのサンプル数を推計した。表8はこの推計結果を示しているが,それによると,金融リテラシーは「家計負債残高」と10パーセントの有意水準で正の相関関係,「消費負債」とは5パーセントの有意水準で正の強い相関関係にあることがわかった。このように,頑健性検定でも,金融リテラシーが家計の借入行動に与える影響について,表7と同じ推定結果が得られた。すなわち,様々な消費者金融の商品がある中で,金融リテラシーが高いと,家計は借入情報をより客観的に認識し,自身の条件に合う消費負債を適切に獲得する可能性が高まると思われる。このことから金融リテラシーが高いほど,家計は消費者金融市場から融資を受けられる可能性が高く,同じく住宅負債は金融リテラシーの高さに関係なく,借入を行っていると言える。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
(注)*,**,***はそれぞれ10%,5%,1%の有意性を示す。かっこ内は不均一分散頑健標準偏差である。
しかし,我々の注目変数である金融リテラシーには内生性の問題が存在する可能性があると考えられる。なぜならば,日常生活の中での家計の借入行動が金融リテラシーに影響を及ぼす可能性があると思われるからである。家計においては,過去の借入行動の経験が自身の金融リテラシーを高める可能性があり,このような逆の因果関係の存在は金融リテラシーの家計負債残高,あるいは消費負債残高への影響を過大評価してしまうことになりかねない。また,回答者は金融リテラシーに関連する問題に計算器などの外部機器を使わずに回答しているものの,ある問題への正答は偶然によるものかもしれない。その結果,金融リテラシーには内生性問題か,あるいは計算ミスによって,推計結果のパラメータにバイアスがかかってしまうと思われる。
この問題を解決するために,本論文では,被調査対象の家計と同じコミュニティーに居住している同一所得水準の他の家計の金融リテラシー正答率を金融リテラシー指標の操作変数に用いることにした(注9)。この方法による説明変数は,操作変数の関連性条件と外生性条件を満たすことができると考えられる。同じコミュニティーに居住し,所得水準が同レベルの他の世帯の金融リテラシーはこの居住地の平均水準を反映しており,当該家計は周辺の交流のある他の家計から金融リテラシーを習得することができる。このため,操作変数と家計の金融リテラシーとは正の相関関係にあり,関連性条件を満たす。また,他の家計の金融リテラシーの平均水準は,当該家計の負債行動の決定に直接的な関係はなく,外生性条件も満たすと考えられる。表9は,2段階最小二乗法(two stage least squared method: 2SLS)による推計結果を示したものである。内生性推計の結果では,金融リテラシーが家計負債残高,経営負債に対して10パーセントの有意水準で正の影響を,消費負債に対して1パーセントの有意水準で強い正の影響を及ぼしている。また,住宅負債に対しては,表7と同じく,有意性が得られていないことも確認された。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
(注)*,**,***はそれぞれ10%,5%,1%の有意性を示す。かっこ内は不均一分散頑健標準偏差である。
また,金融リテラシーという注目変数が家計負債残高に与える影響の推計では,多くの被説明変数が0に集中しており,誤差項は正規分布せずに推計パラメータにバイアスをもたらす可能性があるため,我々はTobitモデルを用いた推計を試みた。その結果は,表10のTobitモデルの推計が示しているように,依然として頑健的である。すなわち,金融リテラシーが住宅負債に影響を与えないが,金融リテラシーが高いほど,家計負債残高と消費負債には有意に正の係数を示していることから,表7の推計結果と一致していることが確認できる。
(出所)CHFSにおいて,2015年と2017年の2時点で観測された2万4679世帯のデータに基づいて筆者作成。
(注)*,**,***はそれぞれ10%,5%,1%の有意性を示す。かっこ内は不均一分散頑健標準偏差である。
