アジア経済
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書評
書評:松田素二・フランシス B. ニャムンジョ・太田至編著『アフリカ潜在力が世界を変える――オルタナティブな地球社会のために――』
京都大学学術出版会 2022年 x + 452ページ
友松 夕香
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2025 年 66 巻 1 号 p. 77-81

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はじめに

本書は,2011年度から2020年度まで10年間続いた,日本とアフリカ大陸の研究者による学際的な国際共同研究の成果である。タイトル『アフリカ潜在力が世界を変える―オルタナティブな地球社会のために―』は,現代世界が直面している課題解決の変革の糸口が,「後れた地域」としてみられてきた「アフリカ」の潜在力にあると主張している。ページをめくる前は,わかりやすいこの趣旨に新鮮さを感じることができなかった。しかし,本書のなかでは,評者の予想を打ち砕く,独特の異彩さを放つ議論が展開されていた。

異彩さの基盤になっているのは,知の様式のグローバル基準に対する,プロジェクト参加者による異議の共有である。西洋中心主義的な学術・実践の世界でのアフリカ大陸の研究者の苦悩と自問自答,そしてこれに対する,欧米の価値規範を取り入れるかたちでの近代化とその矛盾を経験してきた日本の研究者による共感だ。両者はカウンターパートとして共通の問題意識をともに昇華させることで,刺激的な論考を生み出している。そこで本稿では,「アフリカ潜在力」をテーマに掲げた本国際共同研究の過程,ならびにそこで深化した思考群を分析することで,本書の理解を深めてみたい。

Ⅰ 国際共同研究としての異彩さ――アフリカ大陸9カ国をめぐる開催――

編著者の太田と松田は,長年にわたって日本アフリカ学会を牽引してきた文化人類学者である。太田は2011年度から基盤研究(S)「アフリカの潜在力を活用した紛争解決と共生の実現に関する総合的地域研究」を開始し,日本とアフリカ大陸の知的交流の場として「アフリカ・フォーラム」を立ち上げた。2016年度からは,松田が新たに基盤研究(S)「「アフリカ潜在力」と現代世界の困難の克服――人類の未来を展望する総合的地域研究――」を開始し,同フォーラムを継続させた。これらの成果として,すでに京都大学学術出版会より和文で5冊[太田 2016],カメルーンのランガー社(Langaa RPCIG)より英文で4冊[Moyo and Mine 2016; Gebre, Ohta and Matsuda 2017; Ofosu-Kusi and Matsuda 2020; Ohta, Nyamnjoh and Matsuda 2022]を出版している。本書は,こうして2020年度に区切りを迎えた10年間の国際共同研究の和文での集大成である。

国際共同研究としての「アフリカ潜在力」が異例なのは,第一に,その集結の場をアフリカ大陸にした点にある。2011年から2019年までの各年,ケニア,ジンバブエ,南スーダン,カメルーン,エチオピア,ウガンダ,南アフリカ,ガーナ,ザンビアを順に回って「アフリカ・フォーラム」を開催した。アフリカ研究の場合,ほとんどの研究資金は欧米やアジアなど,アフリカ大陸の外の国々・機関から調達されている。21世紀現在の「グローバル基準」では,その資金を獲得した研究代表者にとって,「現地」は調査地であっても,知的交流の中心拠点になっていない。アフリカ諸国の研究者は「先進国」に呼ばれ,学会に参加したり万全な研究環境を与えられ,そこで「アフリカ人研究者」ないしは「マイノリティ」としての「多様な」発言が期待される。しかし,アフリカ大陸各地を巡回したフォーラムの開催は,現地のより多くの人びとの参加だけではなく,現地において地に足をつけた学術的議論を可能にした。太田と松田,そして本書のもう一人の編著者である,南アフリカで教鞭をとるカメルーン出身のフランシス・ニャムンジョ(Francis Nyamnjoh)をはじめとするアフリカ大陸のカウンターパートたちはまさに,アフリカの知の脱周縁化を可能にする国際共同研究のモデルを,「現地から」提供したのである。

