アジア経済
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書評
書評:Yasuyuki Nagafuchi, Bali and Hinduism in Indonesia: The Institutionalization of a Minority Religion.
Kyoto University Press, Trans Pacific Press, 2022, viii+300pp.
岩原 紘伊
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2024 年 65 巻 1 号 p. 77-82

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Ⅰ インドネシア・バリ島とヒンドゥー

本書は,インドネシアにおける少数派宗教であるヒンドゥーの制度化を,バリ島を舞台として歴史的に紐解いた学術書である。本書で問われているのは,どのような認識や経緯のもとインドネシアではヒンドゥーが行政機構のなかで制度化されてきた/いるのか,そしてそれは21世紀においてどのような課題に直面しているのかということである。著者の永渕康之は,インドネシア・バリ島をフィールドとする文化人類学者であり,とりわけ歴史的な過程に注目しつつ,バリ文化と植民地主義との関係や宗教実践に関する論考を発表してきた。本書はその集大成とも言えるだろう。

イスラーム教徒が多数を占めるインドネシアにおいてヒンドゥー教徒は極めて少数派であり,大多数のヒンドゥー教徒はバリ島に暮らしている。ヒンドゥーを基盤とする文化は,インドネシア随一の観光地でもあるバリの観光アトラクションとなるなど,独自の文化として強調されることも多い。そのためバリ地域研究において,ヒンドゥー文化は題材として頻繁に取り上げられてきた。だが,本書はヒンドゥーをバリ文化の源泉として単純に捉えられないことを教えてくれる。それだけではなく,本書は一歩引いてみると,世界宗教であるヒンドゥーのインドネシアにおける歴史的展開をもとに,宗教と政治の分離しがたい関係を描き出す論考でもある。すなわち,本書はバリを事例とする文化人類学の成果という枠組みを超え,歴史学,宗教学,そして比較政治学を横断する学術的貢献をもつと言っても過言ではないだろう。

著者と評者は,文化人類学者としてともにバリをフィールドとしているという共通点をもち,バリとはいかなる地域であるのかという地域研究的な問いを共有している。その一方,著者は歴史人類学,評者は観光人類学という異なる領域からこの地域研究的な問いを探究している。そこで評者は,観光人類学の立場から,歴史人類学のアプローチで宗教の制度化を描いた本書の批評を行ってみたい。

Ⅱ 本書の構成と内容

本書は,短い序章と終章を除くと,全6章の3部構成となっており,各部は時系列に沿って記されている本書の時代区分を示している。第1部「ヒンドゥーと植民地政府」(評者訳,以下同)は第1章と第2章からなり,ヒンドゥーと植民地政府の関係が主題となっている。続く第2部「ヒンドゥーと国民国家」は第3章~第5章からなり,どのように植民地時代のヒンドゥーに対する認識がインドネシア共和国の宗教行政のなかで再構成されたのかが描かれる。第1部,第2部の内容は,2007年に日本語で出版された『バリ・宗教・国家――ヒンドゥーの制度化をたどる――』[永渕 2007]の第2章~第6章の英訳となっている。第3部「ヒンドゥーとグローバルな国家」は第6章であり,インドネシアのヒンドゥーが価値の多元化のなかで分裂していく様相が記述される。なお,第6章は,2005年に『国立民族学博物館研究報告』に発表された論文「宗教と多元化する価値――インドネシアにおけるヒンドゥーをめぐる境界線を定める闘争――」[永渕 2005]の英訳である。

序章では,本書の目的,本書が扱う時代,そして内容の概略が提示される。第1章「定義される性質,破壊された宇宙」では,植民地行政によって導入されたヒンドゥーをバリ文化の本質とする世界観とそれがいかに展開されたかが描かれる。1908年にオランダはバリ全島を植民地領土とし,住民管理に関する法整備を進めるなかでヒンドゥーを信仰する人々をバリ人と規定した。本章では,これを前提とした植民地政府とオランダ人東洋学者による調査研究,カースト制度の実体化,バリ・ヒンドゥーの総本山であるブサキ寺院の再建問題,バリ文化の保護の方向性をめぐる論争などに焦点が当てられる。

