Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Shinichi Fujii, An Ethnography of Peace Generated: The “Ethnic Tension” and Ordinarity in Solomon Islands (in Japanese)
Takehiro Kurosaki
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2022 Volume 63 Issue 4 Pages 89-92

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はじめに

本書は,筆者が2018年5月に,大阪大学大学院に提出した博士論文をもとにして発刊された作品である。筆者は,大阪大学で文化人類学を専攻し,本書で描かれたソロモン諸島ガダルカナル島で長年にわたりフィールドワークを実施,紛争や平和の問題をコミュニティ・ベースで理解しながら,解決に向けてのプロセスについて考えてきた,まさにこの分野における新進気鋭の研究者である。評者も,筆者が主宰するコンソーシアムに協力して以来,筆者の平和と紛争をめぐる文化人類学的考察を示した本書が発表されるのを,心待ちにしてきた者のひとりである。

本書は,序章と7つの章および総括を行った終章で構成されている。第1章では本書の理論的枠組みである「平和の人類学」と呼ばれる研究と,「贈与と交換」の研究との関係について説明している。第2章では調査地・ガダルカナル島についての民族誌資料を,第3章ではソロモン諸島の歴史を紹介し,第4章で詳述する民族騒擾・「エスニック・テンション」の背景と経過の記述につなげている。第5章では,ガダルカナル島北東部の人びとの生活と「エスニック・テンション」への関わり方について述べ,第6章では「エスニック・テンション」の停戦・武装解除という解決に向けてのさまざまな方策について,草の根レベルから国家・国際レベルに至る複数の層における試みを紹介している。最後に第7章では,ソロモン諸島真実和解委員会の組織活動の考察を通じて,停戦後の民族間の和解・関係修復の解決に向けた活動について,伝統的な紛争処理の試みと対比して分析している。

以下,本書の研究上の位置づけや評価すべき点について論じていきたい。

本書の研究上の意義として,まずガダルカナル島北岸地域を扱った貴重な民族誌であるという点を指摘したい。筆者も述べているが,ソロモン諸島に関しては,日本においても多くの文化人類学者が調査を行っており,関根[2001]宮内[2011]石森[2011]里見[2017]佐本[2021]などによる,多くの詳細な現地調査に基づいて作成された民族誌が存在している。ただしその多くは,マライタ島を含むソロモン諸島の離島地域を対象としたものに集中している。その理由として,ソロモン諸島を研究対象とする際に,伝統的な習俗が残されている地域での研究が重視され,独自性の高い社会構造やユニークな文化現象に関心が向けられているケースが多いからである。

一方,本書で扱っているガダルカナル島は,首都ホニアラを抱えていることもあり,離島からやってくる他島出身者の影響を受け,多くの人びとが混住する地である。さまざまな移住者たちが集住する地としてのホニアラを含めてガダルカナル島は,伝統的な社会を対象とした調査を考えた場合,必ずしも適した場所とはいえない。そのため,日本を含めた多くのソロモン諸島を研究対象とした民族誌家は,この島での調査は避ける傾向にあったようだ。筆者は,平和の民族誌を描くという目的からこの地をフィールドと選んだということはあったであろうが,民族誌研究上の半ば「空白地帯」において,若手文化人類学者のなかでも卓越した専門的知識と技能をいかんなく発揮し,ガダルカナル島北岸地域の民族誌を完成させている。とりわけ,畑などの土地所有に関する説明ならびに儀礼や饗宴に伴う贈答品などについての指摘は,極めて詳細である。筆者は自身の民族誌記述に対して不十分であるかもしれないと謙遜しているが,そもそもガダルカナル島での先行文献資料が限られていること,および数少ない民族資料が1930年代および1960年代に実施された比較的新しいものである点をふまえても,多様な人びとが移住し続け変化していくこの島の21世紀初頭の姿を示した貴重な資料として,今後その評価が高まっていくものと思われる。

