2025 年 66 巻 1 号 p. 52-64
はじめに
Ⅰ ナショナル・ライブラリーとクルド関係資料
Ⅱ 欧州におけるクルド・コミュニティと文化活動
Ⅲ 所蔵機関紹介
おわりに
本稿はライブラリアンとしての視点から,欧州のクルド関係資料の所蔵機関の収集活動と所蔵資料の特徴について紹介し,そこから浮かび上がる情報資源組織化に関する課題について述べるものである。情報資源組織化とは,個々の図書や資料といった情報を,標準化された基準をもとに整理し,利用可能な状態に組織することをいう。情報資源組織化が行われることで,大量の情報の検索と利活用が可能となる。
クルド人は,現在のトルコ,イラク,イラン,シリア,そして旧ソ連の国境地帯に古くから暮らしてきた民族である。国家統計が存在しないため,民族規模には幅があるが,全体でおよそ2000万〜5000万人,うちトルコに約半数,イラクとイランにそれぞれ20パーセントずつ,そしてシリアに10パーセント弱が居住する[Meiselas and van Bruinessen 2008]。今日,多くの国には国立図書館,すなわちナショナル・ライブラリーが存在する。ナショナル・ライブラリーの主要な役割のひとつは,国民の文化的・知的な財産である出版物を収集し,後世に伝えるためにそれを保存し,整理し,人々に提供することにある。しかしながら,独自の民族国家をもたないクルド人には,民族として文化的成果物である出版物を保護するナショナル・ライブラリーが存在しない。加えて,特に第一次大戦後,先述の各国においてエスニック・マイノリティとして存在することを余儀なくされたクルド人は,居住地の中東各国においても,国家を形成する国民(民族)としての地位を完全には得ることができず,クルド人の著作物の多くは居住地のナショナル・ライブラリーの収集・保存の対象にもされてこなかった。
特に最大のクルド人口を抱えるトルコでは,クルド人は「山岳トルコ人」,クルド語は「トルコ語の方言」とされ,クルド語での創作が1991年まで法的に認められておらず,クルド語の著作物は非合法として排除されていた[Zeydanlıoğlu 2012]。イラクでは,今日まで比較的自由な出版活動が行われてきた一方で,1988年には,サダム・フセイン政権によるアンファール作戦の展開により,クルド人虐殺と村落の徹底的な破壊が行われ,資料を含む多くの文化遺産が消失しており,保存の点では大きな問題を抱えている[Leezenberg 2012]。また,イランやシリアのクルド人については,トルコやイラクとは対照的に,イラン社会あるいはシリア社会に溶け込んでいるとみなされることも多い。しかし,イランではパフラヴィー朝時代(1925~1979年)にペルシア語教育の強化と強引な中央集権化政策が行われ,この過程でクルド語出版物も制限や取締まりの対象となった[山口 2017]。シリアでも1946年の独立後に権威主義化と社会的統制が進み,特に1950年代半ば以降,アラブ民族主義の高揚などもあり,クルド人への襲撃やクルド語の著作物の回収と廃棄が行われている[青山 2005]。
このように,クルド人の民族的存在そのものが時に否定され,抹殺すらされる状況のなか,非合法に出版されたり,クルド人の故地である中東の外で出版されたりしたクルド人の著作物は,専門図書館や研究者等の個人収集家といったさまざまな主体によってその一部が収集・保存されてきた。また,特にクルド人の居住する中東の各国外での出版のほとんどは,クルド・ディアスポラの多い欧州で行われており,出版地である欧州各国のナショナル・ライブラリーで収集・保存されているものも多い。しかし,どの国のどういった機関にどのようなクルド関係資料があるのか,といった情報は広く共有されているとはいいがたい。加えて,さまざまな主体がそれぞれの方針によって収集した結果,クルド人の出版物は体系的に組織化されておらず,全体像を把握することが非常に困難になっている。情報技術の発達とデジタル化が進んだ現在において,個別資料へのアクセスは容易となった。しかしながら,クルド関係資料においては,そうした個別の資料へのアクセスに至るまでに必要な所蔵機関についての情報が決定的に不足しているのではないだろうか。
