アジア経済
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特別連載
インタビューで知る研究最前線
第7回 第43回アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞 受賞記念インタビュー「論文から単著をつくるまで」
堀内 義隆下條 尚志川上 桃子青木(岡部) まき池上 健慈
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2022 年 63 巻 4 号 p. 61-80

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はしがき

アジア経済研究所では,1963年から日本の発展途上国研究の水準向上と研究奨励を目的に,途上国研究に関する優秀図書や論文を選定・表彰してきた。1980年にそれまでの「優秀論文賞」から「発展途上国研究奨励賞」に名称を変更してからは,社会科学あるいはその関連分野の観点から調査・分析した著作を中心に選定している。

今回の研究者インタビューでは,2022年度「第43回アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞」の受賞者2名にご登壇いただき,受賞の喜びをうかがうと同時に,複数の論文を1冊の本にまとめるまでの経緯や苦労などについてお話をうかがった。堀内氏と下條氏は今回の受賞まで面識はなかったものの,経済学をバックボーンにもちつつ独自の研究テーマにたどり着いている点や「インフォーマルなもの」の領域に関心を寄せてきた点など,少なからぬ共通点が浮き彫りとなり,受賞者同士のクロストークも活発に行われた。

旬の研究者が「本づくり」にどう向き合っているのか,生の声を聞ける機会はそう多くないだろう。インタビューの最後には,若手研究者や学生に向けた本づくりのアドバイスも寄せていただいたので,読者の参考になれば幸いである。

編集部 今回は,「第43回アジア経済研究所発展途上国研究奨励賞」を受賞された堀内義隆さんと下條尚志さんをお招きして,受賞作の執筆経緯や研究者としての本づくりへの向き合い方についてお話をうかがっていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

まずは受賞者のお二方から,受賞のご感想をお聞かせいただけますか。

堀内 三重大学の堀内です。本日はお声掛けいただきありがとうございます。受賞は率直にうれしかったですし,大変光栄なことです。ただ,びっくりしているというのが正直なところで,なぜ自分の本が選ばれたんだろう,という気持ちのほうが強いです。

編集部 堀内さんの受賞作『緑の工業化――台湾経済の歴史的起源――』は,ハイテク産業をけん引する現在の台湾経済のルーツが,植民地期から続く農村での工業化・機械化にあったということを体系的に明らかにした著作です。ご自身ではどの点が評価されたと思われますか。

堀内 具体的に何が,というのはわからないのですが,受賞式の講評で挙げていただいた点についてはありがたく受け止めています。とくに小農社会のなかの工業化を論じた本書の第4章や,農村における帽子産業の発展を書いた第5章などを評価していただいたことについては,非常にうれしく感じています。本書のベースとなっている論文を発表したときにはほとんど反響がなかったところだったので,そこが評価されたのはうれしかったです。

編集部 下條さんは受賞作『国家の「余白」――メコンデルタ 生き残りの社会史――』で,現地調査と民族誌的資料をもとに,メコンデルタを「国家が介入しにくい空間」として特徴づけました。同書はすでに第25回国際開発研究 大来賞や第38回大平正芳記念賞も受賞されていますが,今回はどう受け止めておられますか。

下條 神戸大学大学院の下條です。本日はよろしくお願いします。「発展途上国研究奨励賞」は私が学生時代から尊敬している研究者が数多く受賞されてきた賞なので,その系譜に拙著が加わったことを誇りに感じています。

私も堀内さんと重なるところがありまして,自分が一生懸命書いた論文があまり引用されてこなかったんですね。この本も注目されるとは思っていませんでした。こういうかたちで評価され,より多くの人に読んでいただける機会が増したことを心からうれしく思っています。

編集部 下條さんは,受賞作のどの点が評価されたとお感じですか。

下條 分厚さだけは誇れます。いろんなことを盛り込みすぎて,全体で550ページくらいある分厚い本になってしまったんです。扱っているトピックも多様で,この本に対する書評も人それぞれ,といったところでしたね。

ベトナム戦争期に人々がどう徴兵から逃れようとしていたかについて書いた第7章は,自分としてもかなり力を入れてインタビューしたところで,そこを評価されたことはうれしかったです。ベトナム戦争はやや古いテーマなので,読者の関心を引くものとは思っていませんでした。

編集部 受賞の知らせはどのようにもたらされたのでしょうか。

堀内 私の場合は大学の広報から,「アジア経済研究所の人が私に連絡を取りたがっている」というメールがきたのが最初です。そのメールにこの賞のことで連絡したいと書かれていたので「もしや」とは思いましたが,ぬか喜びはよくないと思って慎重に連絡をしたのを覚えています。

下條 私はダメ元で自薦をしていましたが,受賞の知らせの電話がアジ研の担当の方からかかってきたときは驚きました。他の機会に出版関係者の方や知り合いの先生方にご推薦いただいたことはあったので,他薦の可能性もあるのかなと思っています。

編集部 ありがとうございました。ここからは受賞作やこれまでの研究経緯についてお話をうかがいます。聞き手として,『アジア経済』編集委員からそれぞれのご専門に近い2名が質問をさせていただきます。

『緑の工業化』にたどり着くまで

川上 アジア経済研究所の川上です。台湾を中心とする東アジアの産業発展の実証分析を行っております。堀内さん,本日はどうぞよろしくお願いいたします。

まず,一読者としてこの本の魅力をお伝えしたいと思います。『緑の工業化』は広範な資料を駆使して,日本植民地統治期,なかでも1920-30年代の台湾農村部で発展した零細工業の実態を明らかにし,先行研究が注目してきた製糖業や軍需工業とは異なる「もうひとつの工業化」のダイナミズムを生き生きと描き出した労作です。植民地経済史,それからもちろん台湾の地域研究といった複数の分野にまたがる成果ですね。非常に禁欲的な手法で書かれながらも奥行きと広がりをもち,さらにきびきびとした筆致と練られた構成によって,単調になりがちな記述統計を読みごたえのある著作に仕立て上げておられます。

堀内 ありがとうございます。

川上 さて,この本は2000年代以降,足掛け10数年にわたって発表された7篇の論文がベースになっています。今回,それを下地にして一冊の単著に組み上げるというプロセスを経験されたわけですが,そのご苦労や楽しさなどを含めて,ご経験を振り返っていただけますか。