続く第2章「もう一つの空間」では,1930年代からバリ社会内部で見られた宗教への意識の高まりと儀礼の再活発化,そしてバリ人たちによる出版を通じた宗教的知識の普及活動が詳述される。1938年,植民地政府は旧王国の王家に自治領主の地位を付与した。これに伴い,旧王家から構成される王家評議会がブサキ寺院の運営権を握り,王家の宗教的権威は強化された。ただし,その一方でカーストにもとづく称号をもつ人々(トリワンサ)ともたない人々(スードラ)の間の確執の深まりが,対立する2つの団体の出版活動から明らかにされる。バリ人の団体活動のさらなる拡大として,教師や徴税官といった下級公務員たちによって設立された団体であるバリ・ダルマ・ラクサナ(Bali Dharma Laksana,以下BDL)の言論活動にも焦点が当てられ,先行研究ではあまり検討されてこなかったBDLが当時すでに出版や教育活動を通じて宗教の制度化に重要な役割を果たしていたことが指摘される。

第3章と第4章は,アジア・太平洋戦争後の脱植民地化の過程で生じたヒンドゥーの制度化が描かれる。第3章「社会の再建と道徳」では,独立直後の混乱期における動きが解説される。1945年からの約5年間,バリを含む東インドネシア国とジャワを中心とする共和国という2つの国家体制が併存する状況下で,バリではオランダ支持派と共和派の激しい武力闘争が繰り広げられた。このような背景のなか,1950年に統一インドネシア共和国が誕生すると,バリにも地方議会が発足し,先のBDLの元メンバーたちが占める共和派が議会運営の主導権を握った。議会がおかれたことにより,現在のバリ州の州都デンパサールはバリにおける政治,教育,そして宗教の中心地となっていく。国立ウダヤナ大学が1958年に設立されると,インドへの留学経験をもつ新世代の大学教員が発言力を増し,バリ宗教の体系化に大きな役割を果たした。さらに,司祭が権威の中心であるバリの宗教実践のあり方に批判的だったバリ在住のインド人サンスクリット学者シャストリを通じても,インド由来の宗教的知識とバリ・ヒンドゥーの慣習が接続していった。

第4章「宗教と国家」の主題は,統一インドネシア共和国成立後におけるヒンドゥーの国家公認要求運動である。国是パンチャシラ(唯一神への信仰,公正にして礼節に富む人道主義,インドネシアの統一,代議制における英知に導かれる民主主義,国民にとっての社会公正という5項目から構成される建国五原則)の第1項は「唯一神への信仰」であり,1945年憲法は信教の自由を保障しているものの,国民の信教は宗教省により制度的に管理された。1946年の宗教省発足直後,政府から正当な立場を認められた宗教はイスラームとキリスト教のみであり,バリ・ヒンドゥーを含むこれら以外の宗教実践は国家が認めるところの「宗教」ではなく,単なる「信仰」と分類され一括管理された。1952年になると,宗教省はバリ・ヒンドゥーをヒンドゥーの流れをくむ「宗教」であることを初めて認めた。1959年には宗教省にヒンドゥー・バリ部門が,1962年には宗教省バリ州支局がそれぞれ設置され,以後バリ内部では宗教の組織化が進んでいった。この変化のなかで設立されたのが,後にインドネシアにおけるヒンドゥーの代表機関となるパリサダ・ダルマ・ヒンドゥー・バリ(Parisada Dharma Hindu Bali,以下パリサダ)である。パリサダの成立によって上述の王家の宗教的権威が消失した一方で,新たに旧王国の領土を引き継ぐ県から構成されるバリ州と宗教との切り離せない関係が成立した。また,イスラーム中心的な宗教省との交渉は,本来多神教的なバリの宗教に一神教的な宗教観を導入する帰結をもたらした。

第5章「新秩序の精神」では,1965年の9月30日事件(クーデター未遂事件)から宗教制度がいわば完成する1990年代までの新秩序体制下での動きが示される。9月30日事件では共産党の関与が「認定」されたことにより,インドネシア各地で共産党関係者とみなされた人々が組織的に虐殺され,バリでも多数の犠牲者が出た。共産党は「唯一神への信仰」を掲げる国是パンチャシラの冒瀆者というレトリックで糾弾された。宗教とのかかわりにおいてこの事件が重要なのは,無神論者は許されず,国家公認宗教の信仰が国民の条件として絶対化された点である。本書では,そのバリへの影響として以下の3点が指摘されている。1点目は,宗教省バリ州支局による儀礼の実施方法に関する要請やパリサダとの宗教教育キャンペーンなどを通じた宗教の政治的役割の強化である。2点目は,新秩序体制の基盤となった職能集団ゴルカルにパリサダが加入した結果生じたヒンドゥーのインドネシア化である。3点目は,バリ州政府がパリサダと協力しつつブサキ寺院の儀礼執行者と自ら主張し,進めた儀礼実施方法のマニュアル化である。こうして,州政府を王,パリサダを司祭として王国時代のような大儀礼がブサキ寺院の宗教実践における中心性を高めるため実施されるようになった。

