アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
研究ノート
比較政治学は習近平一強体制の登場を説明できるか――権威主義体制における権力の個人化の条件とメカニズム――
林 載桓
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2025 年 66 巻 1 号 p. 29-51

詳細
《要 約》

権威主義体制のなかでリーダー個人に権力が集中する事例が増加している。このような個人化の進展は,社会への抑圧強化や国家間紛争につながりやすいとされ,権威主義国家の国内だけでなく,国際的にも懸念の声が高まっている。しかし,個人化の様相は非常に多様であり,その実態をどのように捉え,説明するかについては,さまざまな議論が行われている。本論文では,比較政治学における近年の研究を取り上げ,権力の個人化の概念と測り方,そして権力の個人化が生じる条件とメカニズムについてどのような知見が蓄積されてきたかを考察する。さらに,本論文は,これらの知見の妥当性と適用可能性について,リーダーへの急速な権力集中が注目を集めている中国の習近平政権を事例として検証する。本論文を通じて,①個人独裁の傾向を権威主義政治に共通する一つの特徴と見做し,その動態を定量的に測ろうとする試みがなされていること,②権力の個人化は,エリート間の権力分有の構造と性質を決める特定の制度や状況のもとで発生しやすくなること,③習近平政権における個人独裁の強化は,制度的,構造的,状況的要因が複合的に作用した結果である,という点を明らかにしたい。

Abstract

In a growing number of authoritarian regimes, power is becoming increasingly concentrated in the hands of individual leaders. This trend toward the personalization of power is often linked to increased societal repression and the escalation of international conflicts, raising concerns both domestically and internationally. However, the manifestations of such personalization are remarkably diverse, and this has led to extensive debates regarding its interpretation and explanation. This paper examines recent research in comparative politics, focusing on the conceptualization and measurement of personalization of power, as well as the conditions and mechanisms under which it occurs. Furthermore, this paper evaluates the validity and applicability of these insights by focusing on the Xi Jinping administration in China, where the rapid concentration of power in the leader has attracted considerable attention. Through this analysis, the paper makes the following arguments: (1) that efforts have been made to conceptualize personalist dictatorships as a pervasive feature of authoritarian politics and to quantify their dynamics; (2) that personalization of power arises under specific institutional or contextual conditions that determine the structure and nature of power-sharing arrangements among elites; and (3) that the emergence of a personalist dictatorship in China reflects a complex interplay among institutional, structural, and situational factors.

 はじめに

Ⅰ 権威主義体制の個人化――概念と測定――

Ⅱ 権威主義体制の個人化――初期条件とメカニズム――

Ⅲ 習近平政権期の中国政治と権力の個人化

 結 論

はじめに

権威主義体制の個人化が進んでいる。ある研究では,リーダーがいかなる組織や制度の制約を受けずに権力を行使できる「個人独裁政権(personalist regime)」の数が,冷戦の終結とともに着実に増加し,2010年には世界中の権威主義国家の4分の1を占めるようになったことを報告している[Kendall-Taylor, Frantz and Wright 2017]。こうした個人独裁政権の増加は,単に学術的に興味深い現象にとどまらない。すでに多くの研究が,個人独裁政権の望ましくない行動パターンについて実証している。端的にいえば,個人独裁政権は国内的により抑圧的な振る舞いをし,対外的により好戦的な政策をとる傾向があるとされる[Roessler 2011; Davenport 2007; Weeks 2012]。しかも―厄介なことに―これらの政権は国内外の挑戦にかなり強靭である[Geddes 2003; Svolik 2012]。権威主義体制の個人化は,近年さらに顕著になり,2020年の時点で権威主義国家のおよそ40パーセントが個人独裁政権の特質を示しているとの指摘もある[Frantz et al. 2020, 376]。

本論文の課題は,権威主義体制の個人化をめぐる近年の研究動向を紹介し,それらの研究が提示してきた理論的・実証的知見が権威主義政治に対する我々の理解をどのように改善させているかを評価することである。具体的に,本論文は,権威主義体制の個人化をめぐる議論について二つの貢献を行う。第一に,比較政治学における最近の関連研究を紹介しつつ,①個人独裁の位置づけが権威主義体制のひとつのサブカテゴリから権威主義統治に共通してみられる一つの特質へと変わってきたこと,②そうした視点の変更が従来の枠組みでは捉えきれなかった個人独裁のダイナミズムについてより系統的な分析を可能にしてきたということを,具体的な研究成果とともに提示する。こうした作業は,複雑さを増しつつある個人化の現状を確かめる上で,また,今後の研究の方向性を考える上で有用である。

第二に,本論文は,これまでに得られた知見が個別具体的な権威主義政治の理解にどれほど役立つかを,権力の個人化が顕著な中国の事例を用いて検証する。習近平政権発足後の中国政治の変貌は当初より注目を集めてきたが,習近平への権力集中の原因と結果についてはいまだ十分な分析が行われていない。主として多国間データの統計分析から得られた理論的,実証的知見が,中国の事例をどれほど説明できるのか。また,これらの知見に照らしてみれば,近年の中国政治の展開はどのような点で特徴的であり,さらなる検証が必要なのか。これらの問いに答えることは,中国政治の研究が比較政治学の理論的発展に貢献する道を考える上で不可欠である。

本論文の構成は以下のとおりである。第I節では,比較政治学における個人独裁政権の研究動向を紹介し,最近,個人独裁の状況を観察可能な形で再定義しその動態を定量的に捉えようとする議論が盛んになってきたという点を指摘する。第Ⅱ節では,こうした視点の変更から生まれた理論的知見を観察可能な命題として提示する。第Ⅲ節では,これらの知見が習近平政権期中国政治の変動をどれほど説明できるかを考察する。結論では,本論文の貢献を総括し,残されている課題について論じる。

Ⅰ 権威主義体制の個人化――概念と測定――

一般に,権威主義体制のリーダー(以下,独裁者と同義に用いる)は,人事と政策決定のプロセスをコントロールし,軍や治安部隊を掌握するなど,できる限り多くの権力手段を手中に収めようとする。このような権力強化の試みが成功し,より大きな権力手段をもつようになったとき,彼らはその体制をより「個人化」したといえる[フランツ 2022,68]。つまり個人化は,独裁者が体制に対して自らの支配を強化するプロセスを指す。重要なのは,こうしたプロセスが必然的に独裁者とエリート間の権力関係の変化を伴うことである。すなわち,独裁者とエリートの権力関係はゼロサム・ゲームの性質をもっていて,一方の権力増大は他方の権力低下をもたらすことがここでの前提となる。言い換えれば,権威主義体制の個人化とは,独裁者個人に権力が集中し,相対的にエリートがもつ権力が低下することを意味する(注1)