堀内 私は長らく,1冊の本にまとめるという気持ちが湧きませんでした。それぞれの論文は世に出たわけですので,それを新たにまとめ直すとなれば何か付加価値が必要だろうと思っていたんです。その付加価値が見いだせるまでは単著は書けないだろうと意識していました。

ところがいつになっても納得できるような付加価値なんてみつからない。どこまでいっても「中間報告」にしかならないことにあるとき気づきました。自分をいったん納得させて,無理やりにでも単著にしようと思い立ったんです。

出版の直接のきっかけになったのは,私の後輩が名古屋大学出版会の助成制度をすすめてくれたことでした。粗い原稿を書いて応募してみたところ運よく認められて。ただ,編集者の方からはいろいろと注文をいただきました。少なくとも序章と終章は全面的な書き直しが必要でしたし,章の構成もかなり変えました。私はとにかく原稿離れが悪くて,編集者の方にずいぶんご迷惑をおかけしたのですが,励ましの言葉や原稿に対するコメントがありがたかったです。督促をかけられるということがこれほど励みになるとは思いませんでした。

堀内義隆氏

三重大学人文学部准教授。1973年京都府生まれ。京都大学大学院経済学研究科にて博士(経済学)取得。2009年より現職。主要著作にEconomic Activities Under the Japanese Colonial Empire(Springer Japan,2016年),『東アジア高度成長の歴史的起源』(京都大学学術出版会,2016年)など(いずれも分担執筆)。専門は経済史(工業化)。

川上 論文はレフェリーの力を借りながら世に送り出すものですけれども,単行本になると編集者とのインタラクションが非常に大事になってきて,それが執筆の原動力にもなってくるわけですね。ちなみに,編集者からはどのようなコメントがありましたか。

堀内 最も重要なところでいうと,個々の論文,つまり各章のなかで示されているような豊かな内容が,この序章では読者にちっとも伝わらないと。本というのは身内の人だけではなくて,異分野の人にも伝わるようにしなければなりませんよ,というアドバイスでした。

川上 結果的には専門の近い読者が読むんでしょうけれど,本にする段階で間口を広げるという作業がやはり必要で,研究者が自分ではなかなか踏み出せないところへ編集者が背中を押してくれるということなんでしょうね。

堀内 そう思います。

テーマか? 資料か?

川上 これは地域研究であれ歴史研究であれ実証的な分析をするときに共通する問題だと思うのですが,興味を惹かれて分析したいと思うテーマと,それを書くために必要な資料が分析に耐えるかたちで存在しているか,入手できるか,という現実の兼ね合いに悩まされます。とくに歴史研究の場合には,資料の在りようによってできることが決まってくる,しかしそれだけにこだわっていると面白いテーマができるとは限りません。

堀内さんは,テーマ主導型,資料主導型というふうにわけるとすると,どのような兼ね合いで研究を進めてこられたのでしょうか。

堀内 私のまわりの経済史,あるいは歴史研究者をみていると,やはり資料があるから書けるという側面が非常に強いようです。新しい資料がみつかったからその資料を素材として何らかのテーマを立てるという傾向が強い。

私の場合は資料もテーマも両方あるのですが,テーマのほうが大きかったと思います。最初にこういうことを明らかにしたいという気持ちが強かったです。植民地工業化についていえば,先行研究では植民地下の朝鮮で工業化が進んで,それが戦後韓国の経済発展の基礎となったという議論を大学院生のときに学びまして,じゃあ台湾ではどうなんだろうということで調べてみたら,植民地の台湾で工業化が進んだという議論はその当時ほとんどなかったんですね。朝鮮と台湾でなぜそんなに違うんだろう,というのが出発点でした。

いったん研究を始めると,集めた資料を読み込んで統計資料を分析していくという伝統的な歴史研究の基本というものがありますので,資料に規定されて研究が進んでいったという側面が強いと思います。

過去の資料を加工して事実をあぶり出していく作業は非常に面白かった一方で,途中でテーマが行方不明になることもありました。一体自分は何をしているんだろうと思うことがあって,よく立ち止まったものです。

タイトルは変わっていく

川上 途中でテーマが行方不明になってしまっても,本を書き進める過程でそれをふたたび手繰り寄せることができる,といった側面もあるのでしょうね。

つぎに,受賞作のメインタイトルについてうかがいます。『緑の工業化』ってとても印象に残りますよね。台湾研究者である私にとっては,台湾の農村に起源をもつ工業化を『緑の工業化』と呼ぶことにも違和感はありませんでした。ところが受賞時の講評では,タイトルが「意味不明」と指摘されてしまって。このタイトルになった経緯はどうだったのですか。

堀内 受賞式でタイトルが意味不明といわれたときは,さすがだなと思いました。学術的な概念ではなく,象徴的な意味合いをもたせたタイトルだったのを見抜かれたと思ったからです。

私が最初に助成に応募したときのタイトルは,『台湾工業化社会の形成』でした。これは最終的に序章のタイトルになりましたが,私としてはこういう地味なタイトルのほうが学術書っぽいと思っていたんですね。出版社のほうもそれで問題ないということでしばらくはそのままだったんですが,もう大詰めといいますか,2回目の校正が終わるころになって出版社からタイトルについてもう一度相談したいという話がありました。出版まで2カ月を切ったころのことです。出版社側としてはもともとのタイトルでは台湾に興味がある人しか読んでくれない,台湾に興味がない人にも訴求できるようなタイトルをつけたほうがいいということでした。

これには相当びっくりしました。自分のタイトルでいけると思っていましたし,最終段階でタイトルを変えるということにかなり抵抗がありました。出版社側からもいくつかのタイトル案をいただいたのですがどうも納得できなくて,近くにいた人にも相談しながら最終的には自分から『緑の工業化』でどうか,という話をしたんです。出版社から相談をうけてからわずか4日間のことなんですが,とてつもなく長い時間に思えました。

川上桃子

『アジア経済』編集委員長。アジア経済研究所地域研究センター上席主任調査研究員。専門は台湾を中心とする東アジアの経済発展,産業研究,台湾地域研究。

川上 面白いエピソードですね。研究者としては禁欲的なタイトルをつけたくなるでしょうし,一方でより多くの人に届けたい出版社としてはキャッチーなタイトルがほしい。そのせめぎ合いのなかで堀内さん自身が『緑の工業化』というタイトルに行き着いた経緯に,本と論文の違いというものを実感します。

