アジア経済
Online ISSN : 2434-0537
Print ISSN : 0002-2942
書評
書評:工藤章著『ドイツ資本主義と東アジア 1914-1945』
桜井書店 2023年 xiii + 602ページ
小池 求
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2025 年 66 巻 2 号 p. 105-108

詳細

Ⅰ 本書の問題関心と構成

本書の著者は,長年にわたり,20世紀全体を対象として,日独企業間の関係や日独政府間の通商関係に関する多くの研究成果を発表してきた。近年,著者は独中関係にも関心を広げており,本書は,独中関係を軸に,独日関係に関する従来の研究成果[工藤 2021]を加えて,ドイツの東アジア通商政策の全体像を示そうとする試みである。

本書は,1914年から1945年までのドイツ政府の対東アジア通商政策をドイツ企業の在日・在中事業や日中政府・企業の動向に注目して多角的に分析している。従来の研究において,ドイツの東アジア政策は,独日・独中関係という個別の二国間関係の視点から研究がなされ,政治・軍事分野に注目が集まり,経済分野での研究は遅れていた。また,日中両国はドイツ政府や企業からみると客体として描かれてきた。それに対して本書は,日中両国や企業の主体性と通商関係に着目している。そして,独中関係と独日関係を比較しながら,ドイツと東アジアとの関係の全体像を示すことで,先行研究の問題を克服しようとした。

本書の重要な分析概念として,「国際定位」,「企業体制」,「企業」が挙げられる。これらは著者がこれまでの研究においても使用してきたものである。評者の理解によれば,「国際定位」はドイツの通商政策の重点とその前提となる国際環境を指している。「企業体制」とは,ドイツの第一次世界大戦の総力戦体制下における政府と企業との関係などを学んだ日中両国のドイツ理解を含む概念である。そして,ドイツの通商政策や総力戦体制構築に向けた中国の動きに対する反応として,ドイツ「企業」の対中事業について議論した。

本書は序章と終章を除いて,3部9章から構成されている。

  •  第Ⅰ部 国際定位

      第1章 ドイツの通商政策と東アジア――再建と変容――

      第2章 北京関税特別会議と1928年独中関税条約

      第3章 「輸入政策」の追求――華北における日独経済協力と独中信用供与条約の改定――

     第Ⅱ部 企業体制

      第4章 ドイツ企業体制学習の日中比較

     第Ⅲ部 企業

      第5章 ドイツ企業の対東アジア戦略

      第6章 オットー・ヴォルフ社の対東アジア戦略

      第7章 クルップの対中戦略――製鉄製鋼設備・技術と中央鋼鉄廠――

      第8章 IGファルベンの対中戦略――人造石油製造設備・技術――

      第9章 カール・ツァイスの対日戦略――プラネタリウムと大阪市立電気科学館――

Ⅱ 本書の概要

第Ⅰ部では,第一次世界大戦から1945年までを2つの時期に分け,ドイツの対東アジア通商政策の転換のプロセスと全体像が示された。

第1章では,ドイツの対東アジア通商政策の全体的な基調を国際環境と国内要因から2つの時期に分けて検討した。前期は,ヴェルサイユ=ワシントン体制下の時期である。その体制下においてドイツ政府はヴェルサイユ条約により定められた賠償履行のために外貨獲得をめざす輸出政策を追求し,対米英追随という国際協調的な路線をとった。後期は,世界恐慌に起因したヴェルサイユ=ワシントン体制の崩壊後の時期である。当時,ナチス政権は再軍備を進めるため輸入政策を実施していた。ドイツはタングステンなどレアメタルを有する中国との貿易を重視し,輸入政策を進めるために独中信用供与条約(1936年)を結び,両国間のバーター貿易のための枠組みを作った。この時期,ドイツは対米追随を放棄し,自主路線をとった。これにより,ドイツの通商政策の質的転換はあったが,対中重視が基軸となっていたことを究明した。

