2013 Volume 2013 Pages 465-496
2009年の連邦下院選挙で会議派は206議席,統一進歩連合(UPA)全体では262議席を獲得したものの,下院の定数545の過半数に達しないため,マンモーハン・シン政権はUPA内外の政党の支持と慎重な政権運営が不可欠であった。しかし,近年,内部の軋轢が目立つようになり,3年目を迎えた第2次UPA政権は懸案となっていた経済改革を押し通すなど一定の成果を上げたものの,求心力の低下が目立った。UPA内で最大の不安定要素はママタ・バネルジー西ベンガル(WB)州首相率いる全インド草の根会議派(AITC)であった。AITCはWB州を中心に貧困大衆の支持を得て勢力を拡大してきた政党であるため,たびたび政府の「反人民」的政策=構造改革に反対してきた経緯があり,改革を進めるうえで大きな政治的障害となっていた。結局,AITCは政府の改革姿勢と対立し9月にUPAと袂を分かつことになる。AITCが離脱することによって構造改革は進んだ。
経済に関しては,2012年のインドは,前年に引き続き成長減速と高いインフレ率に直面し,とくに海外からはスタグフレーション入りを懸念する声も聞かれた。こうしたなか,政府は財政赤字抑制のため,機動的な財政出動を行うことができず,中央銀行はインフレ期待の上方リスクを懸念して4月以降,利下げに踏み切ることができなかった。また,2012年,財政赤字と経常収支赤字は,2011年に引き続き高い水準で推移した。これらはインド経済の脆弱なファンダメンタルズの象徴としてとらえられ,資本流入は年央にかけて減少し,為替レートは対ドルで史上最安値を更新した。ただし,2011年とは異なり,経常収支赤字は資本流入により賄われたため,外貨準備はわずかながら増加する見通しである。また,政策対応の手詰まり感のなか,政府は9月から10月にかけて,懸案となっていた外国直接投資(FDI)による外資出資比率規制の緩和や燃料価格の引き上げなどの経済改革を相次いで発表し,経済を再び成長過程に乗せようと試みている。
対外関係は,2012年は近年でもっとも安定した年であった。アメリカのイラン制裁を巡る圧力,中国との国境を巡る齟齬,あるいは,ロシアとの原子力発電所建設を巡る食い違いなどはあったが,大きな紛争はなかった。パキスタンとも前年からの関係改善が継続しており,貿易品目の拡大やFDIの承認,そしてビザ発給緩和などの経済・貿易面で関係正常化に向けた取り組みが続けられた。
会議派率いるUPA政権の政権運営には近年,さまざまな軋轢が目立つようになってきた。2012年初めの「国家対テロリズム・センター」設立問題もその一例である。これは2008年11月26日のムンバイのテロ事件をふまえて,高度な情報能力を備えた対テロ機関を設置する必要性が認識されたことが背景にある。そのため2012年1月11日に内閣公安委員会は強力な捜査,逮捕権限を持つ「国家対テロリズム・センター」の設立を承認し,内務省が2月6日に設立を発表した。しかし,インドはすでに「情報局」や「調査・分析局」などの情報機関を持つうえに,事件後の2009年には「国家捜査庁」が設立されており,これらに加えて同センターを設立する必要性には疑問が呈された。また,州政府からは州の権限を侵すものとして反対が巻き起こった。シン政権は州政府の理解を得るため4月16日,5月5日に州首相会議を開催するなど理解を求めたが,野党だけでなく会議派の州首相からも反対され,同センター設立の決定は先延ばしされている。
また,鉄道予算における運賃値上げを巡っても混乱が起きた。3月14日に出された2012年度鉄道予算で運賃の値上げが発表されると,AITCのママタ・バネルジーWB州首相が激しい抗議を行った。AITCはUPAの一員で,かつ,鉄道大臣はAITCのD・トリヴェディであったにもかかわらずである。バネルジー州首相が反対したのはAITCが貧困大衆の党として人々にアピールしているからである。結局トリヴェディは辞任に追い込まれ,20日にAITCのM・ロイが新大臣となり,庶民が利用する低クラスの運賃の値上げは撤回された。低クラスの運賃は9年間値上げされていない。