このような問題意識から,以下ではクルド関係資料を専門に収集する欧州の3つのクルド関係機関を紹介する。具体的には,フランスのパリ・クルド研究所(Institut Kurde de Paris),ベルギーのブリュッセル・クルド研究所(Kurdish Institute of Brussels/Institut Kurde de Bruxelles),そしてスウェーデンのクルド図書館(Kurdiska Biblioteket)の3機関である。紹介する機関の情報については,ウェブサイト等で公開されている情報に加え,筆者が2022年から2023年にかけて実際に訪問し,所蔵資料調査および関係者への聞き取りを行った結果を反映している。
なお,欧州には本稿で紹介する3機関以外にも多くのクルド関係機関が存在する。にもかかわらず,本稿でパリおよびブリュッセル・クルド研究所とスウェーデンのクルド図書館を対象としたのには以下の理由による。
第一の基準は収集・所蔵資料点数である。本稿は,クルド関係資料の所蔵情報を提供することを主たる目的としており,この点で,相当数の資料を収集・所蔵していないクルド関係機関は対象外とした。もうひとつは,クルド人社会における影響力の大きさである。欧州には小規模なクルド系の私設図書室や文化施設も多くある。数ある機関のなかで,本稿で取り上げる3機関は,いずれも欧州各地および中東に居住するクルド人知識人の間での交流があり,そうした人々による講演会等のイベントを積極的に行うことで所在地内外のクルド社会に影響力を保持していると判断した。加えて,機関に関係するクルド人の多様性も重視している。ここでいう多様性とは,特定の国や地域,部族,政治団体等にメンバーが偏っていないことを指す。特に,クルド系の団体のなかには,イラクのクルディスタン民主党(KDP)やクルディスタン愛国同盟(PUK),そしてトルコおよび欧米でテロ組織とされているクルディスタン労働者党(PKK)などの関連機関が多くあるが,これらの組織は所蔵資料が多い場合でも対象外とした。
具体的な研究機関の紹介に入る前に,なぜクルド・ディアスポラが欧州に多く,また欧州での出版が盛んに行われてきたのかを概説する。
多くのクルド人が欧州に渡ったのは1950年代以降であり,移住の背景は大きく二つにわかれる。一つ目は,労働移民としての移住である。1960年代,第二次大戦後の復興期に,ゲスト・ワーカーとして,トルコ国籍のクルド人がドイツを中心とする北西ヨーロッパに渡り,後に家族を呼び寄せた。フランスやベルギーに移住したクルド人の第一世代の多くもこうした労働移民である。
二つ目が難民としての移住である。1970年代中頃以降の移住者の多くが政治難民あるいは戦争難民に該当する。特に,1970年代のトルコでは,クルド人が多く住むトルコ東部が,イスタンブールやアンカラ,イズミール等の西部に比べて低開発の状態におかれ,経済的に立ち遅れているという「東部問題」が生じていた。左派の社会主義系政治団体はこの問題を地域的不平等に基づく搾取の一形態であり,東部,すなわちクルド人地域を対象とした民族的抑圧で,「クルド問題」であるとして政府を批判した。結果,左派およびクルド問題の解決やクルド人の民族的文化的権利を要求した多くの活動家が,国家の弾圧を受け,ヨーロッパに亡命した。クルド人知識人を中心とするトルコからの政治難民は1980年にトルコで起きた軍事クーデター前後をピークとしている。亡命者のなかには,先にヨーロッパに移住していた労働者や留学生の家族や縁者を頼って上述の北西ヨーロッパの国々に亡命した人もいるが,多くがスウェーデンに亡命した[van Bruinessen 2000, 14]。これら,スウェーデンに亡命した膨大な数のクルド人知識人は,当時のトルコでは表現できなかったクルド問題についての主張や,クルド語での著作を積極的に行った。さらに,1979年は,イラクではサダム・フセイン政権が成立し,イランではイラン革命が起きた年にあたる。イラク,イランとも,クルド人勢力は政府と対立し,続く1980年にはイラン・イラク戦争が起きたことで,両国からも多くの難民がスウェーデンに渡っている。クルド人の多く暮らす中東各国から同時期にクルド人知識人が集まったことで,クルド人相互の知的文化的交流とその結果としての出版物の刊行はスウェーデンにおいて活発化した。このような背景に加え,スウェーデン政府による少数民族言語を対象とした出版助成もあったことで,1980年代から90年代にかけて,スウェーデンは,クルド語出版の中心地となった。クルド語の出版物は非営利出版(Self-publishing)のものが多いこともあり,正確な出版点数の把握は難しいが,スウェーデンでは,2000年前後には毎年40から50点程度のクルド語書籍が刊行されていたと推測されている[van Bruinessen 2000, 15]。