当然のことながら,権力が独裁者個人に集中するという現象自体は,最近になって初めて注目されてきたものではない。統治者の数(一人か少数か多数か)に焦点を当てることは,政治体制の古典的な分類基準である。また,アフリカ諸国の権威主義国家に光を当て,統治者と少数のエリートの関係を権威主義政治の構造化されたパターンとして捉えた研究もある[Jackson and Rosberg 1982; 佐藤 2007]。そしてGeddes[1999]は,比較権威主義分野の先駆けとなった研究において,リーダー個人に権力が集中し,制度や組織が独立した影響力をもたない政権を,個人独裁政権として類型化し,軍事政権(military regime)と一党支配政権(single-party regime)と区別した。その後,多くの研究がそうした類型区分を採用して,政治,経済,政策的帰結を説明しようとした[Peceny and Beer 2002; Reiter and Stam 2003; Weeks 2008; 増原 2010; 大澤 2020]。

しかしながら,個人への権力集中の度合いのみをもって政治体制の性質を規定しようとすることについては,当初より疑問が呈されていた。たとえば,Slater[2003]は,権威主義体制の存続に重要なのは政策実施の担い手となる統治組織の性質(軍隊か政党か)であり,意思決定権力(despotic power)の集中はそれほど重要な要素でないと指摘した。一方で,Weeks[2012; 2014]は,リーダーへの権力集中の度合いを,体制固有の特徴というより,軍事政権と一党支配政権をより精緻に区分する基準として扱い,新たな類型化を行った。つまりここでは,独裁者個人への権力集中が特定の権威主義体制を定義する独自の性質ではなく,程度の差はあれ,あらゆる権威主義国家で観測できる共通の要素と見做されているのである[Hadenius and Teorell 2007; Svolik 2009]。

ただし,権力の個人化が一定の普遍性をもっているということは,すべての権威主義国家において権力集中の態様や度合いが一様であることを意味しない。加えて,独裁者個人に焦点を当てた一連の研究は,特定の出自や経歴から形成された独裁者個人の選好が政策の内容と帰結に重大な影響を与えることを明らかにしてきた[Horowitz and Stam 2014; Colgan 2013]。このように権力の個人化がどの権威主義国家でも起こりうる,かつ重要な含意をもつ現象であり,さらにその度合いが時間とともに変化し得ることが認められるようになると,次の課題は,その変化をどのように測定し,現実の政治,経済,政策的帰結の探究に結び付けるかになってくる。そこで,従来の体制区分の精緻化を模索しつつ,個人化の度合いを定量的に測定しようとする動きが出てきている[Geddes, Wright and Frantz 2018; Gandhi and Sumner 2020; Baturo and Elkink 2021; Jiang, Xi and Xie 2024]。複数の研究が存在するが,ここではひとまず上述したゲデスらの作業を中心に議論を進めたい(注2)

個人化の度合いを掴むために彼らが着目したのは,独裁者と支持政党,そして独裁者と軍部・治安部隊などの強制機構の関係である[Geddes, Wright and Frantz 2018]。具体的には,それぞれの関係にかかわる8項目を1950年から2010年までの各年度のすべての独裁政権を対象にチェックし,それをもとに標準化されたスコアを与える(注3)。チェックされる項目は,支持政党との関係では(1)要職人事の評価基準(個人的忠誠か能力か),(2)新しい支持政党の創設如何,(3)党執行部の人事決定の独占如何,(4)党執行部における政策決定の独占如何,そして強制機構との関係については,(1)当該組織の個人的統制如何,(2)人事評価の基準,(3)準軍事組織や治安部隊の創設如何,(4)政敵やライバルに対する手続きなしの投獄・殺害如何,となっている。図1は,こうして算出された個人化スコアの各年度平均を示したものである。個人化の度合いは,冷戦の終結とともに一時的に低下したものの,すぐに反動し2000年代をとおして微増する傾向を示している。集計値とはいえ,時系列な変化に富んでいる。

図1 権威主義体制の個人化の推移(1950-2010)

(出所)Wright[2021]のデータをもとに筆者作成。

個人化指数は,権威主義体制のグローバルな傾向をみるだけでなく,個々の権威主義国家,さらには個々の政権における個人独裁の傾向を数値化することで,他の体制変数との関係や政策への影響を検証するのに役立つ。実際,この指数を使って,個人化の要因や影響を実証的に検討する研究がすでに登場してきている[Timoneda, Escriba-Folch and Chin 2023; Chin et al. 2022; Fails 2019; Song 2022]。

ただし,個人化指数を活用する際にはいくつか注意すべき点がある。第一に,この指数は,権力の個人化を専らリーダーと政権エリート(ex. 政権与党または軍部の指導幹部)の相互作用の関数として捉える。その結果,リーダーと社会の関係やリーダーと官僚制の関係など,権威主義政権の存続や政策的帰結に影響する他の要素は,概念と指標構築の射程から外されている。もちろん,これは上述した個人化の定義に基づいたものであるが,該当指数を分析に取り込む際には,それが測っていることの正確な意味や射程の限定性を自覚していなければならない。

第二に,該当指数と現実の整合性には限界がある。権威主義政治が複雑多様であることは言を俟たないが,個人化の動きはとくに変化に富み,また変化の軌跡は直線的でない[Gandhi and Sumner 2020]。たとえば,図2によると,中国とカンボジアは冷戦期に比べ個人化の度合いが低下したことになっている。中国政治の変容については後述するが,カンボジアの場合,政治の実態は個人化指数が示唆するそれとは逆の傾向を示しているとの指摘がなされている。すなわち,1990年代以来,フンセン大統領への権力集中は,個人化指数が依拠するほぼすべての項目において高まってきている[Morgenbesser 2018; Chambers 2020]。該当指数は,個別具体的な事例において引き続き改善されていかなければならない。

図2 権威主義国家における体制の個人化の動向

Timoneda, Escriba-Folch and Chin[2023]のデータをもとに筆者作成。

これらの注意点にもかかわらず,権威主義体制の類型をめぐる議論を発展させ,政治体制の個人化を観察可能な尺度を用いて測定する試みがなされていることは,現実の変化を相対化する上で歓迎すべきことである。とはいえ,権威主義体制の個人化については,学術的な関心が本格的に向けられ始めた段階にあり,いまだ多くの疑問が解明されていない状況である。次節では,権力の個人化をもたらす条件とメカニズムに焦点を当て,近年の研究が提供してきた知見を整理してみよう。