7月には連立政党である民族主義会議派(NCP)の政権離脱騒動が発生した。21日にNCPの党首で連邦閣僚のシャラド・パワル農業および食品加工業大臣とP・パテール重工業・公企業大臣はUPA内で重要な決定においてNCPの意見が十分に尊重されていないとして辞任を表明し,党は閣外からUPAを支持すると発表して会議派を慌てさせた。パワルがこのような行動にでたのは中央での会議派とNCPの間の問題もあるが,マハーラーシュトラ州での会議派・NCP連立政権の運営を巡る軋轢も重要な要因であった。5月に会議派のP・チャヴァン州首相は,州政府が巨額の資金を灌漑プロジェクトに投下してきたにもかかわらず州は旱魃状態にあるとして,長年灌漑行政に携わってきたNCPのアジット・パワル州副首相を暗に批判した。アジット・パワルはシャラド・パワルの甥であり,NCPはこれをNCPへの批判と受け取った。またNCPは,インド中央銀行であるインド準備銀行(RBI)が5月に,マハーラーシュトラ州協同組合銀行の理事会を不適切な経営を理由として解散し,同協同組合銀行を州政府の管理下においたこともNCPに対する攻撃と受け取った。農民を支持基盤とするNCPは,同協同組合銀行に影響力を確保し農民層の要求に応えることで,農民の支持を獲得してきたことから,RBIの動きはNCPの影響力を弱める行為と映ったのである。
これに対して会議派指導部は中央にはUPA全体の,そしてマハーラーシュトラ州には会議派とNCPの調整会議を設けることを提案し,NCPがそれを受け入れたことで5月25日に事態は収拾され,NCPはUPAからの離脱を撤回した。
以上のようにシン政権はUPA内外の支持を取り付け,政権の求心力を維持することに多大の時間を割かざるをえなかった。そのピークが総合小売業へのFDIを巡る混乱とAITCのUPAからの離脱であった。シン政権にとってAITCは大きな足かせであった。上述のように政府はAITCの要求に応じて鉄道予算を部分的にではあるが撤回せざるをえなくなった。また6月18日には,政府の財政赤字を削減するための「財政責任・予算管理法」(FRBM法)で制限されている州政府の市中借入限度枠を,WB州に対しては拡大することを認めた。しかし,政府の重要施策である経済改革がAITCと衝突したとき,政府の譲歩は限界に達した。
7月19日に大統領選挙が行われ,会議派のP・ムカルジー財務大臣が25日に大統領に就任したことを受けて,31日に内閣改造が行われ,P・チダンバランが財務大臣に,S・K・シンデーが内務大臣にそれぞれ就任し,企業問題大臣のM・V・モイリーが電力大臣を兼任することになった。この人事を契機に,2011年末から棚上げされていた経済改革が実施に移されることになった。
総合小売業への外国直接投資(FDI)を巡る政党政治経済構造改革に直面するインドで,今年大きな政治問題となったのは小売業へのFDIに関する規制緩和である。インドの小売り部門の雇用は2000年代中頃で約3500万人と推定されているが,事業者の大部分が小規模かつ伝統的な小売りであり,流通は複雑かつ非効率であるという問題を抱えている。近代的な大規模小売店業者が占める売り上げは全体の数パーセントと推定されている。
このような後進性から中央政府は流通部門の構造改革に取り組んできたが,近年の経済成長の鈍化は改革への大きな圧力となった。2011年11月には,スーパーマーケットのように複数ブランドを扱う総合小売業で51%までFDIの出資比率を認める閣議決定がなされた。しかしこれには,主要野党に加えUPA内のドラヴィダ進歩連盟(DMK)やAITCからも反対が強まり,関連団体も反対運動を激化させた。そのため政府は同年12月5日には改革を棚上げせざるをえなくなった。
事態が再び動き出したのは2012年9月であった。14日には,シン政権は経済の立て直しを目指し大規模な経済改革政策を発表したが,そのなかで総合小売業に対するFDIの上限を51%まで認めることなどを発表した(「経済」の項を参照)。この時期は軽油価格の引き上げ,プロパンガスの供給制限などが重なり,再び広範な反対運動が起きた。同20日には野党勢力は全国でゼネストを組織し,全インド商業者連盟などは決定を撤回するよう訴えた。
なかでも激しい反発を示したのはママタ・バネルジーWB州首相であった。2009年以降UPAに参加しているAITCが反発したのは,貧困大衆の政党としての存在意義からである。同州首相は9月18日にUPAからの離脱を決定し,21日には中央政府からAITC閣僚が辞任し,WB州での連立も解消した。さらにAITCはシン政権に対する不信任案を可決させるため野党を巻き込んでいった。
もっとも,シン政権にとってはこのようなAITCの動きは計算済みであり,AITCの離脱は,かえって改革を進める大きな機会となった。政府は10月4日には保険業や年金部門でさらなる改革を決定した。また,28日には内閣改造を行い,議会で過半数割れという事態を引き起こしかねない動きに対して体制を整えた。