さて,本書についてもう少し掘り下げてうかがいます。私自身は台湾経済を研究する地域研究者として,この本を読みながら,現代台湾経済の特徴の歴史的起源をいくつも掘り当てる思いがしました。とくに,日本が持ち込んだ産業の担い手が台湾人に急速に置き換わっていくというプロセスは,戦後も多くの産業で起きたもので,これがすでに植民地期から繰り返し起きてきたという発見は非常に面白いと感じました。あとは北部・中部・南部の3つの経済圏がわりと自立的な経済圏となっているころですとか,兼業農家の多さ,世帯や個人の高い経済合理性ですとか,現代台湾経済の個性をみている者として,その歴史的な淵源をみる思いがしました。

逆に言うと,堀内さんは現在の台湾経済を横目でみながら歴史を研究されたわけですよね。この本のファインディングと,現在の台湾経済の特徴とのあいだにどんなつながりがあると思われますか。

経済史と地域研究のはざまで

堀内 研究をしている過程で現代の台湾を見聞きしていくなかで,やはり非常に小規模な主体の活力といいますか,屋台のような小さな露天商や小さな個人商店が台湾にはたくさんあって,それがわりと好き勝手にやっているなという印象を抱きました。そこは日本とかなり違う台湾の個性だと思っています。日本も中小企業が大多数を占めますが,秩序の在り方がかなり違うような気がします。その歴史的淵源を明らかにしたいというのが,私が中小企業や零細的主体に注目したきっかけになったと思っています。

経済史であれ経済学であれ,経済理論というものがあるわけですよね。その経済理論を使ってその地域の経済を理解する。それから逆に歴史そのものを理解したいという立場といいますか,経済理論を使いたいというよりはその社会そのものを経済面から理解したいという動機が強い場合もありうると思うんですね。そのバランスをどうとるのかが私にはとても難しかったです。私はもともと経済学部出身なので経済理論の勉強をしていました。大学院に進学してからは歴史研究に入って,徐々に経済理論から離れていったんですが,最初はそのバランスをどうとるかということにかなり苦しみました。理論的な普遍性ということと,地域の特殊性ということをどうバランスをとって合理的に理解していくか。それは現在でも日々悩んでいるところです。

川上 その悩みは地域研究者も共通して抱えています。その意味で,歴史研究と地域研究を無理して分けることにはあまり意味がないのかもしれません。両者は地続きなんだなということを強く実感した次第です。

つぎに,これも地域研究者としての質問なのですが,日本をベースとする我々が台湾経済を研究することには有利な点もあれば不利な点もありますね。とくに台湾のように現地での研究水準が高く,次々と新しい研究が発表されるような地域を対象として,外国をベースとしながら書いたり考えたりすることには難しさがあるように思います。日本で台湾経済史を研究するということの有利な点,不利な点をどのように感じていらっしゃいますか。

日本で台湾経済史を研究するということ

堀内 何よりも台湾はかつて日本だったということが大きいですね。私の研究範囲の資料は日本語ですし,日本国内にも資料が残っていますので,貧乏学生の身にはとても助かりました。

もうひとつは対象を客観的にみることができるという点です。私が歴史研究を始めたくらいの時期にちょうど台湾で歴史資料の公開が始まって,そこからものすごく内外の研究が進んだというのがここ20年くらいの動きなんですが,台湾の研究者はとにかく台湾のことを知りたい,という欲求が強いです。私のように台湾を外国として研究している者からすれば,台湾はたくさんある社会のうちのひとつで,他の社会との比較というか,世界的にみて台湾がどういう特徴と意味をもつのかという視点をもてるというのが有利な点かなと思います。

他方,不利な点としてはやはり現地感覚が欠如しているということでしょう。下條さんのように現地に入り込んでインタビューすべきだろうと思っているのですが,それが自分はできていません。

川上 たしかに台湾では,特異な国際環境や,歴史的な背景などもあって,「台湾とは何か」ということに対する探求心が非常に強いですね。外国をベースとして台湾を研究する者ができる貢献というのは,たとえば,とかく台湾の個性として描かれがちなものを,もう少し普遍的なものとして提示することなどのほうにあるのだろうと,いまの堀内さんのお話を聞いていて共感するものがありました。

さて,この本は社会経済史,アジア工業化論の成果でもありますが,近年の研究動向からみて,堀内さんのお仕事の貢献や,やり残した課題があればお聞かせください。

堀内 私はアジアの経済発展,とくに1970年代以降の東アジアの経済発展を歴史的文脈のなかで理解したいという意識でやってきたので,日本,台湾,韓国を並列にみて比較できればいいと思っていました。日本や韓国に比べると,台湾の歴史研究はそういう意味で非常に弱かったということです。自分が貢献できたことといえば,東アジアの経済発展という比較研究をするうえで一番手薄だったところを補うことができたということかなと思っています。

東アジアの社会経済史の枠組みでの大きな動向としては,中国の経済発展というものが非常に大きなインパクトを与えていると感じます。私が研究を始めたころはようやく中国がWTOに加盟して経済発展をしはじめたころで,そこまで中国の経済発展のインパクトは強くありませんでした。ですので私の興味も台湾や韓国の経済発展を理解するほうに傾いていったわけですが,それから20年以上経って,やはり中国を含めた東アジアの経済発展をどう理解するのかということが,歴史研究者の間でも課題になってきていると感じます。

誰に向けて書くか

川上 受賞式の講評のなかで,英語の研究をあまり引用しておらず国際性に欠けている,面白い研究であるのにもったいないという指摘がありました。一般論として,英語で書くべきというのはそうだなと思うのですが,堀内さんにとって,この本に結実する研究を進める過程で思い描いていた読者とはどういった人たちだったのでしょうか。

堀内 もとになった各章の論文は,やはり非常に限定された近しい分野の研究仲間に向けて書いたということになりますね。顔見知りといってもいいくらいの近しい研究者が納得してくれれば,きっと信頼性もあるんだろうと。逆にいえばその人たちからケチをつけられないようにしてきたということでもあります。