Ⅱ 権威主義体制の個人化――初期条件とメカニズム――

権威主義体制の個人化,すなわち個人独裁への移行はなぜ起こるのだろうか。この設問に対する最も単純な,しかし看過されがちな答えは,独裁者本人が権力の強化を望むからである。もちろん,権力強化の意図やインセンティブが存在するからといって,すべての独裁者がそれを実行できるわけではない。前節の個人化の定義に従えば,独裁者が権力の個人化に成功したということは,「エリートがリーダーによる権力強化の試みを阻止できなかった」ことの結果である。では,エリートはなぜ独裁者への権力集中を阻止できないのだろうか。本節では,制度・構造と状況・文脈要因とに分けて先行研究が提示した答えを確認してみたい。

1.制度・構造要因

個人独裁への移行をもたらす要因を考える際のキーワードは「資源と情報」である。どちらも独裁者とエリート間の権力分有を成り立たせ,またその変化を形づくる中核的な要素である。ここでとりわけ焦点となるのは,これらの要素が,特定の制度的,構造的条件のもと,または状況の変化により,独裁者とエリートの権力関係にどのような影響を与えるかという点である。

まず,資源の側面からして問題になるのは,独裁者とエリートの間の権力資源の不均衡である。権力の座についたリーダーは通常,幅広い権限を委ねられる。権力資源に含まれるのは,国の重要資産や資源の管理,政府や支持組織の重要ポストの人事,ならびに治安部隊等の強制組織に対する統制の権限などであり,これらの資源の配分は,通常,両者の関係を規定する公式,非公式のルールや規範によって決まる[Geddes, Wright and Frantz 2018]。当然のことながら,他の条件が同等であれば,現職リーダーにより広範な権限や利益を保障する制度のもとで権力の個人化が起こりやすい。たとえば,Fails[2019]は,権力資源のうち比較的観察が容易な天然資源の管理を例として取り上げ,天然資源への依存度の高い権威主義国家の場合,資源(石油)収入の増大は個人独裁の度合いを増大させる効果があることを実証した。

命題1(権力資源の配分):権力の個人化は,国家の重要資産や資源の統制がリーダーに委ねられている条件のもとで起こりやすい。

一方,リーダーとエリート間の権力資源の配分に影響する構造的要因として最近の研究が注目しているのは,権力獲得の経路である。上述のように,リーダーがもつ権力資源の重要な部分は,政党や軍部といった支持組織におけるその地位と権限に由来する。言い換えれば,権力の獲得と維持には支持組織の存在とその支援が不可欠であり,これが権力の個人化を制約する一因になる。具体的に,たとえば,内部の亀裂が少なく凝集性の高い組織や集団に支持され権力の座についたリーダーは,政権獲得後の権力の個人化に相対的に強い制約を受けることになる。実際,ゲデスらの分析によれば,内部に分裂構造を有する組織では権力の個人化が起こる可能性が高くなるとされる[Geddes, Wright and Frantz 2018, 87-100]。

命題2.1(権力獲得の経路):権力の個人化は,リーダーが内部分裂の激しい支持組織の支援により権力を獲得した際に起こりやすい。

さらに,類似した観点から,冷戦終結後の個人独裁の増加を権力獲得の方法の変化に求める研究もある。冷戦終結とともに民主主義的仕組みが広まり,多くの権威主義国家で選挙が実施されるようになると,組織の力というより,個人的人気をもとに選挙で勝利することで権力の座につく場合が多くなる。こうして「選出」されたリーダーは意思決定の際に支持組織からの拘束が減じるため,権力競争を有利に展開することが可能になる[Kendall-Taylor, Frantz and Wright 2017; Higashijima 2022]。

命題2.2(権力獲得の経路):権力の個人化は,リーダーが特定の支持組織の支援に依存しない手段で権力を獲得した際に起こりやすい。

つぎに,情報の問題は,リーダーとエリート間の情報の非対称性を指す。エリート側からすれば,情報の非対称性のため,リーダーの機会主義的行動を適切に察知することが容易でないことが問題になる。仮にリーダーの機会主義的行動が探知されたとしても,決定的な証拠が見つからない限り,リーダーの意図をめぐる不確実性は解消されず,結果としてエリートは信頼可能な形で報復(ex. クーデター)を公言できない[Svolik 2009; Albertus and Menaldo 2012; Kaire 2024]。もちろん,リーダーにもエリートの意図や行動に関する情報の非対称性があり,エリート側がそれを利用してリーダーの行動に制約をかけることは可能である。しかし,エリート内部での情報の共有,および行動の調整がどれほど実行可能かは,それぞれの権威主義体制の制度的条件によるところが大きい。

命題3.1(情報の非対称性):権力の個人化は,リーダーとエリートの間,またはエリート内部での情報の共有を容易にする条件のもとで起こりにくい。

加えて,この点に関して先行研究は,情報を扱う組織は通常リーダーの直接の統制下にある場合が多く,情報の非対称性は独裁者に有利に働く可能性が高いことを指摘している[Dimitrov 2023; Geddes, Wright and Frantz 2018, 67]。具体的に,Geddes, Wright and Frantz[2018, 68]は,エリートに対して独裁者の有する「情報優位」(information advantage)の理由を,独裁者が「治安・情報組織から上がってくるすべてのレポートにアクセスできる」からだと説明している。しかし,Greitens[2016]が明らかにしているように,独裁者と情報機関の関係,また情報機関同士の関係は,権威主義体制ごとに顕著なバリエーションがあり,そのバリエーションは独裁者が接し得る情報の量と質に重大な影響を及ぼす。すなわち,独裁者の情報優位は,権力の個人化のひとつの帰結として捉えるべきであり,議論の前提とすることはできない。