AITCは冬期国会が開始された11月22日に下院に政府不信任案を提出したが,過半数の賛同を得られず否決された。不信任案の再提出は不信任案提出後6カ月間行えないため,当面の政情不安は回避できると思われた。しかし,総合小売業のFDI規制緩和問題はその後も連邦議会を空転させ,政府は議会で審議・票決することを迫る野党の要求を無視することができなくなった。また,最高裁判所がこれに関して関連法規である外国為替管理法の細則の改正,その議会での審議が必要との判断を示したことも,政府が方針変更する要因となった。通常,政府による行政決定は議会の票決に付されないため,これは異例の判断であった。
連邦下院では12月5日に政府のFDI政策の撤回を求める動議が票決に付され,反対253票,賛成218票で否決された。7日には上院でも票決が行われ反対123票,賛成109票でやはり否決された。政府を助けたのはライバル関係にある社会主義党(SP)と大衆社会党(BSP)であった。下院での票決では両政党とも投票直前に退席し,また,上院では,SPは投票直前に退席し,BSPの15議員は反対に加わり,両院とも政府が過半数の反対票を確保することを助けた。
両党とも政府のFDIへの門戸開放政策には反対を表明しているにもかかわらず,政府を助けたのは,両党が地盤とするウッタル・プラデーシュ(UP)州で会議派の影響力が低下したため会議派を助けることが自党のダメージにつながらないからであった。その一方で,否決動議に賛同するインド人民党(BJP)と歩調を合わせればBJPがヒンドゥー民族主義を掲げていることからムスリムなど重要な支持基盤の反発を招く可能性があり,安易に否決動議に同調できなかった。また,規制緩和がされたとしても,各州政府は総合小売業に対するFDI政策を受け入れるか否かの決定権を持ち,さらに,FDIは一定割合をインフラ整備にあてることなどの条件が課されていることも政策が受け入れられる要因となった。
9月の政策発表と同時に総合小売業へFDI参入を認めたのは,会議派の政権担当州およびジャンムー・カシミール州,ダマン,ディウ,ダドラ・ナガル・ハヴェリであった。それに加えてBJP政権のヒマーチャル・プラデーシュ州,グジャラート州も賛意を表明した。一方,AITCのWB州や全インド・アンナ・ドラヴィダ進歩連盟が政権につくタミル・ナードゥ(TN)州は反対を表明した。
総合小売業へのFDIの開放にはさまざまな制約があり,急激な影響はないかもしれないが,長期的には零細小売部門に大きな打撃となりうる。改革で成長率が持ち直さなければ,それはUPA政権への不満となってはね返るであろう。
州議会選挙2012年には州議会選挙が7つの州で行われた。結果は表1のとおりである。
(出所) インド選挙委員会のデータ(http://eci.nic.in/)などから筆者作成。
前半には,マニプル州で1月28日,パンジャーブ州とウッタラカンド州で1月30日,UP州では2月8日から3月3日まで7日に分けて,そしてゴア州では3月3日に投票が行われた。開票は3月6日にまとめて行われた。
注目されたのはUP州であった。UP州は人口約1億9000万人(2011年センサス)のインド最大の州で,その趨勢は中央政界にも影響を及ぼすからである。近年UP州では会議派,BJPともに影響力が低下し,SPとBSP が有力となった。今回の選挙では2007年に単独過半数を制したクマーリー・マヤワティ率いるBSPが再選されるかどうかが注目された。BSPは社会の最底辺にある「ダリット」(被抑圧民)と呼ばれる社会的弱者層を主な支持基盤とする政党で,ダリット重視の政策が特徴であった。たとえば2010年1月には,年間所得で定められた貧困線以下の世帯に対して月300ルピーを支援する州独自の事業を開始した。またダリット解放運動の先達であるアンベードカル(1891~1956年)の像や巨大なモニュメントを建設しダリットの威信高揚を目指した。しかしそれは賛否両論を呼んだ。一方でBSP州政権は,マヤワティ州首相の巨額な個人資産に疑惑の目が向けられるなど,スキャンダルがついてまわった。
選挙は,マヤワティ政権の腐敗を追及しムスリムへの留保制度の設立や学生の支援など迎合主義的政策を掲げたSPが,ヤーダヴ・カーストやムスリムを中心に幅広い支持を得て単独過半数を獲得した。得票率は2007年から2012年にかけてSPは25.4%から29.1%へ,BSPは30.4%から25.9%へ変化したにすぎなかったが,小選挙区制をとるため議席数の大きな変動につながった。会議派はUP州西部で影響力を持つラーシュートリア・ローク・ダル(RLD)と選挙協力を組み,ソニア・ガンディー総裁の長男であるラーフール・ガンディーを先頭に立てて党勢回復を目指したが成功しなかった。3月15日にSPのアキレーシュ・ヤーダヴが38歳の若さで州首相に就任した(データの出所はインド選挙委員会。以下同様)。
