2022 年 63 巻 4 号 p. 101
国際社会の対中認識はどのように変化しているのか,あるいはしていないのか。本書はこの大きな問いに対し,日本,米国,中国で活躍する研究者がそれぞれの見方を示す論文集である。各論文が取り扱う地域やデータは異なるが,いわば「共通言語」として通底するのが世論調査データ,とりわけ個人を対象にした質問票調査に基づくデータの解析を軸に,テキスト分析を含む実証的な分析アプローチである。また対象国と中国との関係のみならず,調査対象者の地理的条件やアイデンティティ,経済状況,年齢などの幅広い要素を検討する地域研究の要素も加味されており,論者の対象国に対する深い理解が議論に厚みをもたらしている。
構成は次のとおりである。まず序章で本書の執筆に至った経緯と目的を紹介し,第1章では中国の台頭に対する2005年から2018年にかけての海外の反応を分析した。第2章ではアメリカで全国的に収集したデータをもとに,米中の貿易摩擦に対するアメリカ市民の見方を考察した。第3章はニューヨーク・タイムズの26万7907本におよぶ記事を対象にテキスト分析を行い,メディアによる世論形成を論じた。第4章は日本で対中認識が改善に転じない要因について,中国からの経済的な恩恵を実感できるか,中国の対外行動が平和的とみなされるかの2点が決定的であると指摘した。第5章は香港と台湾の対中認識を比較し,2019年から2020年にかけて両地域での中国本土に対する見方が急激に悪化した内実を考察した。第6章はフィリピン人のなかの「中国人」が必ずしも中国国籍の人間を指すわけではないことをふまえて,フィリピン社会に中国(人)嫌悪が拡大した要因を検討し,第7章は新型コロナウィルス感染症の広がりを受け,OECD加盟国の対中・対米認識が悪化したと考察した。終章は本書の意義とこれからの課題をまとめている。
各章で用いられる調査データが多岐にわたる点も興味深い。ピュー・リサーチ・センター(第1章),ナレッジパネルを利用したサンプリングと調査(第2章),ニューヨーク・タイムズ(第3章),アジア学生調査と独自の「コロナ後の世界秩序に関する意識調査」の併用(第4章),台湾と香港における電話調査「中国効應調査」(第5章),フィリピンでのアジア学生調査(第6章)などである。コロナ禍もあって中国での世論調査は以前より難しくなったと考えられているが,国外の調査データやオンライン・サンプリングを用いた考察は可能である。つまり本書の重要な意義は,終章でも述べられているように,多角的なデータ解析の可能性を提示した点にある。
他方で,考察のナラティブに若干の違和感を覚える部分がある。第2章の仮説4aに示される「中国を独裁的で共産主義的な統治と見なす者に比べ,中国の民主主義は機能していると見る者は中国に好感を持つ」とする記述(54ページ)や,「文化と民主主義に関するニューヨーク・タイムズの報道には(中略)中国の民主主義を肯定的に論じたりすることはほとんどない」との考察(98~99ページ)は,「中国の民主主義」の存在を前提としている。中国の政治制度については,既存の比較政治学に照らして権威主義体制の一形態とみなすのが一般的である。だが,習近平政権が中国国内で独自の社会科学理論を普及させていることと相まって,これからも中国との共同研究においては,こうしたナラティブの相違がしばしば表出することになるだろう。第1章には「西洋諸国では,中国の民主主義は低い水準にあると(正しかろうと間違っていようと)広く考えられている」との記述もあり(24ページ),執筆陣はこの相違を認識しながら章ごとに異なるナラティブを容認したのではと感じた。
本書刊行後の2022年2月にはロシアのウクライナ侵攻が始まった。世界的なインフレも進み,国際情勢は政治的にも経済的にも変動している。本書で推奨された世論調査に基づく研究アプローチによって,今の国際世論はどのように解析されるのだろうか。引き続いての検討を期待したい。