命題3.2(情報の非対称性):権力の個人化は,リーダーに情報機関の統制が委ねられている条件のもとで起こりやすい。

このように,独裁者とエリートの関係を規定するさまざまな制度的条件が個人独裁の進行を制約し,または助長する初期条件となる。しかし,Pepinsky[2014]が強調したように,独裁政治における制度の役割を考える際には,独裁者による「制度操作」の可能性を常に考慮せねばならない。リーダーとエリートの競争がしばしば制度選択の問題を中心に展開されるのもこのためである。そこで,独裁者による制度操作の成否に影響する要因が制度化(institutionalization)の度合いである。そして,制度化のレベルを決める要因として既存の研究が重視したのが制度の公式性(formality)の有無である。なかでもとりわけ多くの焦点が当てられてきたのは,議会や政党,軍部といったフォーマルな組織であり,そうした組織の存在と政権の存続(期間)に強い相関があることが示されてきた[Svolik 2012; Gandhi 2008; Magaloni 2008]。ただし,最近の研究は,組織の存在そのものというより,組織内部の権力分有のルールや規範の制度化に注目することの重要性を強調している[Meng 2019; Gandhi and Sumner 2020]。とくにMeng[2019]は,たとえ一党支配体制と分類される体制でも安定した権力分有のシステムが制度化されているとは限らず,実際,半分以上の「支配政党」がその創設者の離脱とともに消滅していることを実証している。

命題4.1(制度化の度合い):権力の個人化は,リーダーとエリート間の権力分有を規定する公式のルールや規範が存在する条件のもとで起こりにくい。

しかし一方で,個人独裁の動向を理解するには,リーダーとエリートの相互作用に影響する公式の制度ばかりでなく,リーダーの権力行使にかかわるインフォーマルな制約に注目する必要があるという指摘もある[Meng 2020; Baturo and Elkink 2016]。たとえば,Jiang, Xi and Xie[2024]は,エリート内部のインフォーマルなネットワークや派閥の存在,およびその人的構成が,政策や人事決定におけるリーダーの裁量を制約する要素になり得ると主張する。とくに著者らが注目したのは,権力継承のプロセスにおける前職リーダーのインフォーマルな影響力である。実際の分析結果は,前職のリーダーが政権交代後に存在(生存)しているだけでも,現職リーダーの権力行使,とりわけ主要ポストに対する人事権の行使に著しい制約がかかることを示している。

命題4.2(制度化の度合い):権力の個人化は,退職した元リーダーがインフォーマルな影響力を行使できる条件のもとで起こりにくい。

2.状況・文脈要因

前項で提示した命題は,権力の座についたリーダーが直面する構造的,制度的制約に着目したものであり,多くの研究が個人化の進展する理由をこうした制度的・構造的条件の相違から説明してきた。これらの説明から導かれる一つの含意は,権力の個人化が成功するか否かは,政権発足の時点,あるいは政権初期の段階で決められるということである。

このように政権成立の初期条件を重視する説明に対して,一部の研究は,政権成立後に発生した偶然の出来事が個人化のプロセスとその帰結に重大な影響を与えることを主張する。言い換えれば,これらの研究が注目しているのは政権誕生の外生変数がもたらすダイナミズムである。

たとえば,Timoneda, Escriba-Folch and Chin[2023]は,エリートによるクーデターの失敗が権力の個人化を急速に進行させる可能性を指摘する。失敗したクーデターは,以前は入手困難であった情報をリーダーとエリートの両方に提供するきっかけとなる。具体的には,失敗したクーデターを通じて次の三つのタイプの情報が明らかになる。第一に,エリート側の意図(たとえば権力配分の現状に対する不満の存在),第二に,エリート側の能力(たとえばエリート内部の結束の度合い),そして第三に,リーダーの能力(たとえばパージの規模と範囲)に関する情報である。本来は隠されているはずのこれらの情報は,リーダーにはそれ以前は存在しなかった権力強化への新しいインセンティブと機会を,エリートには将来のクーデターを控えるインセンティブを発生させる(注4)。実際,彼らの研究は,未遂に終わったクーデターが,そうした経験をもたない政権と比べ,該当政権における個人化の度合いを平均で6倍以上増加させていること,またその効果はクーデター失敗後の3年以内に集中していることを実証している。失敗したクーデターは,個人化の傾向を急進化させているのである。

命題5(未遂のクーデター):権力の個人化は,エリートによるクーデターが失敗した後に起こりやすい。

一方で,政権成立の経緯や初期条件にかかわりのない要因でありながら,政権発足後の権力の個人化に影響し得る変数として,国際的な圧力(foreign pressure)に注目する研究もある。たとえば,Hellmeier[2021]は,経済制裁や対外脅威の増大が,リーダーとエリートのパワーバランスをリーダー優位に転じさせる可能性があることを指摘している。背後にあるのは,対外危機がもたらす政権支持グループの結集効果であり,それは権威主義体制の制度的相違に関係なく存在することが確認されている。もちろん,対外環境の悪化は,エリート側にリーダーの責任を追及する機会を提供することも考えられるが,実証分析の結果は,そうした効果は統計的には有意でないことが示されている[Escriba-Folch and Wright 2015]。

命題6(国際的な圧力):権力の個人化は,経済制裁などの国際的な圧力が存在する状況のもとで起こりやすい。

これらの研究が示すのは,権力の個人化が特定の構造的,制度的条件の下で漸進的かつ蓄積的に進行するプロセスであると同時に,外的要因の介入によって断続的あるいは急激に進展する可能性があるという点である。とくに,失敗したクーデターが情報環境に与えた影響にみられるように,国内の政変や対外危機が独裁者の権力強化を自動的にもたらすのではなく,そうした状況のなかで,既存の制度的,構造的制約を緩める機会とインセンティブが生じ得るという点が重要である。こうした点を念頭に入れれば,より現実的で興味深い仮説の構築が可能となる[Sinkkonen 2021]。これまでの議論を要約したものが表1である。

表1 権力の個人化に影響する要因とメカニズム

(出所)筆者作成。

Ⅲ 習近平政権期の中国政治と権力の個人化

2012年秋に発足した習近平政権は2期10年を超えて第3期目に入り,習近平個人への急速な権力集中が政権初期から大きな注目を集めてきた。習近平政権期における中国政治の変貌は,少なくとも表面的には,高度に制度化された支配政党体制においても,エリート間の安定した権力共有がどれほど難しい課題なのかを改めて印象づける事例といえる。本節では,前節で紹介した権力の個人化に関する理論的,実証的知見を手掛かりに,習近平への権力集中がなぜ,どのように進んできたかについて,今後の展望を含めて考察してみる。権力の個人化に関する近年の比較政治学の知見が,中国の事例をどの程度説明できるかを確認することで,中国の経験を相対化しその特質を際立たせるとともに,理論仮説をよりいっそう精緻化する手助けになることが期待される。