パンジャーブ州では前回と同じく,シロマニ・アカリー・ダル(SAD)とBJPが連合を組み,会議派に対峙した。与党のSAD=BJP連合は政府の開発実績を強調するとともに学生の支援など迎合主義的政策を掲げ支持を求めた。会議派も農業用電力の無料供給の継続,貧困層への食糧穀物供給における補助金増額などを掲げて支持を訴えた。投票率は78.2%と過去最高を記録した。得票率は前回2007年とほとんど変化がなく,SADが34.7%,BJPが7.2%で計41.9%,会議派が40.1%と僅差であった。3月14日にはSADのP・S・バダルを州首相とするSAD=BJPの連合政権が成立した。
一方,ゴア州ではBJPとマハーラシュトラワディー・ゴア党が連合を組み,それぞれ21議席,3議席を獲得し与党会議派を破って,3月9日にBJPのM・パッリカルが州首相に就任した。また,ウッタラカンド州では会議派が32議席で第1党となったが過半数に届かず,無所属やBSP議員の支持を得て政権発足にこぎつけ,3月13日に会議派のV・バフグナが州首相に就任した。マニプル州では与党会議派が42議席を得て圧勝し,3月14日にO・イボビが州首相に就任した。
2012年の後半にはヒマーチャル・プラデーシュ州で11月4日,グジャラート州では12月13,17日に投票が行われ,12月20日にまとめて開票された。
グジャラート州は,中断はあったが,BJPが1995年から政権についており,2001年からはN・モディが州首相を務めている。野党の分裂やモディ州首相の人気からBJPの勝利は予想されていたが,「大勝」できるか注目された。モディは次回連邦下院選挙でBJP連合が勝利した時は連邦首相に推される可能性があるからである。しかし,モディはBJPと密接な関係にあり,ヒンドゥー民族主義を掲げる民族奉仕団(RSS) 出身で,RSSの関連団体がかかわり1000人を超える死者を出した2002年の宗派暴動時の州首相でもあった。そのため事件への関与,責任が常に問題となってきた。たとえば,2月8日にグジャラート高裁は当時のモディ政権の無為無策を批判した。最高裁が任命した特別調査チームは2月9日に,モディ州首相が事件に直接関与した証拠はないとする報告書を提出したが,他方,8月31日に特別法廷が当時のモディ内閣で女性・児童開発大臣を務めたM・コドナニに28年の実刑判決を言い渡したことは,モディ政権の汚点となった。
選挙ではモディ政権は開発や福祉政策の実績を強調し支持を訴え,会議派は開発に加えて人々の安全保障を掲げて支持を訴えた。得票率はBJPが47.9%,会議派が38.9%で,BJPが勝利を収め,12月25日にモディが州首相に就任した。
一方,ヒマーチャル・プラデーシュ州では会議派が過半数の36議席を確保しV・シンが12月25日に州首相に就任した。
アッサム州のエスニック紛争アッサム州の「ボドランド領域県」(BTAD)では7月に入りボド部族民とベンガル語を話すムスリム住民の間で大規模な暴力事件が起こり48万人以上の避難民が発生し,11月までに100人を超す犠牲者が出た。
先住民とされるボドはアッサム州西部の平野部に住み州人口の約5%を占める指定部族(後進的とされ憲法上優遇措置の対象)である。ボド居住地域は植民地期からベンガルのムスリムや他民族が流入してきた歴史があり,そのため民族紛争がしばしば起こっていた。とりわけ流入してきたムスリム住民とは土地などを巡って対立があり,近年では1987年以降,たびたび暴力事件が起こっていた。このような背景からボド民族の「自治」を求める運動が過激化し,襲撃事件,警察や治安部隊との衝突などが頻発するようになった。「ボド解放の虎」(BLT,1996年設立)は過激派のなかでももっとも有力な組織であった。
事態の収拾のために取り決められたのが,2003年に中央政府,アッサム州政府,BLTの間で結ばれた協定であった。同協定に基づき憲法改正が行われ「ボドランド領域協議会」が設立され,州西部でブラフマプトラ川北部のコクラジャール,バクサ,チラング,ウダルグリ県にまたがるBTADが設立された。BTADの選挙は2005年に行われた。しかし,BTAD内でボド民族の人口は3割にも満たず,ボド以外の諸民族はBTADに必ずしも賛成していない。また「州」設立を目指して武力闘争を捨てない「ボドランド民族民主戦線」などのグループもおり,事態は近年に至るまで収束にはほど遠い状況が続いている。
2012年に入っても不安定な状況が続き,5月7日には40以上の関連団体からなる「ボドランド運動人民共闘委員会」が自治州設立,および政府と過激派の対話を求め,8日にBTAD地域でゼネストを行い,また,6月8日には列車を止める運動を展開した。7月6日にはベンガル語を話すムスリム住民が襲撃され2人が死亡した。一方,7月20日にはBLTのメンバー4人が殺害される事件が起こり,ボドとムスリム住民の間には緊張が高まった。このような事件の連鎖が翌21日から始まる大規模な衝突につながった。
