アジア経済
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書評
書評:厳善平著『ミクロデータからみる現代中国の社会と経済』
勁草書房 2021年 vii+277ページ
寳劔 久俊
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2023 年 64 巻 1 号 p. 36-40

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I はじめに

1978年末からスタートした改革開放政策のもと,多方面にわたる制度改革と根本的な産業構造転換を経て,中国は長期にわたる高度経済成長を実現してきた。その一方で,中国共産党による一党独裁体制は堅持され,政治・社会・経済面での党・政府機関による統制も依然として存在し,国有企業は経済のなかで大きな役割を担っている。また,経済発展とともに中国人の生活環境や就業状況,教育レベルや所得水準にも顕著な変化がみられ,社会主義的な要素と市場経済的な要素がそれらに対して顕著な影響をもたらしてきた。この現代中国の社会・経済的変容について,エビデンスに基づく体系的な調査研究で跡づけることは,中国の実情を理解し,その将来像を展望する上で極めて示唆的なものとなる。

本書はこのような問題意識のもと,体制移行期の中国社会・経済の特徴とその変容について,個票データに基づく詳細な実証分析を試みている。著者によると,日本の中国研究は事例研究や小規模な調査に基づき,中国固有の要素や特殊性を探求する傾向が強いという。それに対して本書では,欧米の中国研究で広く用いられる分析手法(大規模ミクロデータによる実証分析)を全面的に取り入れることで,国内外のギャップを埋めることも目的としている。その際,教育,階層,格差,就業といった現代中国を特徴づける主要な要素に注目し,クロスセクション・データによる計量分析を通じて,それらの効果や機能を検証する。

II 本書の概要

本書は序章と終章を含めた全9章で構成され,第1章から第4章は個人の社会属性を示す教育,戸籍,政治身分,職業といった要素,第5章から第7章は社会階層や階層移動,収入・経済格差,就業選択・昇進といった側面に注目しながら,実証分析を展開している。

序章では,中国の社会・経済に関する国内外の研究動向と本書の位置づけを説明した上で,本書全体を通じた仮説を提起する。すなわち,改革開放が深化するにつれ,階層間の移動や収入水準の決定において,戸籍,党員身分,家庭環境などの役割が弱まり,それらに代わって個人の努力や能力(教育)の影響が強まることで,計画から市場への体制移行が果たされつつある,という仮説である。そして,本書で中心的に使用する2種類のミクロデータ(China Household Income Survey: CHIPと,Chinese General Social Survey: CGSS)の調査概要を解説する。CHIPとは中国社会科学院や北京師範大学などが中心となり,国家統計局の家計調査系統を利用して行われた全国規模の調査のことで,6カ年分(1988,1995,2002,2007,2010,2013年)のデータを利用する。他方,CGSSは中国人民大学社会学系と香港科技大学調査研究センターが実施する全国規模の調査のことで,本書では第1ラウンド(2003~2008年)と第2ラウンド(2010~2015年)のデータを用いる。

まず第1章では,学校教育の達成状況を考察するとともに,世代間・世代内,地域,性別,民族といった要素に注目しながら,教育格差の実態を検討する。義務教育法の施行と教育投入の増進を通じて,学校教育は1980年代末にかけて急速に普及してきた。また,世代間の格差は大きいものの国民全体の教育格差は縮小し,同一世代内の格差,男女間,地域間,都市・農村間の教育格差も縮まり,その傾向は所得水準の高い地域ほど強いことが示された。さらに,CHIP2007の大学受験者数と合格率を利用して,「教育の質」を分析した結果,都市・農村間,省間の教育格差は依然として大きい反面,男女間と民族間では有意な格差は検出されなかった。また,大学・大専合格の決定要因では男女間,民族間,地域間で有意差はないが,大学進学率自体は都市住民の方が圧倒的に高いことを指摘する。

続く第2章では,「成人高等教育」を取り上げ,その実態と収入への影響を定量的に分析する。中国では,文化大革命期に全国統一大学入試が10年間中断され,多くの人が大学受験を諦めざるを得なかった。その後の経済発展につれて高等教育に対する需要が高まり,この「失われた世代」の間で,働きながら大専卒・大卒・大学院修了の資格を取得する「成人高等教育」が広く普及してきた。マクロ分析の結果,成人高等教育の普及を通じて,大専卒以上の学歴をもつ人は1980年代から急増し,成人高等教育の重点も大専から大学へとシフトしてきたことが確認された。さらに成人高等教育が収入に与える影響をCGSSで推計したところ,普通教育に比べて成人高等教育の正の効果は概して小さいが,党政機関ではその効果が相対的に大きいことも浮き彫りとなった。

