2024 年 65 巻 4 号 p. 34-63
本稿では,オラーンチャブ盟を中心に,蒙疆政権時代における盟旗制度について,領域とジャサグの権限に注目して検討する。盟はモンゴル遊牧社会の動態に沿った組織であったが,農耕化や省県の設置により,内モンゴルでは,20世紀までに盟の解体が進んだ。1930年代,内モンゴル西部において,徳王らは国民政府に対して省廃止を求める自治運動を展開した後,蒙疆政権の支配下に入った。ここで徳王は,新たに盟公署を設置してモンゴル人による支配を強化しようとする。しかし盟はそもそも組織的実態がなく,これをどのように組織化し,運用していくかは,手探りの状況であった。蒙疆政権はオラーンチャブ盟で盟会議を開催したが,そこで王公らは清代の枠組みに沿って,領域とジャサグ制度の維持を求めた。しかし蒙疆政権側はジャサグ制度の維持を認めただけで,開墾地(領域)の問題は解決できなかった。その結果,同盟の各旗は不安定化したまま1945年を迎えた。