Ajia Keizai
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
Book Reviews
Book Review: Isao Murahashi, Independence, Civil War, and Refugees of South Sudan: Between Hope and Despair (in Japanese)
Satoko Horii
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2022 Volume 63 Issue 4 Pages 97-100

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Ⅰ はじめに

南スーダンは,長きにわたる内戦を経て2011年にスーダンから分離,独立を果たし国連加盟した世界で最も新しい国家のひとつである。本書「はじめに」の副題,「独立を勝ちとり,平和を失う」が示すように,独立は争いのない平和な社会を築くことにつながらなかった。2013年には,南スーダン国内で武力紛争が勃発。経済危機,食糧危機と連鎖し多くの人々は避難を余儀なくされた。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)[UNHCR 2021]によると,2021年6月時点で南スーダン難民は220万人。シリア(670万人),ベネズエラ(400万人),アフガニスタン(260万人)についで世界で4番目に多い。移住を余儀なくされながらも国内にとどまっている国内避難民も,160万人を数える。多くの南スーダン難民を受け入れている隣国のウガンダは,他のアフリカ近隣諸国出身の難民も受け入れており,世界第4位,アフリカでは最大の難民ホスト国である。

本書は,著者のウガンダにおけるフィールドワークや文献調査をもとにして,南スーダンが国際社会の強力な後押しによって独立したにもかかわらず,すぐに内戦状態に戻ったのはなぜか,難民たちは不安定な治安と繰り返される避難をどのように受け止めているか,難民受入国の難民支援はどれほど持続可能で効果的なのかといった問いを解明している。また,これらの問いを考察することで,移民・難民研究,とくに難民キャンプに関する諸議論に貢献し,平和構築や難民支援に関心をもつ読者に向けて,南スーダンの情勢と難民当事者の視点をふまえた情況を伝えることを企図している。

本書は,すでに地域研究分野を中心とした学会で各種の賞を受けるなど,優れた学術書として高く評価されている。評者は,これまでアフリカを直接の調査対象としておらず,欧州地域の人の移動や難民保護を研究してきた。したがって評者の関心は,アフリカ地域で実践されている難民保護が,世界のほかの地域および国際的な難民保護体制の限界や可能性を理解する上で,どのような示唆をもたらすのかという点にある。本書評では,以上のような観点から評者が重要と考えた点,および関心をもった論点に触れながら各章をまとめ,最後に本書を通じて評者が抱いた問いや,さらに学びたい点を論じたい。

Ⅱ 本書の構成とおもな論点

序章では,本書に通底する概念や調査にあたっての視角が説明されている。ここで難民の定義や難民条約の成立過程,難民と人道支援との関係性などが論じられ,難民を捉えるさまざまな見方があることを読者に提示している。これによって,保護を与える側(支援主体)と受ける側(難民)といった二元論では単純にくくれない権力関係と社会構造を読者が把握しやすくなっている。同時に,以降の章で詳述される事例調査・分析と合わせて「難民移動を単純に『強制移動』という枠組みに押し込むことができない」(237ページ)という著者の主張に説得力をもたせている。また,人類学的見地から難民研究を行う際の特徴および意義として,当事者の視点が強調されている。それは,「下から」「内側から」の視点によって,難民として生きるとはいかなることであるのかを明らかにしようとすることである(9ページ)。確かに,例外は多々あるものの,国際法学や国際政治学は法の適用や解釈,国家や国際機関の役割および関係主体間の相互作用などを対象とする場合が多く,そうした際に表象される難民は,もっぱら被保護者として受け身の存在である。フィールドワークと参与観察を採用する人類学的手法は,まさにそうした「上から」「外側から」という研究にはない視点を与える上で有効であろう。

続く第1章と第2章は,南スーダンの人々を取り巻く政治社会的文脈を,19世紀から現代までをとおして歴史資料や先行研究をもとに紐解いている。とくに2011年の独立以降の情況に焦点をおく第2章では,国家建設と平和構築に向けた交渉過程を追跡し,国際社会の介入がありつつも交渉が持続的な平和と安定をもたらさず,むしろ複雑化する状況が丁寧に説明されている。これら2つの章は,歴史的な過程をたどる作業であるために著者の「語り」は静的で淡々とした印象を受けるが,第3章からは難民のナラティブも紹介し,難民1人ひとりの生活が,生き生きと目の前に浮かび上がるような分析がなされている。