最終章である第6章「崩壊 ヒンドゥーと価値の多元化」は,1980年代から見られる国家レベルのヒンドゥーの組織化と宗教としてのヒンドゥーの多元化を主題とする。バリからジャワの都市部への移住,スラウェシやスマトラへの国家政策による移住事業,そして1965年の虐殺事件による宗教への帰属の絶対化によって,バリ以外に生活するヒンドゥー教徒の数は増大した。1980年代以降,全国レベルのヒンドゥー組織も生まれた。こうした動きの影響を強く受けたパリサダは,2002年にパリサダ代表の司祭階級外からの選定やハレ・クレシュナ等のヒンドゥー的諸団体の加入をめぐって,それを否定するチャンプアン派と肯定するブサキ派に分裂した。この背景として,以下の2点に焦点が当てられる。1点目は,バリの宗教世界においてサイババやハレ・クレシュナといった慣習を基盤とする共同体とは異なる平等主義や個人主義的傾向をもつヒンドゥー的諸団体の活動が活発化していることである。2点目は,植民地統治に利用されたカースト制度にもとづく差別は徐々に消失しつつあるものの,名前に称号を保持し続けている人々が宗教的権威を維持し,称号をもたない人々の名誉が独立後も回復されていないことに対する反感である。称号をもつ司祭を中心として構成されてきたヒンドゥーをいかに民主化していくのか,ヒンドゥーをめぐる価値の多元化にいかに正面から対峙していくのか,その答えを見出すのが困難ななか,ヒンドゥーをめぐる状況が極めて不連続かつ流動的に展開していることが浮き彫りにされる。

終章は,本書の総括となっている。各章が振り返られた後,バリからインドネシア全体に広がったヒンドゥーの制度化とは,バリのパリサダと全国的なパリサダの分離,司祭主義からのパリサダの撤退,そしてバリ文化にもとづく儀礼主義とグローバル宗教としてのヒンドゥーの分裂とも読み替え可能であり,バリにおける宗教の姿はその時代の本質を露呈するとまとめられている。

Ⅲ 本書の貢献と論点

以上,本書を通じて論じられてきたのは,固く結びついたように見えるバリとヒンドゥーの関係が,その時々の社会情勢や国内政治に左右されながら形成されてきたものであり,流動的な性質をもつということであった。ここでは,本書の3つの貢献を述べ,その上で冒頭において記したように評者がこれまで行ってきた観光人類学的な立場から宗教の制度化について見出せる2つの論点を示してみたい。

まずは,本書の貢献を3点に絞って述べる。1点目は,本書が植民地期からポスト・スハルト期まで扱っていることで,長期的な視点からバリの人々のヒンドゥーをめぐる認識の段階的な変化を明らかにしていることである。これまでにも国内外の論考において,今日のバリのイメージを理解するにあたって,植民地統治時代のオランダによる文化政策や当時盛んに行われた東洋学者たちによる研究によって生み出された学識に目を向ける必要性が提起されてきた。もちろん,本書もその時代に紙幅を割いているものの,その役割はバリとヒンドゥーの関係の原点を探求するためではなく,あくまでもそれを1つの過程として描くためと言えるだろう。本書全体をとおして見えてくるのは,従来バリの人々には完全には一致していなかったインドのヒンドゥーとバリ・ヒンドゥーが,植民地統治,国民国家の成立を経て段階的に同じものとして内面化されていったことである。文化政策や制度設計がなされたからといって即座にそうした外部の見方が導入されるわけではない。なかでも第3章,第5章,第6章を通じて検討される,宗教的知識を流通させるバリの知識人たちによる出版活動や王国的秩序についての記述は,現在のバリの人々がもつヒンドゥーに対する意識のあり方についての理解を大いに深めてくれる。