また,1990年代には,特にフィンランドが湾岸戦争およびその後の影響で発生したクルド人を中心とするイラク難民およびイラン難民を多く受け入れた。これにより,近年ではフィンランドにも比較的大規模なクルド・コミュニティが形成されている。Wahlbeckはフィンランドのクルド人をおよそ1万人と推計し,その内訳をイラク系6000人,イラン系3000人,トルコ系1000人と見積もっている[Wahlbeck 2012, 45-48]。
こうして形成された相当数のクルド・コミュニティを基盤として,知識人を中心とするクルド人たちが,民族的な文化組織を欧州に複数設立している。後述のように,これら組織の多くは,移住先の欧州社会へのクルド人の適応と統合,およびクルド文化と言語の保護を活動の中心に据えている。ただし,当然ではあるが,どちらに重点をおくか,あるいは何を最も重視するかについては組織ごとに違いがみられる。
パリ・クルド研究所は,クルド・コミュニティにおける言語,歴史,文化遺産についての知識を維持すること,ヨーロッパに移住したクルド人の受け入れ社会への統合に貢献すること,そしてクルド人とその文化,故郷,および現在の状況を一般市民に対して周知することを目的として,1983年に設立された(写真1)。1987年にクルド研究所の現在の建物を取得し,今日までそこでクルド語講座等の文化活動やクルディスタンおよびクルド人に関する啓蒙活動を行っている(注1)。
2階部分に図書室がある。
(出所) 筆者撮影。
設立者には,ユルマズ・ギュネイ(Yılmaz Güney:トルコ出身,映画監督),ジェゲルフィン(Cegerxwîn:シリア出身,詩人),ヘジャル(Hejar:イラン出身,詩人・言語学者),テウフィク・ワフビイ(Tewfiq Wahby:言語学者,元イラク教育相),クァナテ・クルド(Qanatê. Kurdo:レニングラード東洋学研究所の文法学者・言語学者),ヘジエ・ジンディ(Heciyê Cindî:アルメニア出身,作家),レムズィ・ラシャ(Remzi Raşa:トルコ出身,フランスのクルド人画家),ヌレディン・ザザ(Nûredin Zaza:スイスのクルド人作家・言語学者)といった人々が名を連ねる(注2)。
フランスの公的助成により運営資金の一部を得ているほか,EUやヨーロッパ各国政府系機関等からの財政支援もある。一方で,組織の独立性を維持するため,クルド人を抑圧している国を含む,非民主的な国からの財政援助については拒絶している(注3)。
フランスの公的助成があるために,おそらく資金的には紹介する3機関のなかでは最も安定的で,恵まれている。2022年3月にパリ・クルド研究所ライブラリアンのジェラール・ゴーティエ(Gérard Gautier)氏から聞いたところでは,調査や資料収集のためにおもにイラクのクルド自治区へ定期的にライブラリアンを含むスタッフを派遣しているという。スタッフ数についても,ケンダル・ネザン(Kendal Nezan)所長を筆頭に,秘書であるジョイス・ブラウ(Joyce Blau),ライブラリアン3名に加え,デジタル化担当やウェブ担当など,合わせて10名前後を数え,クルド関係機関としては非常に多い。
パリ・クルド研究所のなかでも最も重要な機能のひとつが,クルド関係資料の収集と保存,公開を行う図書館としての役割である。付属の図書室は建物空間の約4分の1から3分の1を占め,1万2000タイトル以上のクルド関係資料を所蔵しており,クルド関係の専門図書館としては世界最大であろう(写真2)。ウェブサイトには,同研究所図書室が,将来的にクルドのナショナル・ライブラリーの核として機能することをめざし,世界中からクルド人およびクルド関係資料の収集を行っていることが謳われている(注4)。ナショナル・ライブラリーがないクルド人にとって,自らの文化と民族アイデンティティの核となる資料の保存は非常に重要であることはケンダル・ネザン所長はじめ,同研究所のスタッフの間でも強く認識されており,筆者が同研究所を訪問するごとに何人もの人からこの点を強調された。
図書は開架式の書架に並べられており,閲覧室で読むことができる。定期刊行物は別室の書庫に保管されている。
(出所) 筆者撮影。
クルド人の居住域が中東の各国にまたがっていることや,ディアスポラの居住する各国の言語での著作物も存在するため,収集されている資料において使用されている言語は約25にも上る(注5)。クルド語の資料のみを収集しているわけではない,という点は後述のブリュッセル・クルド研究所とクルド図書館も同様である。