本論文では,中国の家計負債が急速に拡大している中で,家計の金融行動を決定する重要な要素の1つである金融リテラシーと家計の借入行動の関係について実証分析を行った。その特徴は,既存の研究とは異なり家計の借入目的に着目し,全国規模のCHFSパネルデータを構築して,金融リテラシーが実際の家計負債にどれほど影響を及ぼしているかを厳密な計量手法によって明らかにしたことである。
本論文の主なファインディングは以下のとおりである。(1)世帯主の金融リテラシーが高いほど,家計は負債を抱える傾向にある。他方,金融リテラシーが低いほど,過剰負債に陥る可能性がある。この結果は,呉・呉・王[2018]による都市部の家計データに基づく実証結果と一致している。このことから,金融リテラシーが家計の合理的な資金の調達・運用に役立つことにより,家計の負債リスクを効果的にコントロールし,過度の負債によるリスクを低減させるのに役立つと思われる。
(2)金融リテラシーは住宅負債に影響を及ぼしていないが,それは中国の住宅ローン市場が非競争的であるためであり,金融リテラシーの高さには影響されないことを示唆している。この実証結果は,我々による現地の銀行や住宅負債所有者へのヒアリング調査から得られた現状認識と一致している。また,住宅市場で不動産価格が上昇している中で,自分の住居または投資のための持家戸数が増えるほど,家計にとっての資産の増大につながり,それは借入能力の向上に大きく貢献しているという理由があることも考えられる。
また(3)消費負債に対しては,金融リテラシーが強い正の影響を及ぼしているが,このことから,消費者金融市場において,金融リテラシーが重要な影響を与えていると言える。それは次のような実情を反映していると思われる。すなわち,近年における消費者向けの金融サービスの拡大は,従来のような規範的ではない,高金利で,返済リスクが高いといった,いわゆる民間金融のイメージを大きく転換させている。特に,既存の商業銀行における店舗の「智慧銀行」(スマート銀行)化サービスと,アリババ,テンセントなどプラットフォーマーによる小口融資での競争は,消費者に対して借入の可能性と借入金融商品の多様性や利便性をもたらしているからである。
金融リテラシーは家計の消費支出や消費傾向を高める効果があるという宋・肖・尹[2019]が指摘したことを,我々の分析結果も支持できる。このことは,金融リテラシーの高まりが家計の消費負債を押し上げる効果を持ち,負債の平準化効果による消費市場の拡大につながることを意味している。しかし,他方では,金融リテラシーの低い家計は過剰負債問題を引き起こしやすいことから,金融リテラシーを高める普及活動は,家計の健全な借入行動を促すことで,住宅ローン市場ないし金融市場全体のリスク低減にもつながる重要な方策であることを示唆している。
もちろん,本論文には以下のような課題や限界も残されている。すなわち,本論文は既存の研究とは異なり家計の借入目的に着目し,特に金融リテラシーが家計の借入行動にどれほど影響を及ぼしているのかを明らかにしたが,今後はその借入目的や借入先をさらに細かく分類し,より緻密な分析をする必要があろう。また,農村部と都市部,あるいは地域別に分けて,それぞれの関係性の違いを明確にしたい。
本研究は中央大学特定課題研究費を受けた成果である。本稿の執筆にあたり,中篠誠一名誉教授(中央大学),本誌2名の匿名レフェリーから有益なコメントを頂戴した。改めて謝意を申し上げたい。なお,本稿における誤りは,すべて筆者に帰するものである。
(唐成・中央大学経済学部教授,張誠・汕頭大学商学院講師,2020年2月14日受領,レフェリーによる審査を経て,2021年4月9日掲載決定)
同様に,中国人民銀行金融消費権益保護局が2017年に実施した第1回全国金融リテラシー調査(1万8600サンプル数)の結果を取りまとめた『消費者金融素養調査分析報告 2017』によると,消費者の87.1パーセントは「金融知識の普及が非常に重要」あるいは「比較的に重要」と認識しており,消費者の金融リテラシーの平均正答率は63.7パーセントである。
他方,農民ダミー変数は被説明変数の(1)負債あり,(2)過剰負債,(3)住宅負債とは有意に正の関係にあり,都市住民と比べて農村住民は所得や資産所有が比較的少ないことから,過剰負債の可能性が高くなり,住宅購入のための負債がある傾向が高くなると思われる。