この結果,国際共同研究としての対話力の高さが本書では顕著だ。編著者らは序章にて,グローバル基準とは異なる,現地の人びとが日常生活で編み出してきた問題対処のアプローチの評価をとおして,「アフリカ潜在力」(African Potentials)という概念を徐々に発展させていった経緯を詳述している。まず,2011年のナイロビ・フォーラムでは,「アフリカ潜在力」をアフリカ固有の実体ではなく,国家や世界の政治との交渉をとおしたプロセスとして動態的に位置づけた。続く2012年のハラレ・フォーラムでは,抑圧やグローバルな不平等のメカニズムに対峙する人びとの抵抗や連帯に注目する視座の重要性を確認した。そして2013年のジュバ・フォーラムでは,ローカルのみならずグローバル空間で交錯する多様な思考や価値,言説と実践を組み合わせる力として「アフリカ潜在力」の概念を深めた。さらに2014年のヤウンデ・フォーラムでは,世界の知的ヘゲモニーとなっている西洋の知に対抗・拮抗するものとしてではなく別の知のあり方としてアフリカの知を位置づけ,西洋の知を相対化し脱中心化することで,知を複数中心化する方向性を共有した。こうして2015年のアディスアベバ・フォーラムでは,在来知に焦点を当て,「異形のものを結合する力」として「アフリカ潜在力」を捉える視点を確立している。

すなわち本書はこの,異形のものを結合する「アフリカ潜在力」の実践の成果そのものだ。国際共同研究はまさに,「アフリカ潜在力」のキー概念にもなっている「人びとが日常のなかで接したものや,アクセス可能な多様な思考,価値観,知識,制度,システムなどの一部を自在に切り取って,問題に対処してゆく力」(15ページ)としての「ブリコラージュ」の実践の場になったのだ。上述の2011~2015年度は紛争解決をテーマにしたが,続く2016~2020年度開催のアフリカ・フォーラムでは,環境破壊や社会格差,開発,教育,ジェンダーといった多様な課題をテーマに「アフリカ潜在力」という概念の適用可能性を拡張し,そこから「人間とは何か」という人文学的な問い直しにまでつなげている。

こうして編まれた本書は,4部構成である。ポストコロニアル・アフリカの脱植民地化と解放のアプローチを導き出した第1部,紛争解決の具体的な方策を検討した第2部,現代世界の支配システムへの対峙のあり方を論じた第3部,周縁から世界を再構築するための理論化を試みた第4部である。全14章あるため,次節ではとくに日本では知られていないアフリカ諸国のカウンターパートたちの論考に焦点を当て,地域研究としての異彩さを考察してみたい。

Ⅱ 地域研究としての異彩さ――概念の普遍性へのこだわり――

「アフリカ潜在力」では,思考の普遍性を強く志向する議論を展開している。一般的に地域研究は,各地域の文脈の複雑さや文化の個別性を重視するため,詳細な記述分析に終始しがちだ。しかし本書は,「アフリカ」から導き出す思考が「アフリカ」のみならず現代世界が直面するさまざまな問題を考える際に有効になるとして,地域枠組みをこえた理論化を試みている。とくに「アフリカ」は「西洋」との歴史的関係で奴隷貿易や植民地化を経験した。このため,アフリカ研究から西洋近代の知的ヘゲモニーを乗り越えて普遍的な理論を構築することは,極めて挑戦的だ。

「アフリカ潜在力」を理論武装する上で重要な役割を果たしているのが,「普遍主義の脱中心化」(第1章)の議論である。ケープ・コースト大学のフセイン・イヌサー(Husein Inusah)は,「アフリカ哲学から植民地的な遺制をいかに取り除くか」(44ページ)という現地の大学の教育現場での切実な問題意識をもとに,アフリカ哲学の脱植民地化に取り組んでいる。アフリカ哲学ではこれまで,相対主義の立場からアフロセントリズム寄りの個別主義的な思想家と,普遍主義の立場から西洋由来の概念より「優れた」普遍的概念をアフリカから導き出そうとする思想家の対立が続いた。イヌサーはどちらにも傾斜することなく,しかし同時に哲学者として普遍性の探究をめざしている。こうして,西洋の概念が特権をもつ西洋中心の普遍主義に対し,認識論的多様性(相対主義)にもとづく「普遍主義の脱中心化」を提唱している。アフリカ哲学の苦悩を乗り越えようとするこの論考は,ポストコロニアル・アフリカの思想史としても興味深かった。