7月21日にアッサム州のBTADのコクラジャール県でボド民族とムスリム住民の間で衝突が起き,8人が死亡した。州政府は外出禁止令を出し,事態の収拾を図ったが,紛争は拡大し,両者の襲撃により27日までに死者は45人に達し,数十万人が避難民となった。避難民の多くはムスリムといわれる。紛争は州政府の手に負えず,そのため24日には軍が投入され,8月上旬には事態は収束に向かった。8月14日には避難民の帰還が開始されている。しかし事態の完全な収束はならず,暴力事件がその後も散発的に起こっている。たとえば11月14日にはコクラジャール県で銃撃事件が起こり2人が死亡し,再び軍の出動が要請された。
今回の事件については,ボドおよびムスリム指導者から,ある意味で一致する評価が下されている。ボド指導者は,事件はボドに正当に属するものを取り戻すため起きたと暗に事件を正当化した。ボドランド領域協議会の副議長K・ボルゴイリは,今回の事件でBTADの南に行ったムスリムは帰還すべきでなく,避難した土地に移るべきと発言した。一方,「全アッサム・ムスリム学生ユニオン」議長は事件を,ボド以外の住民を迫害しBTADから追い出すための「虐殺」であると非難した。すなわち,立場は180度違うが,双方ともBTAD内からムスリム住民を排除することが事件の核心であると評価したのである。
暴力の拡大を阻止できなかった州政府は厳しく非難された。たとえば,BTADで起こる暴力事件に対して,従来から州政府は準軍隊の増員など十分な防止措置をとってこなかったと指摘された。また野党BJPは事件後調査チームを派遣したが,州政府が迅速に対応をしていれば事件の深刻化は防げたと批判した。迅速な対応ができなかった理由としてBJPが指摘したのは,選挙政治の影響であった。アッサム州は2011年4月の選挙でT・ゴゴイ率いる与党会議派が勝利しているが,重要な勝因のひとつは,BLTが主体となってできた政党である「ボドランド人民戦線」との選挙協力があったことである。また伝統的に会議派はムスリム住民も重要な支持基盤としていることから,会議派州政権は敵対する双方を支持基盤としていることになり,これが効果的な対応を妨げたと非難したのである。
この事件の余波は他州にも広がった。8月13日にはマハーラーシュトラ州プネーで北東部の学生が襲撃される事件が発生した。またカルナータカ州バンガロールでは北東部出身者が襲撃されるとの噂から,同地域出身者の間でパニックが広がり,そのため特別列車が用意され8月15日から17日にかけて約2万4000人の北東部出身者がバンガロールから脱出し,アッサム州などへ帰郷する事態となった。政府は噂を否定し,無責任な噂が広まるのを防ぐため,一時に大量のショートメッセージサービス(SMS)を送信することを禁止した。
頻発する女性への性犯罪デリーでは12月16日夜にバスに乗車中の女子学生が6人の男性から性的暴行を受ける事件が起こった。女性は救命のためシンガポールに移送されたが29日に死亡した。この残虐な事件を契機として女性への性犯罪に対する抗議と罰則強化を求める運動が広まった。18日には連邦議会で強い非難の声が上がり,19日以降,デリーでは女性団体などを中心に学生,市民を巻き込み数千人の大規模なデモが起こった。デモは22日から23日にかけて警官隊と衝突した。またメディアもこの事件をきっかけに女性,とくに社会的弱者層の女性の性的被害を積極的に報道するようになる。インドでは女性への性犯罪が相当な数に上っており,たとえば2011年には政府の公式統計でも2万4206人がレイプ被害に遭ったとされる。
政府は世論に押される形で元最高裁長官J・S・ヴェルマを委員長とする3人委員会を24日に設置し,女性への性犯罪に対する厳罰化,スピーディーな判決などを実現するために刑法等の関連法規の改正案を検討させた。同委員会は2013年1月23日に報告書を内務省に提出した。報告書はレイプに対する懲役を最低20年とするなど厳罰化の方向に沿った刑法等の改正を勧告した。
(近藤)
2012/13年度(4~3月)はインドにとって経済成長が大幅に減速した1年となった。2012/13年度の成長鈍化は,農業,鉱工業,サービス業のすべての主要部門の成長減速により生じた。とくに,サービス業部門は経済全体を超える6.6%の成長率を示したものの,前年度の8.2%から大幅に減速し,2012/13年度の実質GDP成長率低下の7割近くを説明するなど,成長低下の主要な原因となった(表2参照)。なおサービス業では地域・社会・個人向けサービスが成長率を高める一方,金融・保険・不動産や商業・ホテル・運輸・通信などこれまでインドの高成長を牽引したサービス部門がいずれも低い成長を示した。