これに加え,2点目の貢献として挙げられるのは,バリの人々のヒンドゥーという宗教への帰属のあり方が,社会不安や組織的暴力のために再編・強化されていった事実を浮き彫りにさせた点である。1950年代,1960年代のバリ社会は,今日観光プロモーションにおいて頻繁に強調される「楽園」というイメージとは程遠く暴力に覆われていた。今なおインドネシア社会に暗い影を落としている9月30日事件のバリへの影響は大きかった[倉沢 2020]。だが,この事件が現在のバリの人々の宗教意識を方向づける重要な出来事として詳細に検討されることは少ない。本書でこの影と宗教との接点が照射されたことで,バリの人々が社会不安を乗り越えるために大きな役割を果たしたのがヒンドゥーという宗教であり,だからこそバリの人々はインドネシア国家のなかにヒンドゥーを公式に位置づけるために腐心し,交渉していたことがよく読み取れる。

9月30日事件での経験をとおして,今日インドネシア国民であれば,国家公認宗教のいずれかに帰属することは絶対であるという意識が国民全体に共有されている。ヒンドゥーが国家公認宗教と位置づけられれば,バリ島外に住む人々にとってもヒンドゥーが選択肢の1つとなる。ヒンドゥーの国家公認宗教化は,バリで実践されてきたヒンドゥーをインドネシアという国家全体に開くことを意味しており,第6章で詳述されるパリサダ分裂への布石として論じられている。そして,それが,植民地政府が想定したようなバリとヒンドゥーの間の文化的結びつきとはまったく別様のサイババやハレ・クレシュナといったヒンドゥー組織の考え方を取り込むことをも求められる事態を生み出しているという議論展開は非常に納得させられる。

3点目は,現代インドネシアにおけるヒンドゥーをめぐる状況の複雑さを丁寧に提示している点である。ヒンドゥーが国家公認宗教として制度化された結果,ヒンドゥー組織が全国的に展開したり,サイババやハレ・クレシュナといった従来バリにはなかったヒンドゥーの考え方がバリ社会内部へ流入したりした。これはバリ地域研究において重要である。というのも,多くのバリ地域研究は近代化による社会変容に注目する一方,バリとヒンドゥーの関係を強固な揺ぎないものとして描く傾向が見られるからである。しかし,この新たな局面に関する説明から,インドネシアにおいてヒンドゥーをバリ中心的に見ること,また両者を一括りに捉えることの限界がよく理解できる。ヒンドゥーという宗教を信仰する人々の価値の多元化,そして宗教的権威をめぐる相克もまたバリ社会が直面する現実であるのだ。

偶然にも評者が2010年にバリで調査を始めた際に間借りしたのは,サイババ信者である60代(当時)のバリ人夫妻の自宅であった。自宅には随所にサイババの教えを示す文言が掲示されていたが,サイババ信者であるといっても彼らは葬式や出身村落の周年祭といったバリの人々に実践されている儀礼への参加を完全にやめてはおらず,むしろ頻繁にそのために出身村落に帰郷していた。では,彼らにとってサイババとはいかなる存在なのか。これは憶測の域を出ないが,サイババは制度化されたヒンドゥーとは異なる考え方をもたらしてくれる存在であり,この夫婦にはその異なる考え方が必要であったように思われる。というのも,この家主と妻は,妻が司祭階級出身である一方,家主は称号をもたないスードラ出身であるという,バリでは一般的ではない婚姻関係にあるからだ。制度的に可能になったとはいえ,バリでは階層が高位のカースト出身の女性が,下位のカースト出身の男性と結婚する下降婚は避けられる傾向が見られる。それは今なお,カースト制度にもとづく婚姻のルールが人々の意識のなかでは完全に消失していないからである。これは一例にすぎないが,本書でも指摘されているように,植民地統治に端を発するヒンドゥーの制度化に対する称号をもたない人々の反感や葛藤が,ヒンドゥーをめぐる価値の多元化を牽引しているように思わざるを得ない。こうした価値の多元化は今後,近代的な価値観の普及や経済成長による社会変化のなかで一層加速化していくことが予想される。