実際に利用してみると,所蔵資料の多くはヨーロッパにクルド人の学生や政治亡命による知識人が増える1970年代以降のものであるが,19世紀後半からのクルド関係の出版物も所蔵している。著作権の切れた資料や許諾の得られたものは順次デジタル化し,研究所の提供するデジタル・ライブラリー上で公開されている。
特に重要な資料群は,各国のクルド人・クルド組織とのネットワークにより,寄贈や購入等によって収集された定期刊行物であろう。ヨーロッパを中心に,世界中で刊行された定期刊行物が1カ所で,しかもほぼ欠号のない状態で閲覧できる。これらの定期刊行物は現在整理作業中で,目録も不完全であるが,一部はデジタル化の上,前述のデジタル・ライブラリーで公開されている。
また,所蔵資料の検索にはOPACが整備されている。ただし,OPACはフランスの国内の蔵書目録システムと連携しており,同研究所のウェブサイトを通じてアクセスできるようにはなっていない。また,細かい点だが,フランス語ページしかないため,フランス語がわからない場合はGoogle翻訳などで英訳等を行う必要がある。なかには「画像」として掲載されているものもあり,すべてを翻訳することができないことなど,使い勝手はよいとはいえない。
上述のデジタル・ライブラリーとOPACのURLは下記のとおりである。
・デジタル・ライブラリー
https://bnk.institutkurde.org/?l=en
・OPAC
https://pmb.institutkurde.org/opac_css/index.php?search_type_asked=perio_a2z
(いずれも2024年4月16日アクセス)
・ブリュッセル・クルド研究所 (Kurdish Institute of Brussels/Institut Kurde de Bruxelles)ブリュッセル・クルド研究所は,トルコから亡命したデルウィシュ・フェルホ(Derwich Ferho)をはじめとするベルギー在住のクルド人7名によって1978年に設立された。設立者7名の出身地はトルコ,イラン,イラク,シリアとさまざまで,ベルギーにおけるクルド・コミュニティの統合促進を目的としていた。当初の組織名はTêkoser(「闘士」の意)であったが,1989年に現在の名称であるKurdish Institute of Brussels / Institut Kurde de Bruxellesに変更している(写真3)。1990年にはベルギーの非営利組織(VZW)となり,組織としての目標も,クルド・コミュニティの統合促進にとどまらず,ホスト国におけるクルド人の社会進出の促進や文化的アイデンティティの承認も掲げるようになっている(注6)。
(出所) 筆者撮影。
ブリュッセル・クルド研究所ではクルド語講座の開講や文化的イベントの開催等を通じて,クルド文化の継承と啓蒙を行っているほか,ウェブサイトやイベント,書籍を通じて中東におけるクルド人の状況についても発信している。2022年11月に訪れた際には,デルウィシュ・フェルホ所長からクルド語講座で利用している教室や教材,過去のイベントポスターなどを見せていただきながら,説明を受けた。EU本部のあるブリュッセルという土地柄か,ブリュッセル・クルド研究所の特徴として,クルド人をおもな対象とするクルド語講座やクルド文化の継承以上に,クルド人以外の政治家や団体をターゲットとした政治的活動に力をいれていることがうかがわれた。おもなスタッフはデルウィシュ・フェルホ所長と常勤のベルギー人職員1名で,それ以外はイベントや講座にあわせて講師等が来るとのことであった。
図書室は,ブリュッセル・クルド研究所の建物内の最上階ワンフロアにある。研究所が開いている時間帯であれば閲覧が可能である。ブリュッセル・クルド研究所の所蔵する主要な資料群のひとつは,パリ・クルド研究所同様,定期刊行物であり,研究所が発行する機関誌Têkoserはもちろん,欧州を中心とするクルド関係組織が刊行した定期刊行物を広く収集・保存している。また,ブリュッセル・クルド研究所は単行書の発行にも力を入れており,図書室ではこれまでに発行された約100タイトルの単行書のすべてを閲覧できるほか,購入することもできる。ブリュッセル・クルド研究所の奨学金等により研究を行った学生の学位論文も所蔵している。ただし,ブリュッセル・クルド研究所にある単行書のほとんどは,保管・販売用の研究所発行物や研究所で開かれている講座等で使用されるテキスト類,および近隣のコミュニティからの需要・関心の高い書籍で,全体の蔵書数はそれほど多いとはいえず,資料目録もない(2022年11月時点)。