第2章では,前期のドイツの対米英追随の傾向を北京関税特別会議と独中関税条約交渉から検討した。この2つの問題は,中国と対等の関係になったドイツが,ワシントン体制のアウトサイダーから独中関税条約(1928年)を通じてインサイダーへと変化する過程を示すものであった。関税特別会議において,ドイツは外部から米英日三国の動向を観察していた。その結果,日本が会議において独自路線を追求し孤立していくなかで,ドイツは米英追随を決定した。そして,独中関税条約の調印は,アメリカが始めた対中関税自主権の承認などの流れを他国にも促す機能を果たしたと評価した。

第3章では,ナチス政権の「輸入政策」が東アジアにおいて実施されていく過程を,とくに日中戦争勃発後のドイツの対中・対日交渉に焦点を当てて分析した。この時期,ナチス政権は満洲国を承認するなど,対日関係を重視したため,対中関係は悪化していた。そのなかで,4カ年計画全権委員であったゲーリングは対中貿易の主導権を獲得し,1938年に部下のヴォイトを日中両国に派遣し,二面交渉を行った。1936年の独中信用供与条約という前提が存在した対中交渉は,中国が武器を,ドイツが資源をそれぞれ求めたため,バーター貿易の枠組みは継続された。対日交渉の目標は,日本占領下にあった華北におけるドイツの経済的地位の保証を得ることにあり,日本自体を対象とするものではなかった。この点において,ドイツは独日関係が強化されるなかにあっても,一貫して中国市場を重視したことを指摘した。

第Ⅱ部の第4章は,日中両国がドイツの総力戦体制の経験から何を学んだのかを比較した。日本側は書籍などを通じて間接的に学ぶ傾向があり,その範囲は,総力戦体制を超えて,カルテルなどの企業間関係や政府・企業関係にも及んでいた。また,学習の主体は陸軍や商工省,企画院など時期により異なっていたが,ドイツ学習が日独関係に影響を与えることはなかった。中国側はドイツ軍事顧問団を通じて直接的にドイツの経験を学んだ。顧問団は,第一次世界大戦中の総力戦体制を支えた当事者が含まれており,中国の総力戦体制構築のための重化学工業化政策の立案に関与するなど,独中通商関係に影響を与えた。ただし,著者は中国の政策がドイツ学習よりは日本学習を通じた第一次世界大戦の交戦国に関する間接的なかたちでの学習の結果であると推察しており,ドイツモデルが無批判に適用されたわけではなかったとの見解を示した。

第Ⅲ部の第5章は,第Ⅰ部で議論した通商政策下におけるドイツ企業の東アジア事業の中心が貿易であったことを示した上で,対日・対中貿易の特徴を検討した。第一次世界大戦の終戦直後,ドイツ企業は東アジア事業を再開したが,ヴェルサイユ条約が修正される1925年まで,ドイツ政府から支援を受けることができなかった。対日貿易では機械製品の輸出がメインであり,ドイツの出超という構造ができていた。日本はドイツ企業にとって市場であると同時に,競争相手でもあった。一方で,中国に対しては1920年代まで大豆などの農産品の輸入がメインであった。1930年代後半に再軍備に必要な物資の調達を重視した輸入政策がナチス政権により実施されると,中国はタングステンなどの重要物資の供給先として重視された。そして,ドイツ企業の対中貿易は国防省傘下の工業製品貿易有限会社(ハプロ)や経済省傘下のオットー・ヴォルフ社(のち両社ともにゲーリングの影響下におかれた)のもとで管理・統制がなされる傾向が強まった。

ドイツ企業の東アジア事業の具体的事例として,経済省傘下の商社となり,中国において鉄道建設や自動車工場建設プロジェクトを企画したオットー・ヴォルフ社(第6章),ハプロ主導の中央鉄鋼廠の設立プロジェクトに参加した製鉄業のクルップ社(第7章)を事例として,経済省や国防省傘下の企業が主導したプロジェクトの内容とそれに対するドイツ製造企業の参加のプロセスが検討された。英米企業との国際カルテルが組まれていたことを前提とした,日中に対する化学企業のIGファルベンの人造石油製造技術のライセンシングをめぐる議論(第8章)や,光学メーカーのカール・ツァイス社の対日プラネタリウム輸出(第9章)を取り上げ,ドイツ技術の導入をめぐる対日・対中交渉を検討した。また,対日直接投資を例外的に行ったジーメンスの対日・対中事業も分析されている(第5章補節)。