まず,第3章では南スーダンの人々が避難の決断をする動機に迫っているが,そこでは難民がただ一様に当てもなく逃げ惑う存在ではなく,自身と家族の状況に合わせて限られた選択肢のなかで戦略的に決断を下す主体として描かれている。第4章以降の事例検証では,難民保護を支える規範がいかに変容し,さまざまな関係主体がどのような実践をしているかについて,先行研究をふまえながら具体的に論じている。このような著者の試みは,難民保護のアプローチを対比させて論じた第4章と第5章で,とりわけ効果的に読者に提示されている。

著者は,難民保護のアプローチは「ケア・管理型」保護(第4章)から「自立・レジリエンス型」保護(第5章)にシフトとしてきたことを指摘する。前者のケア・管理型保護では難民は脆弱な犠牲者かつ救済されるべき存在としてラベリングされ,難民の避難・移動は一時的かつ例外的な現象とみなされる。このような前提で実施される難民支援は難民キャンプにおける一時的な保護であり,必要な物資とサービスの提供となる。支援作業を効率的に行うために,生体認証技術を採用し,逃れてくる人々の管理は正当化される。効率的な管理は実務に携わるスタッフにとって一定の必要性はあるだろうが,官僚的統治の結果,難民の行動様式に変容をもたらすような非対称な関係性が難民と支援主体の間で生成されることを,著者は危惧する。

第5章では,1990年代以降主流化した自立・レジリエンス型保護の実態と限界が,南スーダン難民の事例とともに克明に描写される。自立・レジリエンス型保護においては新自由主義的な自助のロジックが前面に押し出され,難民は脆弱な保護の客体ではなく「自ら変化する潜在力をもった」「開発のエージェント」として表象される。難民キャンプも,一時的な避難場所ではなく「難民自身が自己統治を実践し,自らの未来に責任をもつ起業家的な主体が育つための空間」(165ページ)となる。このようなアプローチの功罪について,著者は「自立に必要な環境と資源を十分に与えられないという現在の難民支援制度の限界を,難民自身の能力の問題として解決しようとしている」(179ページ)として批判する。

第6章では,難民居住地に住む難民の生活の実態や将来の願望などが,個別世帯の経済活動に関する参与観察や聞き取り調査をもとに分析される。なお,難民居住地とは難民キャンプと異なり農村としての形態をもち,難民居住地に住む難民には耕作する土地が与えられる。難民キャンプと難民居住地のどちらを設置するかは,受入国の難民政策によって異なり,ウガンダでは難民居住地が設立されているという(20ページ)。著者は,本章において難民居住地に登録された難民の圧倒的多数が女性と子どもである一方で,収入獲得手段について性差で異なった社会構造が作用していることを指摘する。これは,難民支援を考える上で看過できない側面である。

第7章では,調査の焦点が難民居住地とそこに住む難民から,難民を取り巻く諸社会(ウガンダのローカルなコミュニティや,南スーダンの故郷など)との関係にシフトする。本章での重要な指摘は,難民とウガンダの地域住民が日常的に商売などを通じて交流しており,「両者が混然一体となったローカルな都市空間が作り上げられ」(235ページ)ていること,さらにそのような実態があるにもかかわらず,ウガンダ政府とUNHCRが難民にウガンダへ帰化する道を与えず,結果として不安定な南スーダンにもウガンダにも,帰属意識をもちにくい状況に人々を陥らせてしまっていることである。終章では,不安定な政治情勢と混沌が続く南スーダンにおいて,今人々が何を期待し,どのようによき生を実現しようとしているか,また国際社会やホスト国における人道支援は,どのような役割を果たし得るかについて総括している。

Ⅲ 本書が提起する問い

本書は,丹念な現地調査をもとにした緻密な分析と丁寧な記述をもって,難民について多くの人が抱きがちな「前提」を突き崩し,そうした前提によって構築される国際人道支援の再考を促すものである。ここでは,本書をとおして浮かび上がってきた問いや,さらなる研究を期待したいイシューなどについて,4点挙げたい。