ところで中国には,都市と農村の人口移動を厳しく制限する「戸籍制度」が計画経済期から存在し,1990年代前半までは職業選択の自由や移動の自由がないに等しい状況にあった。その後,地域間の自発的な人口移動が可能となり,沿海地域の都市部を中心に「農民工」と呼ばれる農村出身の出稼ぎ労働者が大幅に増加し,進学,就職,結婚,土地徴用などの事由で,戸籍転換(「農転非」)を実現する人も増えてきた。

第3章ではこの戸籍制度に注目し,CGSSを利用して「農転非」の実態を明確にすると同時に,高学歴者を対象にその経済効果を検証する。まず,「農転非」を実現した人の数は増加してきたが,進学や就職といった「選択的農転非」の割合が低下する一方で,家族随伴,土地徴用,住宅購入などによる「政策的農転非」の割合が上昇してきたことを指摘する。さらに,「農転非」の収入水準への効果を推計した結果,全就業者でみると,非農業戸籍保有者の収入は農業戸籍保有者の収入に比べて有意に多いが,非農業就業者に限定すると「選択的農転非」の増収効果は観察されなかったという。これらの推計結果に基づき,社会保障や教育面で農民への差別は存在するものの,市場経済の深化と戸籍制度改革によって,2010年代前半には戸籍の経済的意義が消失しつつあると主張する。

そして第4章では,一党独裁を堅持する共産党に焦点を当て,党員資格を獲得できる要因や党員の経済効果をCHIPで検証する。計量分析では,年齢の高さと入党比率は正の相関をもつ一方で,党員の高学歴化が顕著に進展してきたこと,党員身分は非農業部門への就業確率や収入水準に有意な正の効果をもたらすが,都市部では国有部門への就業確率をより高めていることが示された。さらに党員身分の収入プレミアムの効果と教育収益率の大きさについて,農村部では縮小傾向にあるのに対し,都市部では拡大傾向にあるという。このように都市部では「入党→国有部門への就職→党政機関等の幹部就任」のコースをたどり,党員は経済的な恩恵を享受可能であったことから,共産党は各方面から優秀な人材を吸収し,環境変化に適応できたと推論する。

第5章では,高度経済成長と産業構造の転換に伴う社会階層の変容に注目し,階層移動とその規定要因を考察する。その際,人的資本としての教育,政治的資本としての党員身分,親の学歴・職業(家庭環境)といった視点から,天津市社会階層調査(1997年と2008年)を用いて分析を進める。記述統計によると,社会的な評価の高い職業に従事する割合は顕著に増加したが,1950年代と1960年代生まれの世代では親子間の階層上昇移動が低迷したのに対し,建国以前と1970年代以降生まれの世代では階層上昇移動が進展している。また,本人の職業階層の形成要因分析と,親子間での職業階層の移動分析の結果,党員身分の重要性は低下する一方,教育の効果がより顕著で,とくに父親の学歴は子弟の職業階層の上位固定と上位移動に有意な効果をもつという。さらに,収入水準に対する教育の効果は有意で,その効果は2時点で強まるが,党員身分の効果は有意でなくなった。以上の結果から,社会階層移動と収入増進において,党員の効果が顕著に低下したのに対し,教育の役割が高まったと主張する。

続く第6章では,経済格差に焦点を当て,市場経済化が生み出した格差(「良い格差」)と,差別や腐敗に起因する機会不平等(「悪い格差」)の影響を検討している。中国政府が公表するジニ係数は2010年頃から緩やかに低下しはじめたが,公式統計ではインフォーマルな所得を十分に捕捉できていないこと,年収の決定要因とその効果は都市・農村で大きく異なることを指摘する。また,「良い格差」の指標である教育は,都市住民でとくに強い収入増の効果をもつのに対して,「悪い格差」のひとつである男女の収入格差は悪化してきたという。さらにCGSS2013に基づき,「14歳時点と調査時点」および「10年前と調査時点」の社会階層を比較すると,社会階層の上昇傾向は確認できるものの,それは低位層を中心に起こっていることが明らかとなった。これらの考察をふまえ,階層意識の社会全体の底上げが,経済格差の拡大による社会混乱の発生を抑制してきたと推論する。

他方,中国では生産年齢人口の増加率が急速に低下し,2014年以降は生産年齢人口の絶対数も減少に転じている。第7章ではこの動向をふまえ,持続的な経済発展にとって重要な要素である労働参加率と就業率に注目する。公式統計とCHIPに基づく記述統計と計量分析の結果,1995~2010年の間に労働参加率が大幅に低下し,とくに都市世帯の女性でその傾向が顕著であること,教育水準が就業率に強く影響すること,社会保障の制度的要因によって定年後の就業率が低迷していることが示された。