徹底的かつ開放的な協議による「民主主義」の問い直しは,「アフリカ潜在力」の要となる論考である(第2章,第4章,第5章)。紛争が続く地域において,多数決による問題解決の手法は,勝ち負けをつけることで次の軋轢と暴力を生み,持続的な平和構築につながってこなかった。こうした認識のもと,ローズ大学のマイケル・ネオコスモス(Michael Neocosmos)は,徹底的な議論を続けてコンセンサス(満場一致)を導き出す協議の可能性を強調している。これは,誰かを敗者にせず,しこりを残さない対話と相互行為型の意思決定の手法であり,アフリカ大陸のコミュニティ内,また異なるコミュニティ間で広く実践されてきたものだ。日本民俗学の名著『忘れられた日本人』での対馬の寄り合いの描写[宮本 1984, 16]とも通じる。みなが納得いくまで徹底的に話し合いを続けるわけだが,難題であっても3日あれば結論が出たと記述されている。こうした徹底的な協議手法は,他者を集団としてカテゴリー化し,ラベルづけして分断をもたらしている選挙や政党政治での多数決の民主主義の手法とは対極にある。対話型の民主主義の手法として,異種多様な主体がかかわる複雑な紛争の場においても,問題と解決策の共通認識を導き出す効果を期待できる。

また「アフリカ潜在力」は,国家主義も問い直し,地球を一つの共同体として構築し直す上で「連帯のホスピタリティ」を提唱する(第3章)。コッパーベルト大学のオーウェン・シチョネ(Owen Sichone)による,国境をこえた「移動の自由」をテーマにした,移民を排除する思考を再検討する議論である。世界各地の政治経済,社会状況が異なるなか,自らの境遇に不満を抱く人びとは「上向きの社会移動」を望み,人工的に設けられた国境をこえようとする。アーサー・ルイスの近代化理論(二重部門モデル)や新自由主義によれば,人びとが仕事を求めてアフリカ大陸からヨーロッパへ移動することは経済成長をもたらす。ところが富裕国は,特定の条件を満たす国々やアフリカ諸国の富裕層・エリート層だけに移動の自由を付与し,そのほかの移民を排除し,「難民」化させている。移民流入による社会の不安定化や社会福祉費用の増大を懸念しているわけだが,こうした政策的矛盾や国家主義,国家による暴力の現実を見つめ,地球上のすべての人びとの平等,ならびに移動と生活の自由を認めるべきだと主張する。この思考のもとになっているのは,見知らぬ他者を受け入れて世話をするという,アフリカ大陸各地で実践されてきた開放的な連帯のホスピタリティのイデオロギーである。

「アフリカ潜在力」は「在来性」の概念を再定義することで,これらの議論を強化している(第11章)。在来性は,グローバルな権力関係の文脈で,覇権的な力に対抗する概念として位置づけられてきた。しかし,ステレンボッシュ先端科学研究所のエドワード・キルミラ(Edward Kirumira)は,在来性をローカルで固有なものとしてではなく,多様な経験や文脈,歴史によって織りなされてきたダイナミックなものとして位置づける重要性を強調している。よって,「在来性」にもとづく「アフリカ」とは,西洋との対比で本質主義的にロマン化された実体ではなく,多言語を話す人びとや外部世界との関係からなる移動性,流動性,柔軟性,開放性の高い「ありかた」である。「アフリカ潜在力」とは,西洋とアフリカのどちらかの優位性を判断したり,他者を排除するのではない関係論的な思考であることを説得的に論じているのだ。

この「在来性」の概念からアフリカ,そして現代世界の未来を考える際に重要になるのが,西洋との負の歴史を乗り越えることである(第12章)。ケープタウン大学のフランシス・ニャムンジョは,ブラック・ライブズ・マター運動の台頭後に南アフリカで起きた,大英帝国の野望の象徴となってきたセシル・ローズの功績を称えて建立されている記念碑の処遇をめぐる議論を事例に取り上げている。ヨーロッパによるアフリカの植民地化の歴史とその扱いに対し,肯定・否定のどちらかの考え方や立場が正しいとするような,絶対性,完全性の思考から脱却する必要があると主張する。その方法として,異種多様な主体それぞれが謙虚さにもとづいて,あらゆる事柄の「不完全性」をポジティブに認識することによる「コンヴィヴィアリティ」のありかたの探求を提案している。結論(第13章)では,「アフリカ」という世界の周縁部で営まれる「普通の人間」の日常生活こそが,覇権的な知の様式の相対化を可能にする「アフリカ潜在力」の源泉であると松田は強調している。評者は,「アフリカ潜在力」のプロジェクトが,地域研究をこえ,普遍性が高い理論の構築を成功させているように思う。

