アジア経済
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書評
書評:茅根由佳著『インドネシア政治とイスラーム主義――ひとつの現代史――』
名古屋大学出版会 2023年 vi + 207 + 67ページ
足立 真理
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2025 年 66 巻 1 号 p. 73-76

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インドネシアのイスラームといえば,多様性を重んじ,穏健や宗教多元主義に標ぼうされるというのが一般的に受け入れられてきた表象だろう。そのなかで,インドネシアにおけるイスラーム主義の思想的発展や変容のプロセスが十分に検討されてきたとは言い難い。あったとしても,著者が指摘するように,民主化後に台頭した武装闘争派や一部の政治勢力を個別研究したものにかぎる(3ページ)。その点で本書は先行研究の間隙を埋め,インドネシア現代政治におけるイスラーム主義という広範な主題に挑戦した良作である。

本書の魅力は,インドネシア・イスラーム知識人らによる一次資料への丁寧な解釈をもとに,新しい切り口からイスラーム主義運動を一つの現代史として編んだ点である。イスラーム主義運動の沿革,組織,重要人物,イベント,政治的立ち位置が動態的に描かれている。独立後の1945年からジョコ・ウィドド(以下,ジョコウィ)政権まで,イスラーム主義運動を国内政治のプロセスから分析した点で本書は新規性が高く,読者に新たな視点を提供してくれる。

メディアや一般的なイメージだけでなく,インドネシアのイスラーム研究の分野においても,ヘフナーの『市民的イスラーム(Civil Islam)』[Hefner 2000]を筆頭に,「民主的な宗教多元主義者」と「非民主的なイスラーム主義者」という二項対立が前提となってきた。つまりインドネシアにおけるイスラーム主義は,イスラームの優位性を前提に,国家や社会のイスラーム化をめざすイデオロギーとして,宗教的少数派を排斥するような存在であり,民主主義とは相容れないものとして描かれてきた。しかしながら著者が指摘するように,今日,合法的領域で活動する多くのイスラーム主義者は時に民主主義的思想も有している。

Ⅰ 本書の構成

本書は,この二項対立に異議を申し立て,イスラーム主義勢力のなかにも民主主義思想が形成されてきたという複雑な実状を,読者にわかりやすく解きほぐす意欲作である。以下,各章の概略である。

第1章「民主主義の擁護者としてのマシュミ」では,まず国是のパンチャシラに「ムスリムはシャリーアに従う義務がある」という7語を入れた憲法前文の草案(ジャカルタ憲章)が合意形成不十分なまま削除された問題を皮切りに,議会制民主主義時代からスカルノ政権期におけるイスラーム政党マシュミの近代主義思想の中核を作るに至った政治過程が描かれる。1950年代を通じて権威主義体制化するスカルノに対し,議会制民主主義の擁護で対抗しようとしたマシュミ党首ナッシールの「イスラーム国家論」が一次資料から丹念に描かれている。しかしながら,のちにナッシールが反乱軍へ加担したことは歴史的スティグマとなり,以後マシュミ党員に対する「不寛容な反ナショナリスト」,「過激派」というレッテル張りが強くなっていった。そして議会におけるマシュミの活動は,1960年のスカルノによる解党命令によって幕を閉じた。

第2章「近代主義思想と宗教的少数派排斥の論理」では,おもにスハルト政権前半期(1966-1989)の旧マシュミ勢力の活動と近代主義思想の継続性を論じる。前章で政党活動が禁じられたナッシールを含む旧マシュミ勢力に対して,次期政権下でも政治的締め付けや統制が引き継がれた。よって旧マシュミ勢力は,キャンパスやモスクなどで信仰への回帰を呼びかける「ダアワ」に方向転換し,在野の活動に専念する。ナッシールの主張はイスラーム主義的でありながら民主主義の理念に基づいており,イスラームと西洋は切り離されるべきものではなく,融合させるべきだとする20世紀初頭の「近代主義イスラーム」の影響が見て取れる。