単行書に関しては誰に向けてというのはないのですが,やはり読者層を広げるということが課題になりましたので,編集者の指摘もふまえて,専門外の人が知らないだろうというようなところはしっかり説明するようにしました。

英語の問題ですが,これはもう私のエネルギーの配分次第としか言いようがありません。もちろん英語で発表すれば読者が一気に広がるかもしれませんが,そこにどれくらいエネルギーを割きたいかということに尽きます。

私自身が植民地を研究してきたこともあって,英語帝国主義といいますか,言語がもつ思考にとっての規定性みたいなことも意識してしまうのです。理系の学者であれば英語で論文を発表するのが当たり前だとか,経済学の世界でも最近は英語じゃないと業績として認められない,みたいな風潮がありますよね。それに対する反発めいたものが私のなかにあります。もちろん英語で発表すること自体には賛成なのですが,まずは日本語で考えて日本語で書きたいというのが本音です。

川上 個々の論文が数人に向けた手紙だとすると,単行本にするときには少なくとも数百人,千人を超える人たちに届けなくてはならない。そのときの生みの苦しみというのが,タイトルや,序章や終章をめぐるご苦労に現れたのだろうなと思いました。ありがとうございました。

編集部 堀内さん,川上さん,ありがとうございました。せっかくですので,受賞者のおひとりである下條さんからもいかがでしょうか。

下條 神戸大学の下條です。ご著書のなかで触れられた稲作農村の市場経済化や工業化という問題は,私の著作でも20世紀後半における緑の革命という文脈で触れているところがありまして,そこは堀内さんと重なるところがあるんじゃないかと思いました。市場経済化していくなかで,農業の機械化とともに人と人との関係が変わっていくというところはすごく関連があると思います。農村の近代化という問題を考えてきたという点では,私と堀内さんは問題意識を共有しているところがあると感じました。

そのうえで,ご著書のあとがきのなかで,一般的な労働者の家庭に生まれ育ったことや東日本大震災や原発をめぐる体験がご研究にもたらした影響について触れられていました。そうしたこれまでのバックグラウンドがご著書にどう影響しているのか,お聞かせいただけますか。

受賞作2点

(左)堀内義隆著『緑の工業化――台湾経済の歴史的起源――』(名古屋大学出版会,2021年)

(右)下條尚志著『国家の「余白」――メコンデルタ 生き残りの社会史――』(京都大学学術出版会,2021年)

人生経験とテーマ選択

堀内 ありがとうございます。やはり一般的な労働者であるサラリーマン家庭に生まれ育ったということは,近代社会を理解するうえで労働市場の形成というものが重要なんだろうという,テーマ選択のところに大きな影響を及ぼしたと思います。

台湾もやはり労働市場が戦後大きく変わりました。小農中心だったものがだんだん賃金労働者に変わっていったわけです。私もサラリーマン家庭で育ってきたので,どういうふうにサラリーマン社会になっていったのか,サラリーマン社会になっていくことでそれ以前の農村社会でつくられてきたものをいろいろと壊してきた側面があるのではないか,そういう問題意識がテーマ選択に影響したように思います。政治的エリートや大企業のトップではなくて,どちらかといえば民衆の歴史に関心が寄っていったというのは,そういうバックボーンがあったからなのかなと思います。

東日本大震災については,研究へのマイナスの影響しかありません。大震災がなければ,もう少し早く本が書けていたのではないかと思います。そのころ,ちょうど自分の子供が生まれたということもあって学会活動からも離れて子育てにシフトしていたんです。そこで原発危機みたいなことが起きたものですから,台湾の工業化なんて研究している場合なんだろうかという気持ちになってしまった。そこからしばらく迷走していた時期がありましたね。

下條 先ほど,台湾には露天商みたいな商売をされている方が多いというお話がありました。これは私が研究しているベトナム,東南アジア,おそらくアフリカも,そういうインフォーマルな経済がすごく強いという意味で共通するものを感じます。

先々週,3年ぶりにベトナムに行ってきたばかりなのですが,しばらく国家によって禁止されていた露店が,コロナ禍の終息とともにまた一斉に復活していました。ああいうところは,たしかに国家がすごく権威主義的で抑圧をするんですが,それがゆるんだときに自由にできる幅が日本よりはるかに大きい気がします。それを考えると,日本はその幅がすごく狭いなというのは,つねに思うところです。日本もかつてはもう少しインフォーマルな経済の領域というものが広かったのだと思うのですが,それがさまざまな形で封じられてきて,いつの間にかそれが当たり前のように認識されてきたというのがあるんじゃないかなと思いました。

堀内さんが台湾に対して感じられたことというのも,インフォーマルなものの領域というのが広いというか,初めて台湾に行かれたときなどにそういうものを感じられたのでしょうか。

堀内 そうですね。まさに今おっしゃったインフォーマルなセクターというものが非常に分厚く存在していました。ただ25年くらい台湾をみていると,そういった領域がだんだん狭くなってきているのを感じます。日本と同じように,お行儀がよくなってきている。それは台湾独自の特徴というより,近代化を経験した社会の何らかの特徴として理解していくべきなのかもしれません。

編集部 ありがとうございました。続けて,今度は下條さんの受賞作についてお話をうかがいます。青木さん,よろしくお願いいたします。

「国家の余白」に至るまで

青木 アジア経済研究所の青木です。下條さんの受賞作を拝読しました。読者の代表として思うところをお尋ねしていけたらと思います。どうぞよろしくお願いします。

まず受賞作のタイトルについてお聞きします。『国家の「余白」』というメインタイトルも魅力的ですが,私はサブタイトルの『メコンデルタ 生き残りの社会史』に本書の内容が集約されていると感じました。メコンデルタと呼ばれる土地を舞台に,国家によるシステマティックでスタティックな統治の対象になりながらそれが適用できない,国家のなかにありながら国家ではないものとして存在してきたメコンデルタの社会を,「生き残りの社会史」として分析していらっしゃいます。非常に詳細で分厚い民族誌として描き出している点が魅力的です。

同じ地域で起きた冷戦,社会主義改造,あるいは市場化といった大きいトピックで語られがちだったこれらのテーマについて,そこに生きる人々が,そこに起きる現象や国家の行為に対してどう生き延びるか,という視点から描き出した点がこの本の一番の魅力だと感じました。