1.制度・構造要因

前述したように,権力の個人化をもたらす原因として近年の研究が着目しているのは政権成立時の初期条件,具体的には,リーダーと支持組織の関係を中心とした権力獲得の経緯,そしてリーダーとエリートの間の権力資源の配分を決める制度的要素の相違である。

図3は,ゲデスらのデータセットから抽出した権威主義体制の三つの潜在的構造(党の統治能力,軍の自律性,権力の個人化)が中国の場合どのような通時的変化を示してきたかを表している。データは2010年で切れているが,習近平政権発足時(2012年)の制度的条件を確認するのに有用である。それによれば,政権存続の組織的基盤をなしている党と軍の権力は,1966年から始まった文化大革命初期の一時的落ち込みを除いてほとんど変化がなく,なかでも党の統治能力は改革開放以降徐々に増大しつつあることが見受けられる。一方,個人化の度合いは変動がより激しい。文革期に急速に進んだ権力の個人化は,改革開放以降著しく減少し,その後も基本的に低い水準で推移してきた。こうした中国政治の軌跡は,既存の中国政治研究が提示してきた観察とおおむね一致するものである[Nathan 2003; Li 2016; Wang and Vangeli 2016]。

図3 中国政治の潜在的構造と歴史的変遷(1949-2010)

(出所)Wright[2021]のデータセットをもとに筆者作成。

ここで確認できるのは,習近平政権発足時の制度的条件が,その後の急速な習近平への権力集中を予測させるものではなかったという点である。実際,習近平が胡錦濤の後任として党の総書記に選ばれた経緯についての最も説得力のある,かつ広く支持される説明は,彼が2007年の党大会の時に行われた新政治局委員の予備選挙で最多票を獲得し,ライバルの李克強に「数」で勝利したという事実を重視する[高原 2018, 141-142; Shirk 2022, 72]。つまり,習近平政権の成立は,特定のリーダーや派閥の支援によるものでなく,党のエリート内部のいわば「集団的」選択の結果であり,それはある意味では,図3が呈している中国政治の制度化のひとつの帰結として捉えることができる[Dickson 2021]。

しかしながら,統治体制全般で制度化が進んできたということは,必ずしもリーダーとエリートの権力関係がエリート優位に傾いてきたということを意味しない。それは第一に,統治体制の各領域やレベルごとに,制度化の度合いが異なっていたからである。たとえば,憲法に明示されていた国家主席の任期制限の規定は,党規約には存在せず,党のリーダーはそもそも規定の適用外にあった。一方で,非公式の規範でありながら,党執行部の人事パターンを強く拘束していた年齢制限のルールは,リーダーのもう一つの担当部署である中央軍事委員会には効力が及ばないと見做されていた[Fewsmith 2021a]。

第二に,統治体制の制度化は,部分的には,権力配分におけるリーダーの優位性をむしろ強化させる方向で作用してきた。代表例は,軍に対するリーダー(現在は総書記)の排他的統制権である[Lim 2022; You 2020]。図3が示すように,中国の統治構造の重要であり一貫した特徴は,軍の高い自律性である。これは軍の政治的影響力を抑制する効果があった一方で,党による軍統制の制度基盤を弱体化させた。その結果,中国の場合,いわゆる文民統制の実質的な担い手は,党のリーダーが務める中央軍事委員会の主席のみとなっている。つまり,軍統制はリーダーの全権事項であり,他のエリートは軍へのアクセスすら許容されない。毛沢東時代に形成されたこの規範は,鄧小平政権期にさらに強化された[MacFarquhar 1997; 林 2014]。

ただし,重要なのは,軍に対するリーダーの排他的権限が,権力分有のあり方を規定してきた基盤的制度である「集団領導制」と矛盾していないという点である。集団領導制の原則は,他のエリートにも担当する機構,組織への権限と責任を認めるからである。具体的に,政治局常務委員会のメンバーはそれぞれ党,国家,軍の主要ポストを兼任しており,担当組織の業務を統括する。なかでも,リーダーとのパワーバランスを考える際に最も重要な役職は,通常序列第二位の常務委員が担当する行政府,すなわち国務院の総理である[Ito, Lim and Zhang Forthcoming]。通常であれば,経済・金融政策の司令塔であり,中央政府の資源配分を決める立場である。とはいえ,国務院総理が膨大な政府組織の管理と資源配分の決定に実際どれほど排他的な権限を行使しているかは明確でない。というのも,国務院は通常複数の常務委員が仕事を分担しており,その意味で権力は分散されている(注5)。それに,重要政策の審議および決定は,「領導小組」と呼ばれる非公式の会合で行われる場合が多く,それらの会合を主催するのは,少なくとも形式上は,リーダーの総書記である[Jiang 2023]。

さて,リーダーとエリートの相互作用のあり方に影響する要素として先行研究が注目するもう一つのポイントは,治安部隊や情報機関がリーダーの個人的統制下にあるかどうかである。中国の場合,国内治安を担当する組織はリーダーの直接の統制下におかれてないのが慣例である。警察と司法を統括するいわゆる「政法系統」は,軍とは独立した組織系統を有し,胡錦濤政権期までは別の常務委員が担当業務を担っていた[Tanner and Green 2008]。さらに,中国の場合,政権エリートの監視を主務とする,かつリーダーにのみ報告義務をもつ独立した情報機関は存在しない[Guo 2012, 12]。代わりに,リーダーによる情報統制という側面からより重要な組織は,政治局の事務機構である党中央弁公庁である。中央エリートの個人情報の管理や福利厚生の提供から,最高意思決定機構に上がる情報の管理と文書の作成を司る部署であり,情報の優位を確保するために必ず押さえねばならないポストである。習近平政権成立の直前に中央弁公庁主任を務めていたのは,胡錦濤の腹心である令計画であった。

このように,権力獲得の経緯やフォーマルな制度環境に注目してみれば,習近平政権は,どちらかといえば権力の個人化が起こりにくい条件のもとで発足したということができる。しかし一方で,エリート内の権力分有の実態をより詳細にみると,リーダーの機会主義的行動を抑止または阻止できるほどの権力資源と情報がエリート側に共有されていて,かつそうした権力資源の配分を持続的に保障する制度装置が確立していたとはいえない。

