2024 年 65 巻 2 号 p. 22-52
水利組合事業は,植民地朝鮮の米穀増産政策の中核であった。本論文では,1916年に設立された全羅北道・古阜水利組合の組織運営に関して事例分析を行った。分析の結果,次の2点が明らかになった。第1に,組合長や評議員の選出過程において,少数の日本人資本法人・日本人の大地主からなる有力組合員が主導権を掌握していた。評議会においては,大地主でありかつ組合の債権者でもあった東洋拓殖会社およびその他大地主らが,自分たちの利害を背景に厳格な組合費徴収を主張してそれを制度化させた。第2に,水利組合の運営のために,職員による官僚制的分業体制が構築された。そして,幹線-支線水路の配水業務のための集権的な指示伝達システムが作動していた。総じて,古阜水利組合の組織運営は,中央集権的で官僚制的であった。ただし,集権的な配水システムは,末端小水路レベルでの受益農民による慣行的な配水によって補完されていた。