まずおうかがいしてみたいのは,国家による支配の試みから生き残る,あるいは国家による支配の試みとそれに対する抵抗の軋轢を本書の主題としてとり上げるに至った経緯です。

下條 本書のきっかけは学部時代にさかのぼります。当時,ベトナムのタンソンニャット空港経由でカンボジアを1週間ほど旅行しました。大学生にありがちなごく普通の旅で,ただ単にアジアに行ってみたいという漠然とした想いでしたが,2000年代の初めごろはまだカンボジアにはポルポト政権の傷跡,UNTAC(国連カンボジア暫定統治機構)の名残りのようなものが感じられる時代です。一見すると平常に戻っているんですけれど,まだ地雷も埋まっていましたし,ベトナム戦争の名残りがみえる社会でした。関心が深まって,帰国してから独学でベトナム戦争やポルポト政権について調べていくうち,ベトナムとカンボジアを合わせて考えてみたいと思うようになったのがきっかけです。

この2つの国家をみていくためには,国境とか少数民族に注目するほうがいい。そういう研究ができる大学院に進んだわけですが,それからさまざまな本を読んでみても,2つの国をめぐって南ベトナム解放民族戦線とかシハヌークとかロンノルとか,政治の中枢にかかわることを扱う研究者はすごくたくさんいるのに,市井の人々がその時代をどう過ごしていたのかということについてはわかりませんでした。現地に行って私が感じたのは,どうしてあんな大きな社会変動を経験したのにみんなあっけらかんと生きているんだろうという素朴な疑問で,そうした視点が当時の研究に不足しているんじゃないかと感じたんですね。1990年代まではフィールドワークをするのが困難だったという事情もありますし,時代としてもとりわけベトナム,カンボジアというのはナショナリズムに対する関心が非常に強かったので,それが研究の傾向にも影響していたんだろうと思います。

青木 東南アジアの地域研究,とくに政治を扱う研究者のなかではナショナリズムというのが不可避の大きなテーマで,過去から今に至るまでそれは変わっていません。分析のレベルはいろいろありますが,ナショナリズム,民族あるいは国家的な何かについて語ることがとても多い印象があります。そのなかで,本書はフィールドワークも困難な一般の人々,それも国と国の境をまたいで暮らす人々を取り上げるにあたって,密着型の調査をされている。私が好きなのは,この本に登場する当事者(インタビュイー)の発言がとてもリアルで,声が聞こえてくるように生き生きとした描写になっているというところです。

各方面からさまざまな反応があったのではないかと思いますが,下條さんの印象に残っている反応がありましたら教えてください。

予想を超えた読まれ方

下條 まず,アジア経済研究所から今回の賞をいただいたということが驚きでした。政治・経済系の審査員の方が多いなかで,私は経済学部出身といいながら経済になじめずに地域研究に移った人間です。むしろ政治や経済ではないところをみようとしてきたわけで,そんな私の著作を選んでいただいたというのは本当にうれしかったです。

拙著に対してはさまざまな講評や書評をいただきました。この本はいろいろなことを書きすぎてまとまりがなかったんじゃないかと思っているんですが,そのぶん多様な読まれ方をしているという実感もあります。たとえばベトナム戦争に関心のある方からは『国家の「余白」』というタイトルより,『なぜアメリカはベトナムに負けたのか』というようなタイトルのほうがいいといわれましたし,「移動する人々」に関心を寄せてくれた方からは,東南アジアの海域社会と重なる部分があるんじゃないかというご指摘もいただきました。ベトナム戦争時の徴兵逃れの話について,最近ベトナムで話題になった映画で同じようなことが描かれていたと教えてくれた方もいました。チン・コン・ソンというベトナムの反戦音楽家の生涯を描いた伝記映画です。

これが論文だったら,まとまりを欠いているものはよくないと思うんですね。ひとつのトピックに対してひとつの問いとひとつの答え,というのが論文のセオリーだと思うんですが,単行書の場合はある程度自由に書けます。私はこちらのほうが向いているかもしれないと思いました。

下條尚志氏

神戸大学大学院国際文化学研究科准教授。1984年東京都生まれ。2007年慶應義塾大学経済学部卒業,2015年京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科にて博士(地域研究)取得。2021年より現職。主要著作に『戦争と難民――メコンデルタ多民族社会のオーラル・ヒストリー――』(風響社,2016年)など。専門は歴史人類学,東南アジア研究。

青木 先ほど堀内さんに「誰に向けて書いたのか」という質問がありましたが,この本はもっているトピックを広く提示したところ,それに対して各方面から反応がきたということが望外の喜びだったということでしょうか。

下條 そうですね。ベトナム研究者,東南アジア研究者だけでなく,地域やディシプリンを越えて拙著のトピックが読者に響いたということがうれしかったです。

オーラルヒストリーと客観性

青木 本書は当時のメコンデルタを現実に生きた人々,国家からの生き残りを図った人々の声を丁寧に拾い上げているのですが,その際,オーラルヒストリーという手法に注意を払っておられます。オーラルヒストリーに加えて,公文書や当時の文献資料を使って確認し,非常に丁寧なプロセスを踏んでこれをひとつの資料として提示されたわけですよね。

このあたりは地域研究と歴史研究の関係を考えるうえでとても興味深いところです。地域研究として行う調査を,大きなフレームワークに乗せてより普遍的なテーマとして考えていくうえで,とくに注意された点,あるいは難しかった点はありますか。

下條 私がオーラルヒストリーという言葉を使い出したのは,学部時代に出会った清水透先生の影響です。清水先生はメキシコのインディオの歴史を研究されていたのですが,エリートではなく先住民の視点からみた歴史の考え方をされていて,私はそこに感銘を受けました。それから,オーストラリアのアボリジニの歴史実践を研究していた故・保苅実ほかりみのるさんの『ラディカル・オーラル・ヒストリー』という本にも影響を受けて,文化人類学に近い方法で歴史研究をするということに関心を抱くようになりました。こうした研究の視座からベトナムやカンボジアの近現代を問い直したいと思うようになったのです。