そして終章では,各章の内容を要約した上で,1988年から2013年までの社会・経済の地殻変動を以下の4点にまとめる。すなわち,①義務教育と高等教育の全国的な普及によって地域間の格差が大幅に縮小し,就職先や給与,昇進において教育の果たす役割が増大してきたこと,②2000年代には収入面でも戸籍による差別は解消されてきたこと,③共産党員の経済的価値が1990年代を中心に大幅に低下してきたこと,④親の学歴や職業的地位が子弟の学歴に与える影響が顕著に弱まってきたことである。そして,開放性の高い市民社会に向けた中国の現状と課題を記述して,本書を締めくくる。

III 本書の貢献

このように,本書は1980年代後半から2010年代前半にかけての中国の多様な側面に焦点を当て,その構造的な変容を計量分析によって実証するものである。現代中国の社会・経済分析における本書の貢献は,以下の2点にまとめることができる。

第1に,タイプの異なる複数年のクロスセクション調査を組み合わせることで,現代中国の構造変化を定量的に解明している点である。ミクロデータの個票分析では,単一年度の調査データを利用することが多く,複数年度にわたる調査データを用いて推計結果を比較するケースは相対的に少ない。なぜなら,同一の統計調査であっても,調査年次によって調査対象の選出方法や調査票の構成が微妙に異なるため,データの調整には膨大で繊細な作業が必要となるからである。しかし本書では,6時点のCHIPと2ラウンドのCGSS,そして2時点の天津市社会階層調査の調査票を詳細に検討し,異時点間で比較可能な形に調整した上で実証分析を展開している。

さらに本書では,全数調査や業務統計などに基づくマクロデータと,ミクロデータの記述統計を組み合わせることで,中国社会・経済の特徴を立体的に描き出すことにも成功している。ミクロデータを利用した実証研究では,マクロ統計との比較検討や整合性の確認といった作業が疎かになりがちで,その結果,中国の実情と大きく乖離する研究も少なくない。それに対して中国出身の著者は,先行研究の成果や自身の経験に依拠しながら,マクロ統計との比較・検討を慎重に行うことで,個票データを利用するメリットを最大限に引き出している。

本書の第2の貢献は,制度的な側面を十分にふまえ,中国の社会経済構造の転換を実態に即して考察している点である。本書で明記されているように,公的な研究機関や大学で収集された調査データは,学術的な公共財として取り扱われ,所定の手続きを行えば研究者や大学院生が自由に利用することができる。その一方で,同様のデータを利用した先行研究との差別化を図るため,より些末なトピックを分析対象として取り上げることも少なくない。また,対象地域の実態や制度的な特徴を十分に理解せず,高度な計量手法をそのまま援用するなど,公開データに基づく実証分析の負の側面も広がっている。

それに対して本書は,中国を規定する社会的要因とその制度的特徴を十分に理解した上で,シンプルな枠組みで定量分析を展開することによって,印象論で語られてきた現象を具体的なエビデンスで裏付けることに成功している。その白眉が,第2章の「成人高等教育」に関する分析である。2000年頃から成人高等教育が急速に広まり,とりわけ党政機関においてその重要性が高まっていることは断片的な調査研究によって指摘されてきた。だが,そのことを詳細なデータ分析で実証したことは学術面・政策面で非常に大きな意義をもつといえる。

IV 本書の課題

その一方で,欧米の研究動向に関する理解やミクロデータの利用方法,そして計量分析の具体的な手法などの面で,本書には少なからぬ課題も存在する。評者の認識する本書の課題は,大きく以下の3点に整理することができる。

第1の課題として,ミクロ実証分析の世界的な潮流に関する理解である。本書が強調するように,大規模ミクロデータを利用した実証研究は欧米では広く普及する一方で,日本の中国研究ではその面で後れをとっている。他方,公開されたミクロデータでは,開発政策に向けた具体的なエビデンスを引き出すことが難しいといった限界も存在する。そのため近年の開発研究では,標本規模は必ずしも大きくないが,「ランダム化比較試験」(Randomized Controlled Trial: RCT)を通じて,より精度の高い実証分析を行うことが広く普及している[デュフロ 2017]。

中国研究に関しても,たとえばSylvia et al.[2021]Jiang et al.[2022]では幼児教育の効果を計量的に実証するため,RCTを組み合わせた調査手法を積極的に採用している。このようなRCTに基づく実証分析は,地域を限定して詳細な調査を行う日本の研究との相性も比較的良い。実際,JICA(国際協力機構)は関連機関や研究者と連携しながら,長年にわたって5S-KAIZEN-TQM(注1)のプロジェクトをアフリカや南アジアで実施し,その政策評価にあたってRCTを積極的に活用してきた[Mano et al. 2014; Jin and Ohno eds. 2022]。このような海外の研究動向と日本の学術研究の趨勢をふまえると,海外と日本の学術研究に関する著者の認識と評価は,やや一面的といわざるを得ない。

