2010 年 9 巻 6 号 p. 359-384
本稿はHDD産業における1980年代から2000年代にかけての東アジア生産ネットワークの形成と最適化のプロセスについて経時的分析を行う。とくにこの間に起きた競争戦略の変化がアジア生産ネットワークの構造にどのような影響を及ぼしたかを明らかにする。HDD業界では、1980年代にPCとの接続部の標準化が進み、HDDユニットのモジュラー化が進んだが、それにともない、東アジアに向けて生産オペレーションが外延的に拡大した。量的拡大とともに業界の寡占化も進み、この間に参入企業の多くは淘汰された。しかし、このような競争は、2000年代に入ると質的な変化を伴いはじめる。いわゆる垂直統合型の企業群と垂直分業型の企業群の間で相互的な寡占競争が展開され、そうした競争のプロセスで、アジア生産ネットワークの合理化と最適化が進んできた。そして、かかる競争の結果として、東アジア地域の生産ネットワークの競争力はより頑健性の高いものとなった。