日中両国からみれば,上記のドイツ企業との関係は,カール・ツァイス社の事例を除き,総力戦体制構築に必要な設備または技術をドイツから獲得するための手段であった。ドイツ企業が対中事業を積極化させた理由は,中国の幣制改革による経済回復,また,政府の輸入政策に基づく独中信用供与条約によるバーター貿易の実施という枠組みが存在したことが大きかった。一方で,中国の国民政府は日中対立が深刻化するなかで,総力戦体制の構築を進め,ドイツに接近した。そして,ハプロやオットー・ヴォルフ社はドイツ企業を加えたコンソーシアムを結成し,中国の総力戦体制構築を支援した。ただし,日中戦争の激化がこれらのプロジェクトの実現を妨げた。中国に関しては,ドイツ政府の通商政策とドイツ企業の活動,さらに中国政府との間に相互作用や共通の利益があったことが指摘されたが,対日政策においてドイツ政府の支援が企業活動に対して十分に与えられないという,非対称性が示された。

Ⅲ 本書の価値と課題

以下では,本書の価値を示した上で,ドイツの東アジア政策のみならず,東アジア国際情勢と欧米諸国との関係を議論する際にさらに考え得る点を課題として提示したい。

第1は,ドイツの対東アジア政策を理解する上で,独中・独日双方との関係を比較・分析するだけではなく,日中関係の変化を条件として考える必要があることを明らかにした点である。日中関係が悪化し,最終的に日中戦争が勃発するなかで,独日・独中関係を両立させることの困難さは増した。独日間の政治的関係が強化されて以降も,通商政策においてドイツの対中重視の傾向が一貫していたことを究明した。

第2は,ドイツの対東アジア通商政策の策定における国際環境の影響と主導的アクターが時期的に異なることを明らかにした点である。ドイツは,ヴェルサイユ=ワシントン体制下から強く影響を受けており,それを与件として,外務省は国際協調路線をとっていた。一方で,ナチス政権は既存の国際体制が崩壊したこともあり,国益を優先した自主路線の傾向が強く表れた。この路線は対中重視の経済省や国防省などにより主導され,外務省は脇役となった。東アジア国際情勢におけるドイツの位置づけは,前期においては,アメリカが引き起こした東アジア通商政策全体の転換を促進させる役割を結果的に果たし,後期においてはドイツの対中軍事支援がその後の米英の対中支援を刺激したと結論づけている。

上記との関連でドイツの東アジア通商政策の特徴として本書が強調した第3の点は,ドイツの対中政策の慎重さと対米重視の背景にある国際環境からの影響の強さであろう。第一次世界大戦後,ドイツはヴェルサイユ体制の修正によりヨーロッパにおける自国の立場を改善させることが必要となった。このヨーロッパ情勢の安定がドイツの東アジア政策の前提となった。一方で,大戦以前は,ヨーロッパの列強間で陣営対立が起きていた。当時のドイツは,不安定なヨーロッパ情勢に悪影響を与えないために慎重な対中政策を追求し,アメリカが主導権を握ることを期待していた[小池 2015]。ヨーロッパ情勢と東アジア情勢の一体性,またはそれらの連動からドイツの東アジア政策を考えるという観点は,第一次世界大戦の前後において変化はみられないと思われる。

第4は,ドイツ政府の通商政策とドイツ企業の対中事業との連動を,とくに1930年代後半に展開された輸入政策から解明したことである。経済省や国防省傘下の企業がコンソーシアムを通じてドイツ企業を組織化し,再軍備のため輸入政策を推進した。この政策は中国の総力戦体制構築の動きとも結びついていた。独中間の通商政策の目的は一致し,相互補完的であったのである。ドイツ政府と企業という国内の関係のみならず,独中の国家間関係という2つの関係が連動していたことを明らかにした。一方で対日政策においては,日本そのものではなく日本の影響下におかれた中国市場について議論する傾向があった。日本側がドイツの対中通商政策を批判しても,それによりドイツの政策を大きく転換させることは難しかった。