加えて,権力分有の実態をみる際に注目すべきもう一つの要素は,リーダーの権力行使に対するインフォーマルな制約の有無である。とくに改革開放期の中国政治において,現職リーダーの行動を制御するインフォーマルな制約として機能してきたのは,前職のリーダー,そして彼らのネットワーク(派閥)の存在である[李 2023]。たとえば,胡錦濤政権の場合,前任の江沢民は党と国家の役職を退いた後も軍のポストに留任したり,自分の追従者を指導部に残したりする形で影響力を維持し,政策や人事決定における現職リーダーの権力行使を厳しく制約した(注6)。もっとも,こうした江沢民の行動は,彼の前任者である鄧小平の影響を受けたことであり,鄧小平も1989年に公式の役職を引退しながら1997年の死亡まで「影の実力者」として影響力を行使していた。図4は,独裁者と政党や軍といった公式の制度との関係を中心とした別の指標を用いて中国の歴代リーダーの権力強化(power consolidation)の動向を測ったものである[Gandhi and Sumner 2020]。ここで読み取れるのは,政権交代を前後として権力強化の度合いに大きな変化がみられない(政権ごとの偏差が少ない)こと,政権成立の初期に権力強化の動向が相対的に鈍くなるということであり,これは,中国のフォーマルな制度環境の連続性を考えれば,前任のリーダーのインフォーマルな影響力が作用した結果として解釈することも可能である。

図4 各政権における権力強化の推移(1950-2008)

(注1) ●が点推定の値,線分は95%信頼区間。

(注2) 図中の人名は,それぞれMao(毛沢東),Deng(鄧小平),Jiang(江沢民),Hu(胡錦涛)を指す。

(出所)Gandhi and Sumner[2020]のデータセットをもとに筆者作成。

こうした点を勘案すれば,習近平政権はかなり特殊な条件のもとでスタートしたという点を指摘せざるを得ない。というのも,前任者の胡錦濤が江沢民の前例を踏襲せず,党と国家,そして軍の役職からの「完全引退」を決断したからである。正確な背景を知ることはできないものの,前述した軍に対するリーダーの排他的権限を考慮すれば,こうした前任者の決断が政権初期における習近平の権力行使に与えた影響は重大なものであったと考えられる[Gallagher 2018; Wallace 2018]。もちろん,胡錦濤も,自らの派閥の後継者を政権中枢部に残し,影響力の維持を図っている。しかし,Shih[2022]の研究によれば,毛沢東以来の中国のリーダーは自分の権威に挑戦する可能性の低い「弱い」後継者を選好する傾向があり,結果として野心と能力を兼ね備えた実力者は最高リーダーの候補から排除されてきたとされる。胡錦濤はそうして選ばれたリーダーの代表格であり,彼の派閥も「弱いもの同士の連合」(coalition of the weak)にすぎない。野心はともかく,能力とネットワークでそれほど目立たないキャリアをもつ習近平が権力の頂点に登り,さらに大きな抵抗もなく権力の個人化を進められたのは,こうしたエリート選出の構造が一因になった可能性も指摘できる。

改革開放期に入り,共産党内のエリート政治の制度化が進んできたことは,紛れもない事実である。それは,リーダーとエリートの関係を律するルールの適用範囲と内容の具体性からも,そしてその結果としてエリートの行動の規則性からも容易に観察できる。しかしながら,図4にも示唆されているように,総合的に評価すれば,エリート政治の制度化は必ずしもリーダーの権力の相対的な縮小を伴って進行したわけではない(注7)。加えて,習近平政権の成立に至っては,前任者や党内のライバルによるインフォーマルな制約がむしろ弱体化したという側面も指摘できる。言い換えれば,中国のエリート政治の制度環境は,習近平の選好と状況如何によっては,リーダーへの権力集中が再び高まる可能性を残していたのである。

2.状況・文脈要因

こうした制度要因に加えて,習近平への権力集中には,状況的要因が重要な役割を果たしていたことを指摘する研究も多く存在している。中国政治をおもな分析対象とする研究者のなかでは,この観点がより一般的といってよい。それらの研究が注目するのは,習近平政権成立当初,中国共産党が直面していた国内外環境の特殊性である。まず国内をみると,一方では派閥闘争の激化により指導部内に分裂が生じ,他方ではエリート内の規律の弛緩と腐敗問題が深刻化していた。さらに国際的には,胡錦濤政権期後半から顕在化してきた米中競争が党内の危機感を高めていた。そして,こうした国内外の「危機的状況」に適切に対応するためには,強力なリーダーシップが必要であるという認識がエリート内で形成され,それが習近平への権力集中を正当化していたという主張である[Shirk 2018; Minzner 2018; Baranovitch 2020; Pei 2019; 大澤 2023]。もちろん,権力の個人化が現在のレベルまで進展することが当初から予測されていたわけではない。しかし,「危機的状況」が解消されず,いっそうの団結と規律を求める言説が再生産され続けるなか,権力集中は止まることなく進んでいったとされる。

しかし,こうした状況重視の説明にはいくつか明白な限界がある。一つは,因果関係の観察が容易でないという点である。習近平の言説のなかに「危機的状況」への言及が数多くみられるのは確かであるが,同様の危機認識がエリート側にどの程度,またどれほどの範囲で共有されていたかを把握するのはほぼ不可能である。さらに,最近の通説では,上記した国内外の「危機的状況」への政策的対応は,胡錦濤政権期からすでに始められていたと見做されることが多く,実際,政策の内容に関していえば,前政権と習近平政権の間には高い連続性がみられる[Shirk 2022; Ang 2022]。

とはいえ,状況重視の見方が説明力をまったくもたないわけではない。前節の理論的論議を想起すれば,ここで観察の対象になるべきは,「危機的状況」の性質とともに,それが既存の制度的,構造的制約を緩和できる機会やインセンティブを生じさせたかどうかという点である。そして,こうした観点からとくに注目されるのは,習近平政権の発足直前に発生したエリート絡みの一連のスキャンダル,とりわけ薄熙来事件の影響である(注8)。政治学者のFewsmith[2021b]は,当該事件について,薄熙来を中心とする一部のエリートが権力継承に関する党内の決定を覆そうとして失敗した「クーデター」として捉えていた。

もちろん,事件の詳細は依然として不明点が多く,そのような解釈に疑問を呈する声もある[Fewsmith and Nathan 2019]。しかしながら,この事件の発生によって,党指導部内の分裂や規律の弛緩が露呈したのは事実である。これは,次期リーダーに内定されていた習近平にとって,自分の地位と権力を脅かす勢力や動きがエリート内部に存在することを証明したという点で,エリート側の意図と能力に関する情報が得られたことを意味する。前例のない大規模な反腐敗キャンペーンが政権発足直後に始まったのは,このように情報の非対称性を緩和させる状況の発生と,それを権力基盤の強化に結びつけようとする習近平の意図を抜きにしては説明できない。さらに,今回の反腐敗キャンペーンは前任の政治局常務委員にまで及び,それは習近平の意図と能力に関する情報提供の観点から,その後の権力の個人化を促した重要な要因であったといえる。