次に,ソロモン諸島の歴史という点で考えた場合,太平洋戦争がガダルカナル島の人びとに対して与えた影響を考察している点が挙げられる。太平洋戦争がアジア太平洋地域の民族自決・独立に影響を与えたという研究は,枚挙に暇がない。東南アジア地域と比較して少ないといわれる太平洋諸島の事例においても,日本の存在と同時に米国軍に参加した黒人たちの存在が,それまで「マスター」(ご主人様)として認識してきた,豪州人をはじめとした白人に対する上下関係の意識を変革させることにつながったという指摘もなされている[塩田 2014]。本書でも,ソロモン諸島で戦争に従事した人びとへの聞き取り調査から,彼らにとっての戦争体験を描いた「ビッグ・デス」[ホワイトほか編 1999]を参照している。さまざまな戦争への関わり方をしたソロモン諸島の人びとの経験を紹介しつつ,共通した点としてソロモン諸島の人びとにとって日米両軍が同諸島にやってきて戦ったという「外部からもたらされた戦い」,すなわち,「自分たちの戦いではない」という意識を持っていたことが述べられている(121ページ)。またこの戦いののち,ガダルカナル島のホニアラが植民地行政の新たな中心地として建設されたことも指摘されている。ガダルカナル島の社会においては,ホニアラは人工的に作り上げられた都市である。ホニアラは,インフラ整備が進み,マライタ島をはじめとした離島からの移住によって作られていった。1990年代後半までにはマライタ系出身者は40%を超えていたにもかかわらず,ガダルカナル島民は約8%であったという。古くから住む多くのガダルカナル島民にとってホニアラは,「外部からもたらされた」ものとして映っていたのであろう。同島民にとっては異質な空間としてホニアラが意識されていたことが,本書の主要テーマである「エスニック・テンション」につながっていったと筆者は考察した(127~128ページ)。土地に対する諸権利を持つ人びとと,新たに移り住み,ホニアラの発展を通じて経済利益を享受した人びとの間に存在する意識の違いと,それに伴い醸成される緊張関係が存在していることを指摘し,それは外部の者からはなかなかみえてこない「エスニック・テンション」の根底に存在しているという点を詳細に説明したことは大変評価できる。新たな移住者マライタ島民と,生まれながらに住んでいるガダルカナル島民の,相互が相手に感じている潜在的な不満が蓄積し,それが顕在化したのが「エスニック・テンション」なのである。

「エスニック・テンション」の歴史的考察において,従来はガダルカナル島民対マライタ島民という構図で論じられてきたが,本書においてはすべてのガダルカナル島民が騒擾に対して同じ反応を示したわけではなく,積極的に関わった者,消極的に関わった者,否定的な関係を取り結んだ(紛争に巻き込まれるのを回避すべく避難した)者など多様な形で対応していたことを示している。そして,騒擾の舞台に住む多くのガダルカナル島北東部の人びとにとっては,この騒擾じたいが同島南部の武装集団とホニアラに住むマライタ島出身者によってもたらされた外部のものであるという意識が強く,彼らにとっては戦いに巻き込まれずに十分な食料を得るところで避難するのが最善の生存政策と考えたのである。この点は,それまでの単純な島民同士の対立という図式や,島民の意識が一枚岩と考えがちであった従来の視点を改めることにつながり,「エスニック・テンション」をめぐる住民の行動をより多面的に描き出すことに成功している。また紛争というと,対立図式を描き出して,住民たちはそれに分かれて戦うという形で考えがちであるが,それは状況をわかりやすく理解するために外部者が整理するために行っている単純化・短絡化にすぎない。実際の紛争現場では,戦いに直接関与している人びとの背後に,平和を求めて戦いを避けることを一番に考えている庶民たちがいることを,本書は改めて気づかせてくれた。

文化人類学者としての筆者の実力がより示されているのは,紛争処理の多様な試み(第6章)ではないだろうか。紛争解決の手段として,メラネシアで伝統的に行われてきたコンペンセーションと呼ばれる行為に着目し,今次の騒擾でも象徴的に行われてきたことを指摘し,その模様を本書において詳述している。筆者は,紛争後のソロモン諸島では,ナショナルなレベルで繰り返される儀礼によって暴力再発の抑止を,ローカルなレベルで頻繁に行われる儀礼によって平和的な社会関係の再構築を行っていると考えている。そして,この和解と紛争解決のための儀礼が反復されるのは,「絶えず生成される平和のダイナミズムの発露である」(277ページ)と述べている。儀礼は,紛争によって分断された人間関係を修復するものとして,贈与財の授受を伴いながら,社会関係を操作する行為であった。また平和を構築していく上で,国際レベルや国家レベルでの対応のみならず,伝統的形式に則った婚姻儀礼もまた,「平和的な」社会関係の構築に一定の役割を果たしている点を示していることも興味深い。

「エスニック・テンション」においても,豪州を中心とした地域協力機構・太平洋諸島フォーラム(PIF)が派遣した「ソロモン諸島地域支援ミッション」(RAMSI)という外部介入によって,一見すると急速に平和が回復されていったように思われる。このことは,筆者も「個人間あるいは集団間に暴力的な衝突がない状態」(275ページ)としての平和は達成されたと述べている。一方,「それは決して安定的な平和状態へと向かうモーメントが働いているとはいえず,外部介入がもたらす強制力の結果として暴力の発現が抑止されているだけの,ひじょうに不安定な平和状態にすぎない」(275ページ)と指摘した。そして国際社会や国家によって主導される「上からの平和」に偏っており,必ずしもコミュニティ・レベルでの平和確立に寄与しているとはいえない(「下からの平和」の必要性,および「上からの平和」との有機的な接合)。「下からの平和」は,複数の村落や民族集団から構成される「地域社会」の再構築にほかならず,それを実現するためにはコミュニティに内在する平和を求める意志である,「平和力」[栗本 2011]に注目すべきと主張した(275ページ)。