この理由のひとつは,ブリュッセル・クルド研究所が収集および発行した資料をベルギー・アントワープにある民族主義運動に関する資料の専門資料館(アーカイブズ)であるADVN (Archief Voor Nationale Bewegingen)に寄贈していることによる。デルウィシュ・フェルホ所長いわく,研究所には資料保存や整理についての専門知識をもつライブラリアンやアーキビストがいないため,研究所が発行した資料および収集した資料のうち,定期刊行物や視聴覚資料以外については,そのほとんどをADVNに寄贈し,目録の作成や保管を依頼しているという。この話を聞き,ナショナル・ライブラリーをもたず,強力なバックアップのないクルド人をはじめとする民族・コミュニティにとっては,信頼できる第三者に資料を寄託することは有効な資料の保存・継承手段のひとつであることに気づかされた。特に図書館であれば,自らの機関で刊行した資料は自館の責任のもと保存したいと思うところであるが,自らのおかれた環境と制約を考慮した上で,利用と保存のために他館に託す判断は重要といえる。
ただ,資料を寄託する以上,その整理や保存は寄託先の方針に従わざるを得ない。ADVNはベルギー・フランダース地方のナショナリズム運動(flemish movement)関係資料をはじめ,ヨーロッパを中心とする世界各地のナショナリズム運動関連の膨大な資料を所蔵している。このために,資料の多くはADVNの所在地から少し離れた書庫に格納されており,閲覧には出納のための事前予約が必要である。また,ADVNは「図書館」ではなく,「資料館Archives」であり,国際標準アーカイブズ記述(International Standard Archival Description: ISAD(G))に準じて資料を整理している。このためもあって,独自の検索システムを採用しており,他の図書館や資料館のシステムを通じてADVNの所蔵するクルド関係資料にたどり着くのはほとんど不可能である。貴重な資料の情報があまり知られておらず,アクセス方法も図書館システム等と比べて限られていることが残念である。ADVNについては下記ウェブサイトを参照のこと。
・ADVNウェブサイト
・ADVNの検索システム
(いずれも2024年4月16日アクセス)
・クルド図書館 (Kurdiska Biblioteket)先述のとおり,スウェーデンには1980年前後にトルコをはじめ,イラク,イランからも多くのクルド人知識人が政治亡命した。これに加え,スウェーデンが少数民族言語に対する保護政策の一環として出版助成を行っていたことから,スウェーデンは2000年頃までクルド語出版の中心的役割を果たし,多くの出版物がスウェーデンで刊行された(注7)。ただ,スウェーデンで刊行されたクルド語を中心とするクルド関係資料には非営利出版のものも多く,納本図書館であるスウェーデン国立図書館の収集から漏れているものが少なからずある。
その点で,1997年にストックホルムに設立されたクルド図書館は,クルド人の著者からの直接の寄贈やクルド図書館を通じた書籍の販売が行われている関係で,非営利出版のクルド関係資料を含め,かなり網羅的に資料を収集できている貴重な図書館である(写真4)。これら非営利出版物のなかには,パリ・クルド研究所等のクルド関係機関にも所蔵されておらず,おそらくクルド図書館のみに所蔵されていると思われる資料が相当数ある。クルド図書館の設立者であるネディム・ダーデヴィレン(Nedim Dağdeviren)は,トルコでクルド人の民族的文化的地位の向上と権利の獲得を訴えていたクルド系社会主義組織,クルディスタン労働者党(Kürdistan İşçi Partisi: KİP(注8))および革命的民主文化協会(Devrimci Demokratik Kültür Dernekleri, DDKD)のメンバーとして活動し,1980年クーデターを機にスウェーデンに亡命したクルド人である。ネディム・ダーデヴィレンは2007年に故人となり,現在はイラク出身のネウザド・ヒロリ(Newzad Hirorî)館長を中心に,イラン,シリア等,さまざまな地域を出身とするクルド人たちによって運営されている。
閲覧室には机と椅子があり,資料の閲覧が可能。講演が行われる際には写真のような演台が設置される。
(出所) 筆者撮影。