第3章「「政権派」への変容」では,スハルト政権後半期に,政権側が旧マシュミ勢力に接近してきたことから,旧マシュミ勢力の政権批判は鳴りを潜め,代わって少数派に対する攻撃的な主張が拡大していった過程を描く。またインドネシア・ムスリム知識人協会(ICMI)が設立され,ナッシール死去によるダアワ評議会のイデオロギー的変化として,ポスト・マシュミ世代は近代主義思想から距離をおき始めた。ダアワ評議会の支援を受けた次世代の知識人や活動家のイデオロギーは多様化しており,留学による国際的なイスラーム主義思想の流入もみられた。他方,ナフダトゥル・ウラマー(以下,NU)のグス・ドゥルが政権と旧マシュミ勢力の接近を批判したことにより,旧マシュミ勢力はグス・ドゥルの民主化論や宗教多元主義思想を批判するというイデオロギー対立の構図が現れるようになった。

第4章「民主化後の旧マシュミの分裂と迷走」では,1998年民主化後の展開と旧マシュミ勢力の分裂要因について検討し,在野勢力と議会勢力それぞれの行動や論理が説明されている。旧マシュミ勢力は約40年ぶりに月星党として国政に復活したものの,旧政権派とのイメージを払拭できず,空中分解を余儀なくされた。分裂後,月星党のメンバーたちはウラマー評議会,ダアワ評議会,大インドネシア運動党(グリンドラ)などさまざまな組織に離散していく。在野勢力は宗教多元主義者や少数派への批判に継続的に従事する一方で,議会勢力は国政での支持獲得のため,他宗教への寛容をアピールするようになった。

第5章「宗教的少数派敗訴運動の活性化」では,ユドヨノ政権下(2004-2014)における下野した旧マシュミ勢力だけでなく,民主化後に台頭した新規のイスラーム主義勢力やNUなどのさまざまな運動体の動向を分析している。ここでは,排他性の強調がイスラーム主義勢力の連帯を生み出すには至らなかったことが指摘されている。

第6章「理念なき圧政批判」では,ジョコウィ政権(2014-2019)におけるイスラーム主義勢力と政権の対立,2019年大統領選挙での展開について分析がなされた。とくに大統領の盟友であったジャカルタ州知事アホックの「宗教冒涜発言」をきっかけに,在野のイスラーム主義勢力は政党勢力との団結を強めた上で,排他性を抑制して一般ムスリムの支持を拡大させ,大規模な抗議活動の組織化に成功したという事例を論じている。しかしながら,圧政批判を基本としたこの運動のモメンタムは,イスラーム主義勢力の一時的な協働を可能にしたものの,もはやイデオロギー的に多様化したイスラーム主義勢力の共通項はなく,持続的ではなかったと考察している。

終章では,以上の分析を通じて,インドネシア政治におけるイスラーム主義イデオロギーの変容のメカニズムが解明される。イスラーム主義勢力は政権から周辺化されると圧政批判に基づく民主主義への志向が強化され,宗教やイデオロギーの差異を超えた広範な連帯を実現する可能性が高まる一方で,政権と接近する場合には,自ずから民主主義志向が後退するとともに,宗教的少数派批判が活性化する可能性が高まるというメカニズムを明らかにしている。

以上のように,本書はインドネシアにおけるイスラーム主義思想の歴史を新しい現代政治史として組みなおしている。時の政権との関係においてまさに曲芸的に変わるイデオロギーを明らかにし,現代史として紡ぎなおした著者の筆力はまさに本書の魅力である。インドネシアの政治研究への学術的貢献に関しては,大変意義深いものと思われるが,より詳しい批評は政治学の専門家を待ちたい。

Ⅱ 本書の課題

以下ではインドネシアのイスラームに興味関心をもつ評者の視点から,おもに2点,疑問を呈したい。まず1点目は,オイルマネーとイスラーム初期の原則や精神への回帰をめざすサラフィー主義思想や少数派排斥思想流入に関する疑問である。2点目は,本書における「イスラーム主義勢力」という広範な射程の設定の妥当性についてである。

1点目,中東との交流やその影響がイスラーム主義思想や宗教的排他性をおのずと生み出すわけではない点に留意が必要である。ポスト・マシュミ世代の知識人や活動家に関して,たとえば「有能な学生や活動家はジャカルタでアラビア語教育を受け,中東諸国に留学することもできた。そして彼らこそが,70年代のイスラーム主義思想や現代サラフィー主義思想の伝道者となったのである」(12ページ)とある。おそらく2002年以降のバリ島やジャカルタの爆弾テロ事件で知られるアブドゥラ・スンカルやアブ・バカル・バアシルをさしていると思われるが,他方バン・イマッドやのちの福祉正義党設立メンバーであるアブ・リド,ボゴール農科大学で学生運動を率いたディディン・ハフィドゥディンなども,ダアワ評議会の支援活動を経て後世のイスラーム運動や政党を担う活動家の筆頭と挙げられている(71ページ,111-113ページ)。