国際関係論で考えると,地域の騒擾の解決として,国内の警察や軍の整備,あるいは地域共同体による協力体制の充実に目が向けられがちである。しかしながら,実際の草の根レベルでの状況をふまえて検討していくと,そこには異なる諸相がみえてくる。すなわち,コミュニティ・レベルでは,暴力的な衝突や対立感情が顕在化するのを回避するために,日常生活のなかに組み込まれた些細なやり取りが行われ続けている。この不断のやり取りは,それ自体として社会関係を操作する行為でもあり,この些末にもみえる行為によって暴力の発現や敵対意識の顕在化を妨げつつ,人びとの日常生活のなかに平和を生成しているといえる,ここにこそ「平和の民族誌」において描こうとした中心的テーマが示されているのであろう。

以上のように,本書は従来のソロモン諸島における「エスニック・テンション」の実状について,住民の視点から描き出した作品である。そのことからも極めて重要な民族誌であるとともに,1990年代以降,騒擾が繰り返されてきたソロモン諸島の近代史を,紛争と平和の関係で描き出した点でも有意義な史料といえるだろう。あえて苦言を呈するならば,「下からの平和」の視点を詳細に扱ったのと比べて,国家レベルあるいは国際レベル(太平洋島嶼地域全体)での考察に,若干物足りなさを感じた点であろうか。国際レベルでいえば,PIFに対する評価がいささか過剰な印象を受けた。RAMSIによる騒擾への介入に対し,豪州単独介入ではなく,PIFという枠組みを通じて派遣された点を筆者は高く評価している。しかしながら,元々PIFは,地域共通の課題に対して首脳たちが議論するための協議体として設立したものである。各国の国内問題に介入するための枠組みを積極的に推進したのは豪州の思惑が大きい。そのような対応についてソロモン諸島を含めた島嶼国住民からは,RAMSIを豪州による過度な介入だとして否定的な意見を示すケースが多くみられる。本書の流れでいうならば,こうした新植民地主義的視点ともいえる「上からの平和」が,コミュニティ・レベルでの「下からの平和」とどのように有機的に接合しているのかを示した上で,評価してもらいたかった。現状からいえば,2017年にRAMSIが撤退したが,2021年11月にホニアラで騒擾が勃発し,首相官邸やダウンタウンで焼き討ちが起きた。この騒擾の背景には,マライタ州知事による扇動があったという報道もされていたが,現在まで断続的に続くこうした騒擾は「上からの平和」と「下からの平和」の有機的接合がうまく機能していないことが示された証左であると評者は考えている。コミュニティ・レベルに基づく「下からの平和」の重要性を描き出すことが詳細になされているだけに,「上からの平和」の視点にも同様な考察および,両方の平和の取組みの有機的な接合関係について丁寧に述べられていると,国際関係論などの研究者に対しても,さらに多くの示唆を与える作品になったものと思われる。もっとも,こうした評者からの要望を筆者は当然認識し,その答えを提示すべく次回作の執筆に取り組んでいることであろう。

本書は平和と紛争の関係をまさに目の前に突き付けられている今日だからこそ,その作品としての価値はますます高まってきている。紛争や戦争などは,目にみえる大きな事件として人びとに認識されやすく,研究においても戦争が起きる理由や戦争の解決策などに目が向けられる。一方,平和は日常の,当たり前の存在として見なされているため,平和を生み出す,あるいは平和が崩壊するという視点で研究対象に据えられた作品は,管見の限りほぼ皆無といえる。ソロモン諸島という1990年代から2000年代(いや,実際には今日でも)騒擾が日常的に起き,平和をもたらすために人びとが行動をする姿を目にする機会があったからこそ,筆者は平和というものを日々の努力のなかで生成していくものであると捉え,平和を生成するシステムが伝統社会のなかに見出せると考察できたのではないだろうか。ロシアによるウクライナへの侵攻をはじめ,戦争を日常生活のなかで目にするようになってきている今日において,改めて平和が日々の努力を通じて構築されているということを思い出させてくれた点でも,大いに評価できる1冊といえる。

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© 2022 Institute of Developing Economies, Japan External Trade Organization
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