ウェブサイトには,「クルド図書館のおもな目的は,クルドの文化的遺産を誰もが利用できるようにすること,およびそれらを通じてクルド語や文化を後世に伝え,スウェーデン在住のクルド人にとっての相互交流の場を提供することにある」(注9)とある。実際,スウェーデン在住のクルド人知識人を中心に,討論会や講演会といったイベントが頻繁に開催されているほか,絵本や書籍の朗読会,クルド語教室などが開かれている(注10)。このように,クルド図書館においては,スウェーデン社会への適応や統合といった目的に比べ,スウェーデン社会内でのクルド・コミュニティの結束やクルド文化の保持・継承という点に重きがおかれているように思われる。
クルド図書館の所蔵する約1万タイトルの資料の検索には,スウェーデン国内共通の図書館システムLIBRISが使用されている。LIBRISは,OCLCが運営し,世界100カ国以上の国にある数千の図書館が参加する図書館目録システムであるWorldCat(注11)に参加しているため,WorldCatを通じた検索も可能である。ただし,WorldCatからは,LIBRISの所蔵として表示されるため,別途LIBRISのシステムからスウェーデン内のどこの図書館に所蔵があるかを検索しなおす必要がある。つまり,WorldCatから,クルド図書館で所蔵する資料に限定して検索することはできない(注12)。
スウェーデンで刊行された非営利出版物の他に,クルド図書館に特有の資料群としては,1988年にストックホルムで開業し,現在まで続く出版社,Apec Förlag(注13)等の刊行するクルド語の児童書があげられる。絵本を含む児童書は,「子供向け」ということから図書館の収集・所蔵対象にならないことが多い。実際に訪問して書架をみての印象ではあるが,パリ・クルド研究所やブリュッセル・クルド研究所でも児童書の所蔵はごく少数にとどまる。しかしながら,児童書の題材として選ばれる古典作品の性格や語り口,人物や生活の描写などは,クルド・アイデンティティの構成要素を反映していると考えられ,研究対象として重要であると思われる。
このほかに,2021年には所蔵定期刊行物の目録が完成し,ウェブサイトにて公開されている。この目録から,クルド図書館の所蔵する定期刊行物の多くは1970年代後半以降の比較的新しいものであることがわかる。また,2000年頃から出現した電子媒体の定期刊行物も収集・保存されている。電子版の新聞や雑誌は,紙に比べて刊行費用が抑えられ,インターネットにアクセス可能な多くの読者を獲得できるというメリットがあるものの,発行者の体制や資金基盤が盤石でない場合,恒久的なアクセスや保存に不安がある。政治的な圧力や公的支援の削減等による影響を受けやすいクルド関係の出版者・出版物にとって,特に保存に不安があるウェブ媒体の資料も収集・保存の対象となっていることは大きな意味があるといえる。
目録はタイトルのアルファベット順で記載されており,PDFでの公開である。タイトルや発行年等で,PDF内のテキストを検索することはある程度可能である。一方で,発行国や使用されている言語,発行年をもとにした並び変えや,統計をとることはできないなど,使いにくい点も多い。ただ,多くの図書館で定期刊行物の目録化はすすんでいないことを考えれば,このような目録の存在は非常に有難い。特に,遠方からの利用においては,クルド図書館の目録を活用し,そこでの情報をもとに,パリ・クルド研究所のデジタル・アーカイブでの公開の有無を調べて閲覧する,といった活用の仕方が考えられる。デジタル化されていない場合,閲覧するには現地に赴く必要がある。
このように,クルド図書館は,クルド語のリテラシーがある知識人が多く,2000年頃までクルド語出版の中心地であったというスウェーデン特有の事情を反映し,特徴ある貴重なコレクションを有している。クルド人およびクルド研究にとっては,唯一無二の資料を保存する,なくてはならない図書館のひとつであるといえるだろう。しかしながら,2023年4月にネウザド・ヒロリ館長から聞いたところでは,現状その運営は非常に厳しいものになっている。クルド図書館にはスウェーデンの文化庁およびストックホルム市等の公的機関が運営費の一部を補助してきたが,近年それらの補助金は減少傾向にあり,補助金の種類によってはまったく配賦されなくなったものも出てきているという。結果として,館長をはじめ,スタッフの多くが無給のボランティアとして運営にかかわっているそうである。また,図書館ではあるものの,資料整理に携わっているのはネウザド・ヒロリ館長とイラク出身のボランティア1名のみであり,人員は圧倒的に不足している。コレクションの永続的な収集と保存のために,スウェーデン国内外のクルド関係機関との連携や施設の共用等が模索されているものの,先行きは不透明である。