ただ私が用いているオーラルヒストリーは,語りを重視しつつも,聞き取りの精度をいかに高めるかということにも相当注力しました。これは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に進学して身についたもので,そこでは農学系とか人類学の人を中心に悉皆しっかい調査ということが重視されていたんですね。村人に全数調査をする,くまなくあらゆることを聞きまわるということなんですが,この経験は自分のインタビューの精度をすごく高めてくれました。文化人類学的なフィールドワークとともに,綿密で実証的かつ計量的な調査を折衷的にやっていくことで,裏付けがちゃんとできるようになったということなのです。

裏付けという意味では,アジ研には相当お世話になりました。現地調査から帰国後,何度も通ってベトナムの新聞資料をマイクロフィルムで読み続けていたんです。アジ研は日本で唯一,ベトナム戦争時代の南ベトナムの新聞資料が蓄積されている場所で,そこで集めた研究資料は私にとって不可欠なものでした。フィールドから考えたことが実際に文献にも載っていることを確認できたんです。現地調査をしたからこそ,それまで研究者が注目してこなかったことが新聞資料や公文書に実はたくさんちりばめられているということに気付くことができました。

青木 大学院で身に着けた研究手法が,本書の手堅い裏付けに生かされているということなんですね。京都大学の地域研究者にはそんなことまでやる?というところまで徹底した調査をされる方が多いという印象があったので,お話を聞いてなるほどと思いました。

ところで,本書が描き出している「国家の介入しにくい空間」というものは,統治能力が非常に弱い疑似国家のようなところで起きてくる話ではないかという見方もありますよね。そうした見方をしたとき,統治がいきわたらないとか,あるいはシステマティックな統治の制度ができないというような現象については,いわば「国家の不在」として議論するほうがこれまでは多かったように思います。それを本書は人々の能動的な営為に注目して,「国家の余白」という言葉で表現されたわけです。私はそこにオリジナリティがあり新たな普遍性が横たわっていると思っているのですが,たとえばこの本をもっと国際的に知らしめたいと思ったとき,この「国家の余白」というニュアンスは外国語でもうまく伝わるでしょうか。

青木(岡部)まき

『アジア経済』編集委員。アジア経済研究所地域研究センター動向分析研究グループ長代理。専門は外交,タイ,国際関係論,メコン流域,地域協力。

Intangible spaces

下條 ちょうどいま,拙著の英訳を目指しているのところなのですが,少なくともmarginではないだろうなと思っています。marginというと,どうしてもノートの端っこのようなニュアンスが出てしまう。私がこの本で言いたかったのはもっと国家の中心に近いところ,市場経済化された都市近郊でもこうした空間が浮かび上がってくるということを強調したかったわけなので,marginではそぐわないと思いました。

ある方は日本の京都にもかつて国家が介入できないような空間があったという史実から,秋田公立美術大学の岸健太先生が言う「absent spaces(不在の空間)」はどうかとおっしゃってくれました。日本発の研究としてオリジナリティを出せるかなと思いますが,日本語版を発行するときにつけた英語の仮タイトルは「intangible spaces(つかみどころのない空間)」にしました。英語版の話がもう少し進捗したら,もう一度よく考えてみるつもりです。

堀内さんと同じで,じつはもともとの日本語のタイトルは『国家の「余白」』ではありませんでした。青木さんのお見立てどおり,いまサブタイトルになっている「生き残りの社会史」のほうがメインだったのです。国家が何度そこに介入しても統治がいきわたらず,ベトナム戦争中も社会主義時代に限らず,市場経済化が進んだ社会でも人々は生き残りに奔走していく。そういう思いでそのタイトルが浮かんだのですが,出版社や査読をしてくださった先生から,本書全体を貫くような概念が必要ではないかと言われたんですね。そこで強調しようと思ったのが本書のなかで度々言及していた「国家の介入しにくい空間」です。たとえばお寺とか,精米所とか闇市とか非合法な越境ルートなどがあります。そうした空間が無数に広がっていくというイメージで,『国家の「余白」』というタイトルにしました。

青木 「余白」はmarginではないということをいまお聞きして,ジェームズ・C・スコットの『ゾミア』とは対照的な考え方だと感じました。スコットの場合は,国家の周辺に追いやられることで支配関係を拒絶する,そういう隔絶された空間がある,ということが注目されたのに対して,下條さんの著作は国家の内部にもそういうintangibleでつかみどころのない社会というものがあって,いたるところに人が逃げ込むことのできる空間があるために把握しにくさに拍車をかけている,ということを指摘しておられます。

その「把握されにくさ」については,下條さんの過去の著作でさまざまな表現をされています。難民や移動する人をめぐる社会にフォーカスしたご研究では,「出入り可能な社会」という呼び方をされていました。一目散に逃げ出す社会でもなければ,逃げたら二度と帰ってこられない社会でもない。出入りが可能な隙間というか,穴だらけの周辺があって,穴だらけであるがゆえにぎゅっと押し込むとみんな逃げちゃって捕まりきらない,特定の属性に回収しきれない多様な文化的・社会的背景をもった人々が一定のボリュームをもって存在していて,それがゆえに捉えどころもない。「混交的な多民族社会」という言い方もされていたと思います。それらが複合的に集まって,intangible spacesというものをつくっているんだと理解しました。

面白いのは,こういった自身の移動性というか混血性みたいなものを当事者たちが強く認識しているのに,自分たちの社会や国家をつくろうとはしないというところです。それをこの本では多民族社会,混血社会と呼んでいらっしゃるんですが,そんなにバラバラで捉えどころのないものが社会として成り立っていることが不思議に感じるんですね。これを社会たらしめているものは一体どういうものなのでしょうか。

“共謀”の記憶でつながる社会

下條 私自身は,現地の人々が国家をつくろうとしなかったというわけでもないと思っているんです。かれらは,ベトナム戦争時に国家は何の支援もしてくれなかったとか,農地改革のときは土地をもらってありがたかったとか,社会主義時代にはコメを大量に供出させられて何も残らなかったとか,でも最近の政府はいろいろやってくれてありがたいとか,そういうことをよく話します。だから人々にとって国家というのは大きな存在だったのであって,ゾミア的に国家から逃れたいというわけではなかったのかなと思います。

つかみどころのない要素があったために国家が成立しえなかったのだと思いますが,少なくともかれらが「信頼に足る国家」というものはそこに確立されなかった,国家はあまりに常軌を逸した要求をしてきたというのが大きかったのだろうと思います。ただ利益になるものであれば国家の政策を部分的に享受してきたのは間違いないでしょう。状況に応じて忌避してきたと。私の研究ではその忌避してきた部分が強調されているんだろうと思います。