Ⅲ 「アフリカ潜在力」の課題と展望

書評の最後として,「アフリカ潜在力」の課題と展望について述べたい。評者は,本書の編著者らによる,日本やアフリカ大陸の学術界のみならず,欧米の学術界でのブックトークや学会発表での精力的な発信による議論の喚起を望んでいる。本書の英語での出版はすでに実現しているが,出版そのものが広く読まれることにつながるわけではないからである。普遍主義の脱中心化,知の複数中心化の思考,そして不完全性を受け入れるコンヴィヴィアリティの思想は刺激的だ。また,民主主義を問い直し,国家主義を再考し,在来性を再定義する本書の議論は,国家の枠組みをこえ,多様な人びとが混ざり合う空間で現代世界の課題解決を呼びかけてきたデヴィッド・グレーバーのアナキズムの思考[グレーバー 2020]とも共鳴するところがあり,興味深い。欧米の学術界での発信は,知識生産の中心を欧米の学術界に戻すことではなく,本国際共同研究が生み出した新たな知識をグローバルな空間にいっそう循環させることになる。さらなる異種多様な存在の間の対話と協働によって,アフリカ潜在力の知的「ブリコラージュ」の実践がグローバルレベルでもっと展開していくことを期待したい。

もう一つの課題は,平和構築の現場に介入している国連やNGO,現地政府などの実務者を巻き込むかたちでの「アフリカ潜在力」の理論の実装のための協働だ。世界で対処が困難になっている紛争や移民・難民問題をはじめとする諸課題において,「それを認識し解決するための枠組みが西洋近代の知の様式に全面的に依存している」(413ページ),という松田の見解に評者も同感だ。一方で現在,世界の人びとの間では,本書の副題にも使用されている「オルタナティブ」という言葉が「何に対するオルタナティブなのか」疑問を抱かせるほどに,これまで覇権的だった西洋近代の知の様式をこえ,価値観や考え方の多様化が急速に進んでいるように感じている。さらに,国家間,そして国家の枠組みをこえて課題解決が求められる国際協力の現場では,その突破口となる革新的なアイデアが必要だと言われ続けている。本書では,国家主義を再考する思考,ならびに多数決や権力による紛争解決ではなく,多様な関係者が徹底的な協議を継続的に繰り返していく過程そのものとして,長期的に平和構築を実践していこうとするモデルが示されている。これらは,分断を乗り越えていく上で有効なアプローチに思える。現場には,国内・国際政治,官僚制,当事者間の軋轢といったさまざまな問題が横たわっているが,こうした複雑な状況での思考錯誤はまた,本書がめざす異種多様な価値観や思考,実践の間で新たなものを組み立てるブリコラージュそのものである。すでに大山修一がニジェールで継続してきたような取組みの積み重ね(第10章)はもちろんのこと,大胆で新しい挑戦が各現場で萌芽し,少しずつ広がりをみせ,発展していくことを期待したい。

おわりに

世界の覇権的な知の様式に真っ向から疑問を呈した,日本とアフリカ大陸の研究者による本国際共同研究の過程は,グローバルな知的交流の記録そのものとしても興味深い。さらに,その成果として両者の間で深められた「アフリカ潜在力」の思考は,日本と欧米の研究者の国際共同研究でも,欧米とアフリカ大陸の研究者の国際共同研究の間でも導き出されなかっただろう独自性の高い価値を創り出している。アフリカ諸国の巡回をとおして異種多様なものの交流のもとで生まれた知が,「アフリカ」として形容されるのではなく,それそのものとして評価されるとき,「アフリカ」は奴隷貿易や植民地統治以来の負の歴史から解放されるのだろう。評者は,その日が来ると考えている。

文献リスト
  • 太田至編 2016.『アフリカ潜在力(第1巻-第5巻)』京都大学学術出版会.
  • グレーバー,デヴィッド 2020.『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義――』片岡大右訳,以文社(Graeber, David 2007. “There Never Was a West: Or, Democracy Emerges from the Spaces In Between.” in Possibilities: Essays on Hierarchy, Rebellion, and Desire. Oakland: AK Press Distribution).
  • 宮本常一 1984.『忘れられた日本人』岩波書店.
  • Gebre, Y., I. Ohta and M. Matsuda eds. 2017. African Virtues in the Pursuit of Conviviality: Exploring Local Solutions in Light of Global Prescriptions. Bamenda: Langaa RPCIG.
  • Moyo, S. and Y. Mine eds. 2016. What Colonialism Ignored. ‘African Potentials’ for Resolving Conflicts in Southern Africa. Bamenda: Langaa RPCIG.
  • Ofosu-Kusi, Y. and M. Matsuda eds. 2020. The Challenge of African Potentials: Conviviality, Informality and Futurity. Bamenda: Langaa RPCIG.
  • Ohta, I., F. B. Nyamnjoh and M. Matsuda eds. 2022. African Potentials: Bricolage, Incompleteness and Lifeness. Bamenda: Langaa RPCIG.
 
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