3.ディスカッション

個人独裁の強化に特徴づけられる近年の中国政治の変貌は,比較政治学において最も成長著しい分野のひとつである比較権威主義体制論(comparative authoritarianism)の限界と課題を浮き彫りにする重要な事例といえる。というのも,比較権威主義体制論の主要な研究において,中国の政治システムは「高度に制度化された支配政党体制」と位置づけられ,その存続期間の長さと政策効率の高さが高く評価されてきたからである。たとえば,この分野で最も影響力のある研究者の一人であるSvolik[2012]は,改革開放期の中国政治を,周到な制度構築を通じてエリート政治の安定を実現した「成功例」と位置づけ,どのような制度的条件のもとであれば権力分有の問題が解決または緩和され得るかについて,中国の経験を参考にしながら論じていた。そして筆者自身も,毛沢東時代への反省に基づいて築かれた集団指導体制,正確にはそれを支える一連のルールと規範が,中国のエリート政治のあり方を経路依存的に,逆戻りできない形で変えてきたことを主張したことがある[林 2017]。

今となっては読み違いであることが判明したこれらの分析に対して,権力の個人化に関する最近の理論的知見は,従来の研究が見逃してきた,あるいは看過してきた側面を浮き彫りにするという点で有用である。あらためて論点を整理すると,権力の個人化に関する最近の研究成果は,中国のエリート政治に対する従来のアプローチが抱える二つの問題を示唆している。一つは,権威主義政治の分析に共通する問題として,公式の制度に分析の焦点がおかれていることである。権力分有の問題への対応策として,多くの比較政治学者が着目してきたのは,政党や議会といった公式の制度の存在である。議会や政党といった制度が存在し,さらに細部の規定が明示化されていれば,アクターの行動に規則性が生まれ,相手の行動を観察,監視することが容易になる。その結果,独裁者もエリートもより安心して現状維持を選択することができるというロジックである[Svolik 2012; Magaloni 2008; 久保・末近・高橋 2016(注9)。しかし,こうした見方に立ってみれば,なぜ胡錦濤政権では現状維持に資していた制度が習近平政権成立後に突然機能しなくなったのかという疑問が生じる。公式性のみを基準に制度化を評価すると,両政権の間に違いはないはずである。実際,習近平が国家主席の任期制限に関する憲法条項を削除したことからも明らかなように,明文化された条項が存在するだけでは独裁者の行動は制約されない。

公式な制度の存在に重きをおく既存のアプローチに対して,最近の研究が強調しているのは,権力分有の性質,およびそれを実質化する上で制度の果たす役割である。具体的には,政権発足の時点または政権の初期段階において,権力や資源がどのように配分されているか,さらに,権力配分の初期条件がリーダー優位になっているとすれば,いかにエリート側に対抗できる力をもたせるかという点が,その後のリーダーの行動を決める重要な変数となる。となると,制度の役割は,単にアクター同士の情報の開示を容易にすることに留まらず,リーダーの機会主義的行動を抑止または阻止できるよう資源を配分し,それを持続させるという点に求められる。そして,こうした「エンパワーリング・メカニズム」が機能するかどうかは,必ずしも公式性の有無のみによって決まるわけではない[Meng, Paine and Powell 2023]。中国の事例は,いかに制度化のレベルを上げてきたとしても,権力配分の性質を変更することなく独裁者の行動を抑制するのは難しいことを示す好例である。

一方,最近の研究が再検討を促しているもう一つの問題は,制度の経路依存性(に対する信念)である。筆者自身の分析を含め,既存の多くの研究は,習近平による制度改革の試みを, 既存の制度が内包する問題の解決や,それに伴う弊害を是正するための取組みとして捉えてきた。仮にこうした説明が妥当ならば,習近平への権力集中は,集団指導体制の強化がもたらした政策効率の低下やエリート内の腐敗の蔓延に対応するための前提条件であり,逆説的でありながら制度発展のひとつの帰結として正当化される。それに対して,最近の研究では,制度変化を促す要因として外生的要因の重要性に改めて注目する傾向があり,関連する知見が一定の説明力をもつことは,前節で論じたとおりである。すなわち,最近の知見は,習近平による権力強化の動きは,公式な権力分有メカニズムとしての集団指導体制の「制度的欠陥」によるものでは必ずしもないという可能性を提起しているのである。

しかし,特記すべきは,こうして権威主義政治,とくにエリート政治における制度の役割が再検討されているからといって,制度論をはじめとする理論的アプローチが権威主義政治の説明に不要になるわけではない点である。また,それは,重要なのは個々の政治指導者の個性や資質を考えること,すなわち指導者論であることを意味するものでもない(注10)。たとえば,習近平への権力集中を理解する上で最近の比較政治研究が注意を促す観察点のひとつは,習近平政権の成立の経緯である。前述したように,権力獲得の経緯からみて習近平政権の特異点は,それが特定のリーダーや派閥の支持に依存せず,エリート内部のある種の「集団的」合意の上に成立したという点にある。こうした政権成立の初期条件の違いと,それに起因する権力基盤の異質性は,なぜ習近平がこれといった抵抗に遭わず権力を強化していくことができたのかを説明する上で一つの有力な手掛かりを提供するであろう(注11)

結論

本論文では,権威主義体制の個人化をめぐる近年の研究動向を紹介した上で,これまでに提示されてきた理論的知見が権威主義政治に対する我々の理解をどれほど改善させているかを,中国の習近平政権を事例として考察した。本論文の作業を通じて次の3点が明らかになった。第一に,リーダー個人への権力集中を権威主義政治の共通した特質と見做し,その動態を観察可能な指標に基づいて測定しようとする試みがなされていること,第二に,権力の個人化は,エリート間の権力分有の構造と性質を規定する特定の制度や状況のもとで起こりやすいこと,そして第三に,習近平政権期の個人独裁の強化は,制度的,構造的,状況的要因が複合的に作用した結果と見做すことができるということである。