上述のディディンはダアワ評議会の援助を受けサウディアラビアに留学した知識人であり,現在はダアワ評議会諮問委員長になっている。彼の著作は,ダアワや教育,経済,ザカートに関するものが20冊ほどあり,アラビア語の翻訳も5冊行っている。そのなかでも,『ザカート法学(Hukum Zakat)』(2000年初版)は,著名なスンナ派イスラーム法学者ユースフ・カラダーウィーの名著『フィクフ・ザカート(Fiqh al zakāt)』をインドネシア語に初めて翻訳したことから,ウラマーとして重要な業績のひとつであるといえる。評者の研究するザカートに関して著作を渉猟すると,ディディンの業績は法学(フィクフ)への貢献が大きいことがわかる。インドネシアという地域に根差した実践的な提言を行っており,現代的な要素と近代経済学の視点も取り入れながら,ウラマーとしてイジュティハードも行っている。中東への留学経験があるものの,いわゆる「クルアーンとスンナ」を主張し,伝統的法学派を否定・批判するサラフィー主義とは異なる位相にいると考えられる。

また著者もあとがきで触れているように,2010年代のシーア派襲撃を扇動した加害者側には「穏健派」の代表格として知られていたNUメンバーたちがおり,NUの少なからぬ指導者たちも,暴力こそ肯定しないものの,それまでシーア派を明確に異端視し,布教の禁止を要求する勢力を黙認してきたという過程がある。逆に,「中東」で学んだムスリムでも,シーア派を容認する知識人や指導者は少なくないし,なによりも排斥運動の首謀者たちが師事したサウディアラビアのウラマーは他者に対する独断的な断罪行為を戒め,寛容を説いたことでNU界隈でも広く知られていた(204-205ページ)。

つまり,中東への留学やオイルマネーの流入がすなわちイスラーム主義思想やサラフィー主義思想につながるというわけではない。確かに著者が指摘するようにサウディアラビア政府はナッシールの外交的ネットワークと要請により,ダアワ評議会にもオイルマネーを潤沢に配分した(69-71ページ)。そしてジャマーア・イスラーミーヤを創設したアブドゥラ・スンカルやアブ・バカル・バアシルをダアワ評議会が支援したことも間違いない(72ページ)。またダアワ評議会は著名なサラフィー主義の論客であるムヒッブッディーン・ハティーブやイフサーヌッラー・ザヒールらが著したシーア派批判の出版物をインドネシア語に翻訳し,各地のイスラーム組織や図書館に大量に配布した(83ページ)こともある。

しかしながら,サラフィー研究に詳しい人類学者のゾルタン・ポールやディン・ワヒドの議論をみても,インドネシアでは,非サラフィー主義者の方がGCC(湾岸アラブ諸国協力理事会)の諸政府や慈善団体からの資金の流れによって,おそらくより多くの恩恵を受けていることが指摘されている[Pall 2018; Wahid 2014]。ムハマディヤやNUなどのイスラーム大衆組織の方が,サラフィー主義者よりもおそらく多くのサウジ援助を受けているというのが,インドネシアにおける現状のカネの流れである。

そうであるならば,国境を越えたペルシア湾岸との結びつきがインドネシアにおけるサラフィー主義のダイナミクスに重要な役割を果たしていることは指摘できても,「有能な学生や活動家はジャカルタでアラビア語教育を受け,中東諸国に留学することもできた。そして彼らこそが,70年代のイスラーム主義思想や現代サラフィー主義思想の伝道者となったのである」(12ページ)や「サウディアラビア政府の支援により,シーア派やアフマディーヤを異端とみなして排斥する主張も流布されるようになった」(198ページ)と一側面だけに言及するのはミスリーディングを誘うのではないか。オイルマネーの流入によるインドネシア社会の変化はサラフィー主義思想の流入や少数派排斥主張にとどまるものではないだろう。実際の思想の担い手の背景や言説のルーツを丹念に辿った著者だからこそ,オイルマネーとサラフィー主義思想や少数派排斥思想流入に関しても言説を超えた側面があることを丁寧に言及してほしかったというのは評者のない物ねだりだろうか。