本書は,ドイツの東アジア通商政策の全体像を政府レベルと企業活動,日中両国の動向を絡めて多元的に描き出すことに成功しているといえよう。その上で,本書の議論を受けて,ドイツの東アジア政策においてさらに考えたい点を挙げる。

第1にドイツの東アジア通商政策とドイツ企業の対中事業との連動に関しては,1930年代後半の輸入政策期に議論が集中している。1920年代後半の賠償履行政策期を扱った第5章では,ドイツ政府は輸出政策を推進し,貿易額などの統計が紹介される一方で,ドイツ企業自体の在中事業に関する検討は多くない。では,政府と企業の連動は本書が対象とする時期において一貫した特徴であったのか。ドイツの通商政策の特徴であるドイツ政府の対中企業活動に対する消極的支援は,第一次世界大戦以前と以後で連続し,1930年代後半に転換したということになるのだろうか。この点の分析をすることは,ドイツの東アジア政策全体を考える上でも重要な点であろう。

第2の点は,第1の点と関連するが,東アジア通商政策がベルリンの視点から分析されていることである。輸入政策を進めたいナチス政権下においては経済省や国防省およびその傘下にある企業とドイツ企業との間の交渉過程が第Ⅲ部で議論されている。しかし,その議論からドイツの大企業の代理店となっていたような在中ドイツ企業などの現地勢力や東アジア協会の意見などが十分に紹介されていない。田嶋信雄は,東アジア協会や上海のドイツ商業会議所がハプロによる対中武器輸出の独占に対して不満をもっていたと指摘している[田嶋 2013]。第一次世界大戦以前,在中ドイツ人は本国政府に対して,積極的な対中事業の支援を求めたが,基本的に自助が求められた[小池 2021]。本書で指摘された第一次世界大戦後にドイツ企業が東アジアに復帰した際と同じ構図である。在中ドイツ勢力が本国の通商政策に影響を与えたのかどうか。本国と現地との関係からドイツの東アジア通商政策の立案過程を議論する視点も重要であろう。

第3の点は,在中ドイツ外交官の役割である。第一次世界大戦後の対東アジア政策,とくに対中関係は,戦前に中国勤務経験をもつ,ボルヒやボイェなどが中国での交渉に当たっていた。一方で,1930年代に輸入政策が実施された時期に東アジアに赴任していた大使や公使は,それ以前に東アジアでの勤務経験がなかった。しかも,東アジア通商政策の主導権は経済省や国防省に移っていた。この2つの要素を加味した上で,現地外交官が本国政府の通商政策の策定に対してどの程度影響力をもっていたのか。これは,ドイツの政府内部の東アジア政策の決定過程における現地要因をどのように考えるかという観点にかかわってこよう。

上記の課題として挙げた点は,本書が第一次世界大戦から第二次世界大戦へと至るドイツの東アジア通商政策の全体像を解明したからこそ浮かび上がった問題である。ドイツの東アジア政策を検討する際に,ヨーロッパや東アジアの国際環境からの影響の強さや,ドイツの対中・対日外交および日中両国の対独政策の連動,そして,日中関係の変化といった分析視角の重要性は本書で明らかになった。これらの観点はドイツに限らず,東アジアに関与した当時の欧米列強の政策を考える際にも有効な枠組みであろう。それと同時に,在中・在日のドイツ勢力の本国政府の政策に対する影響力という観点も加えることで,より立体的なドイツの東アジア政策を検討していくことが今後必要ではないかと考える。

文献リスト
  • 工藤章 2021.『20世紀日独経済関係史Ⅰ・Ⅱ』日本経済評論社.
  • 小池求 2015.『20世紀初期の清朝とドイツ――多元的国際環境下の双方向性――』勁草書房.
  • 小池求 2021.「ドイツの対華プレス政策と中国の言論空間をめぐる争い――辛亥革命期を中心に――」熊野直樹・田嶋信雄・工藤章編『ドイツ=東アジア関係史 一八九〇-一九四五――財・人間・情報――』九州大学出版会.
  • 田嶋信雄 2013.『ナチス・ドイツと中国国民政府――一九三三-一九三七――』東京大学出版会.
 
© 2025 日本貿易振興機構アジア経済研究所
feedback
Top