(注) 1)2004/05年度を基準年とする要素価格に基づき算出。
2)表中のカッコ内の数値は寄与率を示している。
(出所) インド統計・事業実施省中央統計局(CSO)のプレスノートに基づき作成。
農業については2012年6,7月のモンスーン不足により7月の作付けが遅れ,夏作(カリフ)の穀物生産にマイナスの影響を与えた。その後8,9月になり,良好な降雨により土壌と貯水環境は改善され,冬作(ラビ)の穀物生産の見通しも改善されている。しかし,夏作穀物の減少は回復していないため,農業は全体として経済成長を引き下げる可能性がある。また,鉱工業は前年度に続き低い成長にとどまり,なかでも製造業の成長率は1%台まで低下した。製造業の成長鈍化は,国内の投資活動の停滞により機械・装置,電機,そしてコンピュータ機械などの資本財生産が縮小したことや消費需要の低迷が自動車,食料品,アパレルなどの各産業にマイナスの影響を与えたことが背景にある。
実質GDP成長率を支出面からみた場合でも,消費,投資,外需の主要な構成要素の成長率はいずれも前年度に比べて減速していることがわかる。消費の成長率低下は高止まりしたインフレ率と低い所得増加によるものであり,投資は高い利子率,政策・行政の不確実性,そして土地収用や環境クリアランス取得の遅れなどプロジェクト実施に対するさまざまな障壁の影響を受けた。また,外需は欧州を中心とする世界需要の不振を反映し,製品輸出は5月から11月にかけて前年同時期の水準を下回って推移した。
政府・財務省と中央銀行は第12次5カ年計画の初年度にあたる2012/13年度の成長率を年度当初7%台と予測していた。しかし,この見通しは年央以降,段階的に下方修正され,直近では,政府は5.7~5.9%,中央銀行は5.5%を予測している。2012/13年度の成長率は本章執筆時点(2013年2月中旬)では確定していないが,おそらく政策当局が予測する5%台になることが予想され,2012/13年度は2002/03年度以来の低成長になることがほぼ確実となっている。
成長減速下での財政健全化の動きこのように2012/13年度,インド経済は大幅な減速を示したが,政府はリーマン・ショック後に発動したような大規模な財政支出の拡大に踏み切ることはなかった。その背景には中央政府の財政赤字の拡大がある。インドでは2004年7月に発効したFRBM法により,政府の財政赤字を中期的に削減し,健全化させることが法律で規定されており,実際に2008/09年度の予算編成時まで財政赤字の対GDP比はFRBM法で示された目標に沿って着実に低下していた。しかし,2008年上半期に発生した国際商品価格の急速な上昇や2008年下半期に起こった世界的金融危機の影響を緩和するために,インド政府は2008年末以降,FRBM法を一時的に棚上げにして積極的に財政支出を拡大した。その結果,景気は回復したが,増額された食料,肥料,そして石油製品に対する補助金はその後も維持されることになり,近年の財政赤字を拡大させる一因になっている。
政府・財務省は2012/13年度の財政赤字について,年度当初,対GDP比5.1%に抑制すると発表していたが,補助金をはじめとする歳出が予想以上に拡大したことに加えて,4000億ルピーの収入を見込んだ第2世代携帯電話周波数帯の入札や3000億ルピー規模の国営企業の株式売却などの歳入計画が予定どおり進まなかったため,2012年10月,財政赤字目標を5.3%に修正した。財務省は計画・非計画支出を問わず歳出抑制を図っているが,財政赤字の目標達成は困難であるという見方が広がっている。また,10月の2012/13年度の財政赤字目標の改定とあわせて,財務省は財政再建の必要性を勧告した「財政健全化のための工程表に関する委員会」(委員長:V・L・ケルカル)の報告に従い,中期的な財政健全化の工程表を発表した。これによると,政府は財政赤字をまず2013/14年度にGDPの4.8%まで削減し,その後,毎年0.6%ずつ引き下げて,第12次5カ年計画最終年度の2016/17年度には対GDP比3.0%にすることを計画している。このため,政府がこの工程表を順守する限り,インドでは今後数年間,景気を刺激する目的での大幅な財政出動の余地は非常に限られることが予想される。