上述した3点に限らず本書の貢献は多岐にわたる。一方で,観光が宗教的価値観の変容にも大きな影響を与えているという見方が提示されているにもかかわらず[吉田 2020],本書では観光とバリ・ヒンドゥーの今日的関係についてほとんど触れられていない。1980年代後半に大規模観光開発が開始されて以降,観光はバリの政治,経済,文化に多大な影響を与える社会現象となっている。とりわけ,下記のように2002年以降,観光の領域においてヒンドゥーの影響は増加する一方,ヒンドゥーに対するバリの人々の意識もまた観光に大きな影響を受けるようになっている。この新たな動きは英語版の出版にあたって,深く検討される必要があったように思われる。そこで,以下では本書を起点にこの問題を掘り下げていくための論点を観光人類学の立場から2点考えてみたい。

まず,1点目は現代バリにおいて生じている文化的アイデンティティの見直しとヒンドゥーとの関係の検討である。2002年10月,バリ南部観光地で約200名が犠牲者となり,多数が負傷した爆弾テロ事件が発生した。1998年のスハルト政権崩壊後の地方分権化の流れのなかで,バリ社会内部でもバリ人アイデンティティを問い直す動きが見られるようになっていた[Davidson and Henley 2007]。この事件そのものは,イスラーム原理主義者による犯行であったが,バリの人々は,宗教的な責務や道徳的価値を忘れ,観光開発を過度に推し進めたために神の怒りを買ったのだと理解した。この事件を発端に,マスメディアではバリ人アイデンティティの強化が訴えられるようになり,バリ人らしさとは何か,慣習とはどうあるべきかという議論が新聞やテレビ,雑誌を中心に積極的に展開されていった。そのなかでもとくに普及したのが,ヒンドゥーの哲学とされる「トリ・ヒタ・カラナ(Tri Hita Karana)」だろう。

トリ・ヒタ・カラナは,サンスクリット語で3つの幸せの理由を意味し,神と人間,人間と環境,神と環境という3つの領域の調和を表すと理解されている。サンスクリット語であるものの,実はインドのヒンドゥー由来の概念でもない。1960年代にバリで初めて言及されたのだが,上述の1998年以降の社会変化のなかでバリ・ヒンドゥーの重要な特質としてバリ社会内部で一層流通していった。そのハイライトとなったのが,2012年の「バリ州の文化的景観――トリ・ヒタ・カラナの哲学を表現したスバック・システム」の世界文化遺産登録である。世界文化遺産は重要な観光アトラクションであり,その地域の文化的象徴として発信される。これは,観光の領域に新たなヒンドゥー的要素が加わったことを示している。観光は,経済,社会,文化などさまざまな領域と結びつく現象である。現代において,観光の領域にいかなる形でヒンドゥーが接続するかは,より注視されるべきだろう。

2点目は,バリの人々によって生きられる多様なヒンドゥーのあり方と,観光で繰り返し表象されるヒンドゥーのイメージとの乖離に関する検討である。観光は第6章で述べられているパリサダの分裂にも少なからず影響を与えている。バリ観光においてヒンドゥーはバリの特殊性を彩る重要な文化的価値として表現されることが多い。しかし,本書で述べられてきたように,現代バリにおいてヒンドゥーをめぐる文化的価値は多元化の一途をたどっている。以前評者は,観光地でインドの伝統衣装サリーを身に着けたハレ・クレシュナ信者の行列を見かけたことがあった。バリにおいてインド的な要素は,文化的にいえば異質なもののように映る。価値の多元化が進むなかで,ヒンドゥーをめぐる新たな考え方は人々の意識の領域にとどまらず,具体的な形としてより顕在化するだろう。観光はこうしたバリ社会の現実をどのように取り込むのか,あるいは排除するのか注視していく必要がある。観光がバリ経済の中心である今日,バリ社会のあり方は良くも悪くも観光の影響を大きく受ける。ヒンドゥーの島であること,それはインドネシアにおける文化的特殊性をもたらし,観光客にとって観光地バリの魅力を増幅する重要な要素となる。観光をとおして意味づけられるヒンドゥーとは一体いかなる存在なのか。それを紐解くことは,ヒンドゥーのインドネシアにおけるダイナミックな展開に新たな知見をもたらす可能性をもつのではないだろうか。

最後に,本書はバリとヒンドゥーの関係を歴史的にたどることを目的としており,民族誌的記述は第6章に限られる。文化人類学を専門とする本書の著者による学術書として若干の物足りなさを感じる読者もいるかもしれない。本書には掲載されていないが,日本語版の著書[永渕 2007]第7章にはフィールドワークの記録とそれにもとづく活き活きとした民族誌的記述が収められている。日本語版にも目をとおされることを強くお勧めしたい。

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