・定期刊行物目録
http://kurdlib.org/wp-content/uploads/docs/Periodica.pdf
(2024年4月16日アクセス)
本稿では,クルド関係資料を所蔵する欧州の3機関を紹介した。これまで,複数の国に散在するクルド関係の出版物については,所蔵機関に関する情報が広く知られているとはいえず,利用できる資料の選択肢を大いに狭めていた可能性がある。そのようななか,クルド関係資料を相当数所蔵する代表的な3機関の情報を提供することで,より豊富で多様な研究情報資源をもとにしたクルド研究の進展に貢献することを試みた。
一方で,3機関ではあるが,今回それぞれの機関の蔵書や図書館システムについてまとめたことで,クルド関係資料の情報資源組織化における課題が明らかになった。現状,所蔵機関ごとに蔵書構成の特徴や検索システムが大きく異なっており,このことは,クルド研究に携わる研究者が,自身のテーマに直接関係する資料以外の情報資源に気づきにくい状況を作り出していると考えられる。特に,図書館システムの違いは,クルド関係機関を横断して検索することができないことを意味する。世界各地の図書館の蔵書が検索可能なWorldCatに参加しているのは現時点でクルド図書館のLIBRISのみであり,資料検索はそれぞれの図書館ごとに行わなければならない。紹介した3機関は互いに少なからず交流のあるクルド関係機関であり,こうしたクルド関係機関で共通の図書館システムを構築することは一つの解決策となり得る。しかし,各機関が位置する国家が採用するシステムの使用やそれとの連携が求められるなかで,クルド関係機関間での共通システムの構築と国家内でのシステムの共通化の双方を同時に達成することは難しいだろう。
こうした課題は,クルド人に独自の民族的な体制基盤とナショナル・ライブラリーが存在しないことに一部還元されるのかもしれない。国家のような強力なバックアップがなく,十分な予算や人員,収集体制がとれないなかで,クルド関係機関は機関相互の連携と協力を模索しながらも十分に実現できていない。一方,今後デジタル化がさらに進展すれば,国境線を越えての図書館間の連携や資料検索,貸借や複写が容易になり,バーチャルなナショナル・ライブラリーの設立も現実味を帯びてくるであろう。デジタル時代は,クルド人をはじめとする「国家をもたない民族」に新たな希望をもたらし得る。
最後に,本稿では,人口としては最大のクルド・ディアスポラを抱えるドイツや,イラクとイランからの戦争難民をそのクルド人口の中心とし,比較的近年になってからクルド・コミュニティが形成されたフィンランド等については扱うことができなかった。特にドイツには,欧州クルド研究センター(Europäisches Zentrum für Kurdische Studien / European Centre for Kurdish Studies(注14))とその付属図書館があり,こうした機関の所蔵資料や取組みの状況についても調査し,情報発信することを今後の課題としたい。
本稿は,JSPS KAKENHI Grant Number JP 21K12421の成果の一部である。本稿の執筆にあたっては,クルド関係機関の関係者をはじめとする多くの方々から多大なご協力をいただいた。なかでも,多忙のなか,筆者との面談を快諾してくださったパリ・クルド研究所のケンダル・ネザン所長およびジェラール・ゴーティエ司書,ブリュッセル・クルド研究所のデルウィシュ・フェルホ所長,クルド図書館のネウザド・ヒロリ館長,そして,本稿で紹介した3機関を含む欧州各地のクルド関係機関や関係者をご紹介くださったユトレヒト大学名誉教授のマルティン・ファン・ブライネセン(Martin van Bruinessen)先生には,この場を借りて心より感謝申し上げたい。
〈3機関ウェブサイト〉
・パリ・クルド研究所(フランス・パリ)
Institut Kurde de Paris
https://www.institutkurde.org/
・ブリュッセル・クルド研究所(ベルギー・ブリュッセル)
Kurdish Institute of Brussels / Institut Kurde de Bruxelles
https://www.kurdishinstitute.be/
・クルド図書館(スウェーデン・ストックホルム)Kurdiska Biblioteket
上記いずれも2024年4月16日アクセス。
(アジア経済研究所学術情報センター図書館情報課)