比較的高い水準で推移したインフレ率インドの代表的な物価指数である卸売物価指数(WPI)で測った2012年のインフレ率は,前年同月比で年平均7.5%となり,年末にかけて幾分低下傾向がみられたものの,年間を通じて7.2%(12月)から8.1%(9月)の高い水準で推移した。2010年と2011年についても年平均WPIインフレ率はそれぞれ9.6%と9.5%であったことから,3年連続して比較的高いインフレ率が続いたことになる。前述のように減速する経済成長のなかでのインフレの高進により,とくに海外の投資家や格付け会社からは,インド経済はスタグフレーションに入っている,もしくはその状態に入りつつあるという声が聞かれた。
2012年,インフレ率を引き上げた主な要因は,ほぼ1年を通じた食料品の価格上昇にあった。図1はWPIとその主要な構成項目の変化率を示している。この図からは食料品価格が年初以降,急速に上昇したことがわかる。実際,各項目の寄与率を計算すると,食料品価格の上昇が物価上昇全体の4割から5割を説明しており,WPIでもっとも大きなウェイトを占める非食料製造品の価格上昇(いわゆるコアインフレ)の寄与率(30.0%以下)を上回っている。2012年の食料品の価格上昇は穀物や豆類など主要な食料品の多くの品目でみられ,6月から7月にかけての降水量不足の影響を受けたと考えられている。その他,WPIインフレ率は9月に年間でもっとも高い水準になったが,これは政府による9月13日の軽油価格の引き上げが燃料・電力価格の上昇を通じて影響した結果である。
(注) 1)2004/05年度を基準年としている。
2)各主要構成項目のカッコ内の数値はWPIに占めるウェイトを示している。
(出所) インド商工業省経済諮問室(OEA)のウェブサイト(http://www.eaindustry.nic.in/)のデータに基づき作成。
このように高止まりする物価環境にもかかわらず,インド準備銀行(中央銀行,RBI)は現金準備率(CRR)の引き下げにより市中に流動性を供給する一方,政策利率であるレポ・レートについては3年ぶりに2012年4月に1度,0.5%引き下げただけにとどまり,2012年はそれ以上の利下げを行うことはなかった(図2参照)。中央銀行が利下げを行わなかった理由としては,足元のインフレ率が中央銀行の理想的な目標水準と考える4.0~4.5%を上回っており,インフレリスクが依然として残っていたことに加えて,金融緩和に先立ち政府が補助金の抑制などを通じて財政赤字を削減し,財政再建の道筋を示す必要があるとの認識があった。また,需要サイドを示す非食料製造品の価格上昇が5.0%程度と比較的低い水準で安定していたことや,食料品価格の上昇が人々の所得上昇に伴う嗜好の変化やインフラの未整備による供給制約など,金融政策では対処できない要因の影響も受けて生じているという認識もRBIの金融政策運営に影響を与えた。
(出所) RBIのプレスリリースに基づき作成。
RBIは物価安定と経済成長の促進を金融政策の主要な目標としているが,2011年以降,短期的な成長を犠牲にしてでもインフレ率を引き下げ,インフレ期待を低い水準に抑えることを金融政策の最優先事項としており,この方針は2012年も基本的に踏襲された。ただし,成長率の低下が景気の減速傾向をいっそう鮮明にするなか,経済成長よりインフレ引き下げを重視する金融当局の姿勢に対しては,政府・財務省や産業界から批判が多く寄せられた。2012年12月18日の金融政策レビューのなかで,スバラオRBI総裁は,2012/13年度第4四半期(2013年1~3月)にはインフレ率が低下傾向に入ると予測しており,2013年以降の金融緩和の可能性を示唆し,実際に2013年1月,前年4月以来の政策利率の引き下げに踏み切った。しかし,中央銀行がさらなる利下げの前提条件のひとつにあげている財政赤字削減の前途は厳しく,また前述のインフレ高進を引き起こす供給サイドの要因はいずれも解決に時間を要すると考えられる。このため,中央銀行は,景気減速に配慮しつつも,引き続きインフレ抑制と経済成長の促進という政策目標のバランスをとる政策運営を行うことが予想される。
最安値を更新した為替レート2012年,インドの通貨ルピーは,主要通貨ドルに対して大幅に減価するなど,大きな変動を示した。ルピーは2010年10月以降,1ドル=約44ルピーの水準で推移していたが,2011年8月から減価傾向を示しはじめた。12月中旬から2012年2月にかけて短期間調整された後,ルピーの減価傾向は再び強まり,6月22日には一時,1ドル=57.33ルピーとなり,史上最安値を更新した(この日の終値は1ドル=57.16ルピー)。