社会たらしめているものということでは,もちろんナショナリズムの問題とか,近代以降は人々の所属する自分たちのアイデンティティというものがすごく重要だろうと思うんですが,それがなくても社会は成り立つんじゃないかと思うんですね。最近,アジ研の長田紀之さんたちが翻訳されたアンソニー・リードの『世界史のなかの東南アジア』という本のなかでも,東南アジアの社会はやはり混交社会なんだということが強調されていますし,たとえば文化人類学者がたくさん調査してきたアフリカも,国家がないといわれているところでも社会が存在しているということが明らかにされています。民族というものが必ずしも人々を統合する源泉になっているわけではないのです。

月並みな回答かもしれませんが,人々が過去の経験を共有してきたということが社会たらしめてきたものなんじゃないかと思うんです。昔は地主がいて小作料が負担になっていたとか,ベトナム戦争のときにみんな徴兵逃れで寺に逃げたんだとか,みんなで結託してコメを隠したんだとか,そうした辛くも懐かしい記憶を村人たちが共有しているということ,あるいは何かの企みを“共謀”したという経験を通じてお互いを信頼する関係性を築いてきたんじゃないかと考えています。

調査対象への還元について

青木 下條さんの研究を面白くしている要素のひとつに,外国人としてその土地に入って現地語を身に付け,研究対象に極めて近いところまで迫っていくということがあります。ただし,研究成果として書き上げる過程では,現地での経験を客観的にみていく視点が不可欠になります。つまり「仲間」から「よそ者」の視点に戻っていくわけですが,書いたものをあとで当事者たちがみたときに,思いがけないような反応が戻ってくるようなことはありませんか。

というのも,これまでは自分の書いたものについて,現地の人がそれをみて反応するという機会はあまりなかったと思います。それが日本語である場合はとくに。ところが最近は翻訳ソフトもあるしネットで簡単にアクセスできる。私は学生時代,マレーシア・サラワク州のイバン族という人たちのところにホームステイしたことがあるんですが,そこの人たちと私はいまフェイスブックでつながっています。かれらがいま何をしているのか私はわかるし,向こうも私がいま何をしているのかを同時に知っている。そうすると,私たちが書いたかれらの分析結果というものに,かれら自身が触れる機会が将来的には出てくると思うんです。そうしたときに,ご自身が書いたものについて現地の人がどういう反応をしてくるのか,そういった点を気にされることはありませんか。

下條 自分が当事者から集めてきたものをこう解釈してこういうふうに書きました,というかたちで現地に伝えていくことは重要だと認識しています。ただ,いまのところ私はそれができていません。アメリカのベトナム研究者のなかには,自分の著書をベトナム語訳するという方がけっこういますが,ただベトナムという国でそれをやるのはリスキーなことで,社会主義国ですから検閲もありますし,しばしば翻訳する過程で重要な部分が削られたりすることがあります。

かれらから「思っていたことと違う」と批判されるのを恐れているというより,ベトナムという国の倫理体系のなかでは,当たり障りのない住民のちょっとした語りでも国家反逆罪の対象になりかねないところがあって,そんなつもりで書いてないのに違うふうに解釈されてしまうことに一抹の不安があります。じゃあどうやって伝えていくべきなんだろうかというのは,正直なところまだ明確な回答を持ち合わせていません。とりわけ私の研究は個人を扱っているのでとくに注意を払わなくてはいけないなと思っていて,翻訳ソフトで簡単にアクセスできる英訳版を出す場合はなおさらですね。

編集部 ありがとうございました。今度は,堀内さんから下條さんへご質問はありませんか。

「違和感」の正体

堀内 下條さんのお話を聞いて,オーラルヒストリーの手法にいかに客観性をもたせるかという考え方がとても勉強になりました。かなり徹底的にやられているんですね。

ところで,下條さんは研究対象としてベトナムの非常に小さなエリア,フータン社というところに入り込んでオーラルヒストリーを紡いでこられたわけですが,そういったミクロな,非常に狭い対象であるフータン社の歴史と,ベトナム全体の大きな歴史を結びつけていくうえで,どういった工夫をされましたか。

下條 それが一番苦労した点です。これまでも,ベトナム研究者からは私の研究事例は特殊なものだからベトナムをまったく代表していない,という批判をよくいただいていました。たしかに,私がこのフータン社という場所を選んだのは,別にメコンデルタないしはベトナムを代表する村落だからではなくて,むしろかなり特殊な側面,たとえばクメール人や華人が多いという特殊性に関心があったからだと思います。ただ,民族が違うということでそこが特殊だと思われてしまうことにはすごく違和感がありました。かれらは同じようにベトナム戦争も社会主義も植民地主義も地主小作関係も経験しています。それなのに,民族が違うという1点だけでここはカンボジアに近い,ベトナムではありえない,などとカテゴライズされてしまう。この本で言いたかったことは,むしろそこが特殊であるとか普遍性があるとかいうことではなくて,ある種の学問が作り出したカテゴリーによる見落としを大きな歴史とミクロな視点とを組み合わせながら明らかにしていきたいということでした。だからこそ,ミクロな事例に徹底して客観性をもたせるという努力をしたわけです。

堀内 ありがとうございます。私は,日本の地方史とか郷土史とよばれているものがただ単にその郷土だけの特徴を描き出しているのをしばしば目にしてきたので,「そうではない事例」としてこの本を興味深く読ませていただきました。

下條 そういっていただけるとうれしいです。ありがとうございます。

堀内 ご著書のあとがきに,経済学部の経済学になじめなかったと書かれていましたよね。じつは私も似たようなところがありまして,経済学部の出身でありながら仮説演繹的な方法になかなかついていけなかったという経験があります。そこは私と下條さんとの共通点というか,親近感を感じるところなのですが,下條さんが経済学に抱いた違和感の正体というのは,一体何だったと思われますか。