端的にいえば,権力の個人化に関する最近の研究成果は,従来の分析が見落としてきた,あるいは実証することが容易でなかったエリート政治の潜在的な構造やダイナミズムに光を当てることを可能にし,結果として蓄積されてきた知見は,一見説明が困難な中国政治の変化に対する我々の理解を改善させていると評価することができる。この点は,本論文が考察の対象とした個人化の条件とメカニズムの解明だけでなく,さらに重要な論点として,その政治的,政策的帰結の分析にも当てはまるものであり,今後のさらなる知見の蓄積が期待される。

とはいえ,多くの課題が残っていることも見逃せない。ここでは,先に広がっている研究課題を,中国政治への適用可能性を考慮しながら次の3点に整理したい。第一に,権力の個人化という概念の再検討が必要である。既存の定義が専らリーダーとエリートの相互作用,とりわけ資源や情報の獲得をめぐる両者間の競合関係に注目していることはすでに述べた。しかし,こうした視点では,エリートとの競争を有利に展開するために独裁者がとりうる戦略の多様性を見落とす可能性がある。たとえば,社会に対する個人崇拝のキャンペーンやプロパガンダの実施は,エリートを牽制するために広く用いられる手段である。第二に,概念に関するもう一つの論点は,エリート政治の本質を競合関係もしくはゼロサム・ゲームと見做す前提についてである。本文中に触れたとおり,一部の研究は,権力の個人化を伴わない形で(すなわちエリートから権力や資源を奪わずに)リーダーの権力を強化することが可能であり,またそうした選択を促す条件が存在することを実証している。今後,リーダーとエリートの選好の共通性やそれによる協力の可能性を組み入れた概念の精緻化が求められよう。

第三の課題として,リーダーに対するインフォーマルな制度または構造的制約のさらなる実証分析が挙げられる。繰り返し述べてきたように,これまでの分析はフォーマルな制度環境に主眼をおいてきた。もちろん,これは観察や実証の可能性を重視した,ある意味でやむを得ない選択でもある。しかし,さまざまなデータがウェブ上で収集・利用可能となり,またデータから必要な情報を抽出する手法が開発され続ける現代において,インフォーマルな制度の働きや権力配分の動向などを,従来とは異なるデータや手法を用いて観察し,検証できる可能性は高まってきたといえる。じつは,本論文で包括的に取り上げてはいないものの,中国共産党のエリート政治の研究は,こうした意味で新しいデータや手法を積極的に取り入れてきた分野である[Shih, Adolph and Liu 2012; Jiang 2018; Jaros and Pan 2017; Mattingly 2022]。エリート政治の新しい展開を前にさらに革新的な取組みが期待されるところである。

(青山学院大学国際政治経済学部教授,2023年9月27日受領,2024年7月12日レフェリーの審査を経て掲載決定)

本文の注
(注1)  この点で,権力の個人化(personalization of power)は,権力の強化(power consolidation)という概念と区別される。たとえば,Gandhi and Sumner[2020]は,「独裁者は,統治を個人化しなくとも,権力の均衡を優位に変えることができる」とし,「すべての個人化の動きは権力の強化を含めるが,権力を集中させたリーダが個人化した統治を行うとは限らない」と指摘する。

(注2)  代替的な指数としてGandhi and Sumner[2020]の議論については後述する。また,ゲデスらの作業は多岐にわたるが,ここでは個人化の度合いを捉える「個人化指数(personalization index)」に注目する。

(注3)  指数算出の詳細については,Geddes, Wright and Frantz [2017]を参照。

(注4)  なお筆者らは,権力の個人化と関連して重要なのは,クーデターの失敗という出来事,より正確にはそれによる情報の非対称性の解消であり,通常クーデターの失敗に続くエリートのパージそのものではない,と強調している[Timoneda, Escriba-Folch and Chin 2023, 891]。

(注5)  通常もう一人の常務委員が筆頭国務委員という役職に充てられる。2012年18回党大会の常務委員会では張高麗が,2017年19回党大会では韓正がそれぞれ担当していた。両方とも常務委員会の序列最下位の幹部であったことが注目される。

(注6)  江沢民が中央軍事委員会の主席職から退いた2004年以降も軍に対する影響力を維持していたことは,多くの研究によって指摘されている。なお,党中枢における江沢民の影響力の維持は,1999年に抜擢された王剛が中央弁公庁主任に2007年まで残っていたことに如実に現れている。

(注7)  改革開放以後のエリート政治の制度化をどう評価するかは,論者によって見解が大きく異なる論争点である。関連する議論については,たとえばFewsmith and Nathan[2019]を参照。

(注8)  「薄熙来事件」とは,2011年から2012年にかけて,当時重慶市の党書記であり政治局委員である薄熙来に関連した一連の出来事とスキャンダルを指す。2011年11月,薄熙来家と親交があったイギリス人の事業家がホテルで死亡した事件を発端とし,2012年2月には薄熙来の側近である重慶市公安部長がアメリカ総領事館に逃げ込む事態へと発展した。薄熙来は,翌月党籍を剥奪され,その後汚職,権力濫用等の罪状で起訴され,2013年に終身刑が告げられた。ちなみに,共産党内部から薄熙来と政治局常務委員の周永康の結託を通報する嘆願書が胡錦濤宛に出されたといわれる。

(注9)  具体的に,Magaloni[2008]は,安定した権力分有の制度として政党が機能するための条件として,①当該政党に政府ポストの人事権が独占されていること,②当該政党の存続に対する共通の期待が存在することを挙げている。中華人民共和国成立以降,中国共産党がこれらの条件を満たせていない時期は存在しない。

(注10)  関連する最近の研究として,Chan[2022]鈴木[2025]を参照。たとえば,鈴木は別の研究を引用しながら,「政治アクターを拘束する制度や構造を重視してきた従来的な研究のあり方は,抜本的な見直しを余儀なくされている」と指摘しつつ,「個人と構造の両方の要因が中国政治に及ぼす影響を検討」する必要性を提起している[鈴木 2025, 15-6]。しかし,習近平個人独裁の成立を説明するにあたり,「行為者による構造改革の可能性とそのメカニズム」を規定する具体的な制度的条件の考察を欠いた指導者論は,単なる事後的解釈にとどまる恐れがある。

(注11)  習近平政権成立の初期条件を重視する見方に対して,毛沢東時代を含む比較的長期にわたるエリート政治の変遷から習近平一強体制の登場を説明しようとする近年の一連の研究については,林[2024]を参照。

文献リスト
 
© 2025 日本貿易振興機構アジア経済研究所
feedback
Top