2点目は本書における「イスラーム主義勢力」という射程の妥当性についてである。本書で著者はイスラーム主義勢力を「イスラームの規範的価値に基づく国家や社会の実現をめざす広義の勢力であり,社会組織や政党,社会運動などさまざまな形態をとる。すなわち,ここではマシュミの近代主義者たちのみならず,1970年代以降の国際的潮流から派生し新規に台頭した勢力や政治活動を通じてイスラームの価値実現を希求する伝統主義者の一部を包含するものとして捉えたい」(13-14ページ)と定義している。

イスラーム主義について先鞭をつけた中東研究者のオリヴィエ・ロワは,イスラーム主義をイスラーム的体制の確立をめざす運動体[Roy 1994, 35-47]としたし,末近も「平たくいえば,イスラームに依拠した社会変革や国家建設をめざすイデオロギー」[末近 2018, 2]と定義している。一般的にいえば「社会のイスラーム的変革を求める政治的イデオロギーや運動」[大塚 2004]がこれまでよく使われてきた定義であろう。

ポスト・イスラーム主義論を経た今日では,イスラーム主義という用語は上記の定義にとどまらず,文脈に応じて多義的に用いられる。とくにインドネシアという国民国家の枠組みのなかで独立をめざすナショナリズムが強固な影響力をもった国の実情に即して丁寧に描かれた本書において,イスラーム主義勢力の射程を広くとったのは一つの方策である。そうはいうものの,本書でイスラーム主義勢力とされる諸団体はひとまとまりで語ることが可能なのであろうか。

たとえば1-4章のナッシールやマシュミの例はよいとして,5章以降ウラマー評議会やイスラーム防衛前線,ソーシャルメディア説教師のアブドゥル・ソマドなど,マシュミとは系譜が異なる組織や人物に焦点が当てられている。著者は序章で「民主化以降の考察ではマシュミの系譜を超えたより多様なアクターを『イスラーム主義勢力』と総称」(14ページ)すると述べているが,多様すぎるアクターを同じ歴史の縦糸として語られると,読者としては少々混乱する。著者も断っているように本書の射程は「イスラーム防衛戦線やNUの一部など,マシュミの系譜とは異なり四大法学派の権威を重視する伝統主義勢力」(13ページ)をも含む。さまざまなイスラーム組織に複数加入することも多いインドネシアのムスリムネットワークを紐解くと,ダアワ評議会と間接的に関係があったかもしれないが,四大法学派の権威を重視する伝統主義勢力を,近代主義思想をその起源にもつマシュミの系譜と一緒くたに論じるのは妥当だろうか。

いずれの疑問点も,力及ばぬ評者の独りよがりかも知れず,本書の新規性やダイナミックなタイムスパンなどの意義や魅力を損ねるものではまったくない。本書は,現代インドネシアにおけるイスラームと政治を考える上で新しい視座を与えてくれる良書である。旧マシュミ勢力を筆頭とするイスラーム主義勢力は,宗教的少数派の排斥とイスラームに基づく民主主義論を同時に唱えるようなまさにアンビバレントな存在であり,本書はどうしてそのような二律背反を持ち合わせるのか,そのメカニズムを政治との関連から明快な論理で解き明かしてくれる。政治学のみならず,インドネシアのイスラームに関心を寄せる幅広い読者におすすめしたい。

文献リスト
  • 大塚和夫 2004.『イスラーム主義とは何か』岩波書店.
  • 末近浩太 2018.『イスラーム主義――もう一つの近代を構想する――』岩波書店.
  • Hefner, W. Robert 2000. Civil Islam: Muslim and Democratization in Indonesia. Princeton: Princeton University Press.
  • Pall, Zoltan 2018. “Modalities of Salafi Transnationalism in Southeast Asia.” Kyoto Review of Southeast Asia 23.
  • Roy, Olivier 1994. The Failure of Political Islam. Cambridge, MA: Harvard University Press.
  • Wahid, Din 2014. Nurturing the Salafi Manhaj: A Study of Salafi Pesantrens in Contemporary Indonesia. Utrecht: Ph.D Thesis submitted to Utrecht University.
 
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