下條 物事を数量化できるように一律に分類していく,ということに違和感を抱いていたんだろうと思います。そうすることでその他の例外的な側面をばっさり切ってしまうところというか。たとえばフータン社の事例でも,じつは他の地域と歴史的に共有している部分があるのに,民族が違うから経験も違うはずだ,というような指摘がときどきあるんですが,それは違うんじゃないかなと思っていました。大きな枠組みからみている方のなかには,じつはすごく些細なことで例外視してしまうようなところがあって,そこを見落としてはいけないんじゃないかということがたくさんある気がします。実際に現地に行ってみれば,民族というものは人々の生活のなかでそれほど重要なんだろうか,という疑問が湧くと思うんですよね。

堀内 私も下條さんのご著書に出てくる登場人物の言動をみて,かれらはかれらなりに,すごく合理的に行動しているんだということがわかりました。合理的に行動するという仮説みたいなものと矛盾するようなことはしていない。ただ,その在り方がすごく個別的であったり,現場に入らないとわからないようなことであったりするんだなと思いました。

下條 とはいえ,こうして研究者になってみると,江戸時代の経済史研究などはやはりすごいなと思うことがあります。たとえば,宗門人別改帳からある村のある家族がいつ生まれていつ死んで,どんな事象が起こったのかを推測していくという研究がたくさんある。極めて限られた資料から,数量的にその当時のことを読み込んでいくというのはすごいことだなと再認識しているところです。

堀内 もうひとつお聞きしたいのは,「国家の余白」は日本にもあるか,ということです。私は下條さんの本を読んで清末民初の中国のことが思い浮かびました。当時の中国は国家による社会統合が弱く,国家が関与できる領域が少なかったと言われますが,そういう観点からみると,とくに19世紀末から20世紀初めの中国社会は余白だらけだったんじゃないかという気がしたのです。そういったものは日本や他の国家にもあてはまるのでしょうか。

下條 これについては私もまだ整理できていません。「国家の余白」というのは,すでに国家が浸透している地域において,生き残りという問題が浮上したときに作り出される空間というイメージとして提示しています。本書ではそれを「国家の介入しにくい空間」と呼んでいて,具体的な事例としてお寺とか闇市,精米所などを挙げています。

日本に置き換えてみると,たとえば戦後に闇市がたくさんできて,そこではみかじめ料のような独自の秩序がつくられたりしたわけですよね。日本という国家がほぼ崩壊状態になった状況で,人々がインフォーマルな秩序をつくり出すという過程は日本でもあったと思います。台湾やベトナムにもインフォーマルな経済が存在していて,消えてはまた復活する,という営みは,やはり普遍的なものではないかと思っていて,今後それをどう研究に展開していこうかと思案しているところです。

堀内 普段生活しているなかでは,私たちは「国家」なんてほとんど意識していませんよね。そういう意味では,私個人のなかにもじつは「国家の余白」がたくさんあるんじゃないかなと思います。国家にあれこれ支配されたくないという気分がわりと私のなかにもあって,私自身は結婚したらどちらか一方の姓を選ばなくてはいけない現行の制度にあらがう選択をしてきたりしました。そういった個人の在りようも,「国家の余白」の表れなのかなと感じました。

下條 そうですね。制度的な面では切れてはいても,そうではない部分で人と人がつながっている,それでも子供という存在を通じて家族が支え合っていくという別の倫理観がそこに存続していると思いますので,そういう意味では確かに「余白」なのかもしれません。まあ,拡大解釈するときりがないのですが。

今後の構想について

川上 最後に,次の著作として構想されている研究テーマについて,それぞれにお伺いしたいと思います。

堀内 私の場合,今回の本では戦後の部分は明らかにしきれていないので,そこがこれから取り組もうとしているテーマになります。具体的には,植民地時代につくられた市場というものが戦後にどうつながっていくかという観点で,戦後にかなり変化した国際環境に対して台湾社会がどう変化していったのか,あるいは変化しなかったのか,ということを考えていきたいと思っています。

下條 私は拙著の英訳を少しずつ進めていくつもりです。読者層も違いますし,言語的な感覚も違いますので,文章の構造を変えていかなければならないでしょう。

あとは共同研究というかたちで,自分の著書で示した「余白」や「国家の介入しにくい空間」というものについて,他の東南アジアの地域やアフリカ,あるいは日本を研究してきた研究者と議論を深めたいと思っています。

川上 本誌の読者には,これから初めて単著を書くという若手研究者もいます。こうした方々に向けてアドバイスがあればお願いします。

堀内 私は今回が最初の単著でしたので,アドバイスができる立場ではないのですが,あえて申し上げますと,自分のペースで研究を進めながら,できれば早いタイミングで単著を出したほうがよいのかなという気はしています。私の場合は最初の単著を出すタイミングが同世代の研究者と比べてもすごく遅くなりました。失敗例として参考にしていただければと思います。

それから,これは私が大学院生のときに自分の指導教員に言われたことなのですが,単著を出すなら「50年後も読まれるような本を書きなさい」というアドバイスを受けました。あまりに短命であっという間に読まれなくなってしまうような本は,書くべきではないというメッセージだと心に刻んでいます。

川上 本の寿命って,論文とはやはり違うものがありますよね。下條さんはいかがでしょうか。

下條 私の世代は,博士論文はとりあえず出して,そこから数年以内に本にまとめて出版するのがよしとされていました。でも,博士論文を執筆してからすぐに出版に動くより,焦らず数年寝かせたほうがいいような気が私はしています。いまは業績の数とか,英語で出しているかとか,そんなことばかりが評価の基準になっていて,ちょっとうんざりするところがあります。堀内さんの恩師がおっしゃっていたように,50年後により多くの人に読み継がれるような本をつくるためには,本当はじっくりと時間を費やして仕上げていくほうがいいのではないかと思います。

編集部 堀内さん,下條さん,本日は貴重なお話をありがとうございました。お二方のご研究が進まれることを心から願っています。

話中に登場した文献
  • ジェームズ・C・スコット著 佐藤仁監訳・池田一人ほか訳『ゾミア――脱国家の世界史――』みすず書房,2013年.
  • アンソニー・リード著 太田淳・長田紀之監訳『世界史のなかの東南アジア――歴史を変える交差路――(上下)』名古屋大学出版会,2021年.
  • 保苅 実著『ラディカル・オーラル・ヒストリー――オーストラリア先住民アボリジニの歴史実践――』御茶の水書房,2004年(岩波書店,2018年).
 
© 2022 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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