ひとつは,難民というカテゴリーが,どれだけ適切に当事者のさまざまに異なる実態を捉えられるのか,という点である。本書で示されたように,南スーダン難民は故郷やウガンダ国内の諸都市を行き来する,可動性を有する主体である。移動の決断は難民1人ひとりの戦略に負うところが大きく,また移動性を左右するのは難民といった法的地位・資格ではなく経済力や親戚の存在など,ほかの要素によって左右される。さらに,経済力については難民居住地では女性が男性よりも多数を占めるにもかかわらず,ジェンダーを要因として収入を得る上で格差があるという。これらにかんがみると,同じ難民居住地に住む難民でも,現実には社会構造上の差異などが複合的に影響し「主体的に選択できる『生き方の幅』」[野上 2018, 282(注1)が異なっているといえる。このような難民の「多様性」を検討する上で,難民として彼ら/彼女らをくくることはどれほど有用なのだろうか。栗本[2017, 76]が言うように,人類学的アプローチは難民の「多様性と政治性」にそもそも注目しているが,ここから得られる知見を,政策的な対応にいかに役立てることができるのか。是非,著者のさらなる研究をとおして学びたい。

1点目に関連して,次に指摘したいのは資本としてのネットワークおよび情報の獲得における性差の影響である。第7章において,難民居住地の難民がウガンダの人々と経済活動を通じて交流する過程が説明されている。現地の人々との交易をとおして難民が獲得するものは,農作物や衣服などだけではなく,情報や現地でのネットワーク構築機会そのものも含まれ得る[Stites, Humphrey and Krystalli 2021]。獲得されるネットワークや情報が,難民の決断に重要な役割を果たすだろうことは想像に難くない。本書では,男性と女性で経済活動や収入獲得源に差異があることに触れているが,ウガンダ商人の多くが男性であろうことを考慮すると,女性はネットワーク構築や情報獲得においても困難に直面しているのだろうか。こうした点についても言及があれば,女性・子どもが多数を占める難民居住地の実態を理解する上で役立つのではないだろうか。

3点目は,「難民キャンプ」の役割についてである。本書は,難民居住地も含めた広義の難民キャンプが単なる一時的な避難所ではなく,長期間にわたって住まう次世代を育む空間でもあることを指摘した。これは,著者自身が批判的な,難民キャンプを社会から排除された「剥き出しの生」的な空間と捉える見方とも,また帰還や受け入れ国での定住に至る「つなぎ」[緒方 2017,203]と捉える見方とも一線を画す。難民キャンプの役割については,その存在の是非も含め相当の研究の蓄積があるが,本書で得られる知見をふまえると,新たな視角から検討ができるだろう。

4点目は,ウガンダ政府と国際機構,NGOなど支援主体間の関係性についてである。著者が明らかにしたところによれば,難民居住地での食糧援助は世界食糧計画が,難民の所得創出プログラムはUNHCRや国連開発計画,世界銀行,そして地方自治体が行う,というようにさまざまなステークホルダーが関わっている。ドナーを含む,これら難民支援主体間はどのような関係性を構築しているのだろうか。たとえば,本書ではウガンダ政府およびUNHCRウガンダの責任が問われる大規模な汚職事件が言及されているが(148~149ページ),そのなかで主要ドナー国の資金援助凍結発表といった行動が,ウガンダ政府職員の停職やUNHCRウガンダ代表の交代など,現場の運営に直接影響を及ぼしたことが論じられている。誰とのどのような交渉の末,そうした結果が下されるに至ったのか。本書の目的からは外れるのかもしれないが,難民保護の背景に存在する,アフリカ地域にとどまらない関係各国,国際機構,国際的なNGOを含むステークホルダー間の(力)関係がより包括的に示されると,難民保護の政治性がより明白になるのではないかと考える。

難民が引き受ける困難と苦難は,重く深い。しかしながら,本書を読み終えた時に残る印象は,悲観的なそれではなかった。それはおそらく,フィールドワークを重ねて難民と直に会い人間関係を構築してきた著者だからこそなし得る,難民のたくましさと苦境を跳ね返す明るさ,つまり「希望」が伝わってきたからだろう。国際社会は,そうした難民らのレジリエンスに「ただ乗り」してはならない。本書は,地域特殊性を超えて,国際難民保護の可能性と限界を理解する上で,学びの多い必読の1冊である。

(注1)  セン(Amartya Sen)の「潜在能力」を説明する際に,訳者の1人である野上が用いた表現である。平易に説明されわかりやすいため,本書評では野上の説明を用いた。

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