アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
紹介
紹介:アンソニー・リード著,太田淳・長田紀之監訳,青山和佳・今村真央・蓮田隆志訳『世界史のなかの東南アジア――歴史を変える交差路―― 上・下』
名古屋大学出版会 (上)2021年 ix+380+6ページ (下)2021年 vi+381~712+46ページ
末廣 昭
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2022 年 63 巻 4 号 p. 102

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この本は素晴らしい作品である。まず原著がよい。これまでの「東南アジア通史」のどれよりも独創性に富んでおり,歴史を描くことはすぐれて構想力の産物であることを彷彿とさせてくれる。次に翻訳が秀逸である。2名の監訳者,3名の訳者だけでなく,東南アジア史研究に携わってきた大勢の日本人の研究成果が惜しみなく投入されている。

著者のアンソニー・リードは,オーストラリア国立大学(ANU)で長く教鞭をとった歴史家である。『商業の時代の東南アジア 1450-1680年』(全2巻,1988年,1993年)で,大航海時代の東南アジア史像を塗り替え,その後は一貫して東南アジア史研究のパイオニアの役割を果たしてきた。

さて,本書の特徴は大きく分けて3つある。

第1は,『商業の時代』の記述を特徴づけるアナール学派の全体史アプローチを継承して,紀元前の時代から21世紀まで長期間にわたる東南アジアの歴史を3層構造として描き出した点である。最も動きが少ない基層の世界(気候変動,人口動態など),緩やかな変動を伴う経済と物質文化の世界(交易と環境に規定された住まい,服装,食事,嗜好品),変動の大きい政治的出来事という3つの世界を,多数の地図や図版とともに生き生きと描いた。東南アジアは熱帯湿潤地域に属するため安定した季節風が吹き,これが同地域を世界の交易の一大交差点にすると同時に,火山の爆発がグローバルな気候変動の原因となったという主張は説得的である。

第2は,従来の東南アジア史がとってきた「王朝年代記」的な縦割りの記述を徹底して排除している点である。交易と経済活動(長い16世紀,17世紀の危機,商業への回帰),政治の変遷(憲章の時代,鉄砲国家,植民地化と抵抗),宗教の受け入れと定着・混淆,ジェンダーの役割の変化など,テーマごとに章を立て,章の間で時間と空間を自由に行き来しながら時代の大きな流れを捉えようとしている点である(訳者解説[700~701ページ]に掲載された一覧表も参照)。もっとも,各地域の王朝や統治の動きは相当克明に描かれている。索引を頼りに拾うと,登場する人物の数は379名を数え,そのうち75名が国王,皇太子,スルタンであった。著者の記述は政治的事件の無味乾燥な羅列ではなく,関与した人物1人ひとりの個性を描き分けている。

第3は,そしてこれが最大の特徴であるが,著者は東南アジアを政治・経済・宗教・言語がばらばらで統一性のない地域とはみなさない。また,セデス以来の解釈であるインド化と中国化の影響を受けた受け身の混合社会とも捉えない。あくまで東南アジアを過去も現在も「独自の地域」であると同時に,無限の多様性に満ちた空間と捉える。その理由を次の点に求める。①この地域の地殻プレートの衝突が世界全体の気候と人類の生存を直接左右してきたこと,②女性が経済的にも社会的にもより自律的であったこと,③東南アジア社会には「国家」と異なる仕組み=非国家社会が広く存在したこと。この3つがあったがゆえに,東南アジアは世界史上の重要な交差路になってきたと主張する。逆に,近代化の進展や法律官僚制国家の成立は,②と③の領域を限りなく狭めていくプロセスでもあった。

アイディア満載の原著の翻訳作業では訳語にさまざまの工夫がなされている。「農民」(farmer)から「農民」(peasant)への移行を示すpeasantization は「農民の非自律化」と訳し,宗教,国語,民族で生じたvernacularization(土着化)は「民俗語化」と訳している。また,巻末には重要な分析概念(マンダラ国家など)や事件について簡にして要を得た解説をつけるとともに,本文のなかにも随所に読者の理解を助ける短い訳注がつく。人名,地名も当該地域の発音に正確に従っており,各国各地域の歴史研究に従事してきた日本人研究者の知識が総動員されている。その意味で,原著とともに翻訳書としても第一級の作品であると高く評価したい。

 
© 2022 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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