本書の第2の課題として,ミクロデータの集計方法と異時点間比較の手法が挙げられる。本書では大規模ミクロデータの重要性を強調する一方で,母集団推計をする際の集計ウェイトの問題を考慮しておらず,抽出率の変化を事後的に調整した推計がほとんど行われていない。とりわけ,6時点にわたるCHIPでは,地域別の標本規模が大きく変化していることから,母集団に関する異時点間の比較分析を行う際,集計ウェイトの利用は必要不可欠な作業と考えられる[Sicular et al. eds. 2020]。本書では,異なる時点の質問項目を丹念に調整する一方で,集計ウェイトに対して十分な配慮が払われていないことは,非常に残念な点である。

このことと関連するが,本書ではCHIPの6時点とCGSSの2時点に関する個票データを利用し,同一の計量モデルで推計された偏回帰係数の有意性やその大小関係の比較を通じて,中国社会・経済を規定する要因(教育,戸籍,政治身分など)の動学的な変化を考察する。もし,異時点間で十分な無作為性が確保できていれば,この手法による比較研究の正当性は担保される。しかしながら,調査年ごとに抽出率が変化したり,説明変数と誤差項との相関に顕著な変化が発生する場合,あるいは世帯・個人に固有の影響が十分に制御できていない場合,偏回帰係数は必ずしも比較可能でないことには十分な注意が必要である。

これらの問題を克服するため,国際的な学術研究ではパネルデータを利用することが一般的である。もちろん,社会階層や政治資本など,本稿の趣旨に見合ったパネルデータを構築したり,RCTを実施したりすることが困難であることは,評者も理解している。しかしながら,クロスセクション・データの利用に付随する統計上の問題点を著者が適切に認識していないことは,本書の抱える大きな課題として指摘できる。

最後の第3点目として,計量手法の不正確な利用が散見される点である。一例を挙げると,第4章では党員身分の有無に関する決定要因を考察するため,ロジット分析を利用する。この手法が示唆するように,党員身分は内生変数として取り扱われている。それにもかかわらず,農村部の非農業就業や国有企業の正規雇用の決定要因を分析する際,党員身分の内生性を一切コントロールすることなく,それを説明変数として使用している。この手法では説明変数と誤差項に強い相関が発生してしまい,偏回帰係数の信頼性は確保できない。そのため,内生性を制御した二段階推計を行ったり,適切な操作変数を利用したりすることが必要不可欠である。

それ以外にも,第6章では家計全体の年収の決定要因を考察するため,ミンサー型賃金関数を利用する。しかしながら,年収には自営業収入や農業収入など,賃金収入とは全く性質の異なる収入が含まれ,しかも世帯員別の収入源なども一切考慮されていない。世帯の年収に関する決定要因について,外生的な変数のみで説明される完全誘導型の一種として取り扱うのであれば,この手法にも一定の合理性は存在する。ただしそのためには,世帯の資産(土地,固定資本)や世帯構成を示す変数も必要となるため,本書の説明変数の設定では極めて不十分である。

また本書で提起する「仮説」についても,経済学の理論モデルから導き出される,厳密な意味での仮説ではない。むしろ,中国に関するマクロの記述統計と,中国の制度的・政策的な実情に依拠して経験的に導かれた「推論」に近いものである。加えて,各章で提起される「仮説」の数があまりに多く,どの推計結果がどの「仮説」に対応しているのか,非常に分かり難い構造になっている。その意味で,記述的な考察を得意とする「日本の中国研究」の特色を本書は強く反映していて,仮説の設定や分析手法の面で欧米の研究とは性格が大きく異なる。そのため,本書の目的とする「国内外のギャップを埋める」(6ページ)ことに成功したと評価することは困難で,むしろ本書はそのギャップの大きさを読者に実感させる内容となっている。

以上のように,現代中国の社会・経済の構造的変化を考察する上で,本書には大きな貢献が存在する一方で,分析視点や計量的な手法面で多くの課題も抱えている。このような本書の課題は,日本の中国研究に通底するもので,評者も含めた日本の中国研究者が対峙すべきものとして認識する必要がある。したがって,本書を通じて中国のミクロ計量分析に興味をもつ学生や研究者が増えていくこと,さらに本書に触発され,関連機関と密接に提携しながら,独自のアンケート調査が中国で広く展開され,それらが国際的に通用する学術論文として出版されていくことを強く期待したい。

(注1)  5Sは「整理・整頓・清掃・清潔・しつけ」,KAIZENは日本語の「改善」(総合品質管理),TQMはTotal Quality Managementを意味する。

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