インドの為替政策を担うRBIはこの時期,「特定の為替レート目標を持つことなく,必要に応じて必要な時に過度な為替変動を抑えるために介入する」という従来からの為替介入の方針を繰り返し表明し,過度な為替減価に対しては直接的に,もしくは国営商業銀行を通じて間接的にドル売り,ルピー買い介入を実施した。また,RBIは5月から6月にかけて,非居住者外貨預金の金利上限の緩和や外貨建て輸出信用の金利規制の緩和(5月4日),輸出業者に対して保有する外貨預金口座残高の半分をルピー建てに交換することを求める通達の発出(5月10日),非居住者によるインド向け送金の規制緩和(6月8日),指定銀行の輸出信用リファイナンスファシリティーの上限引き上げ(6月18日),政府債券に対する外国投資の上限引き上げ(6月25日)など,いっそうの為替減価を回避するために資本流入を促進するさまざまな政策措置を相次いで講じた。その後,ルピー相場は9月に入りやや反転したものの,10月には再び減価傾向に転じて,年間最高値であった2月6日の1ドル=48.679ルピーに比べて約13%減価して2012年を終えた。
為替レート減価の背景とその影響2012年の為替レートの変動,とりわけ大幅な減価をもたらした主要な原因としては,外国資本フローの影響が指摘される。国際的な資本フローは2010年以降顕在化したギリシャをはじめとするユーロ圏諸国の債務危機問題により,新興国リスクに敏感になっていた。そうしたなか,2012/13年度の連邦予算のなかで発表された一般的租税回避防止規定(GAAR)の導入や所得税の長期的遡及措置の方針は,外国投資家のインド政府に対する不信感を高めることにつながった。また,2011年から続くインフレの高進や経済成長の減速とともに,予算編成時の予測を大幅に上回った2011/12年度の財政赤字と名目GDP比4.2%という史上最高水準を記録した経常収支赤字は,外国投資家にとってインド経済のファンダメンタルズ悪化としてとらえられた。こうした諸要因が重なり,FDIなどの資本流入は減少し,ポートフォリオ投資に至っては2012年3月から6月にかけてネットで流出となり,その結果,ルピーの急速な下落につながったと考えられる。
ルピーの大幅な減価は,マクロ経済にいくつかの影響を及ぼしており,なかでももっとも顕著な影響のひとつは石油の輸入価格上昇に伴う財政赤字拡大の懸念の高まりにみられた。軽油,灯油,プロパンガスなどの石油関連商品は国内で販売される際の管理価格が市場価格に比べて低く抑えられており,国営石油販売各社は管理価格と市場価格の相違から生じた損失を中央政府と石油ガス公社からの補助金で埋め合わせている。このうち,2011/12年度の政府の石油補助金は6848億ルピー(予算編成時点では2364億ルピー)であり,2012/13年度についても4358億ルピーが計上された。しかし,為替レートの減価は輸入価格の上昇を通じて国営石油販売各社の損失を予想以上に拡大させ,これを補填するための石油補助金の増額は財政赤字のいっそうの拡大につながる圧力となった。
こうした影響に加えて,為替レートの減価は上記の石油関連商品のような管理価格品目以外の輸入価格も上昇させ,国内価格への転嫁を通じて,2012年のインフレ率上昇の一因にもなった。
その一方,為替レートの減価は通常,輸出価格の低下と輸入価格の上昇を通じて,貿易赤字を減少させる(もしくは貿易黒字を増加させる)効果を持つが,こうした効果は2012年のインドではほとんどみられなかった。その背景には,外国の景気後退により輸出が増加しない半面,石油や金などの価格非弾力的な品目の輸入が増加したこと,そしてインドの輸出産業は生産要素の輸入に大きく依存しているため,為替レートの減価が生産コストの上昇を通じて価格競争力を低下させ,輸出にマイナスの影響を与えたことが考えられる(Business Standard, 2012年1月23日付)。結局,2012年4~12月にかけての貿易赤字は1519億ドルになり,為替レートの減価にもかかわらず,赤字幅は前年同時期に比べてむしろ増加した(前年同時期は1371億ドル)。ルピーの実質実効為替レートは名目為替レートの減価により,2011年央以降,減価傾向を示したが,中期的には一定の水準に回帰しており,この点でも今回の名目レートの減価が対外競争力を大幅に改善することはなかったと考えられる。
動き出した経済改革政府は,2012年,懸案事項であった「構造改革」の実施に着手した。前述のように,2011年11月24日,政府はFDIによる総合小売業への51%までの出資と単一ブランド小売業への投資の51%から100%への引き上げを決定したが,連立与党の一部や野党,流通業者協会などの関係団体からの強い反対にあい,総合小売業に関する決定は棚上げにされた。こうした動きは,とりわけ外国の投資家を中心に,インドの規制緩和を柱とする構造改革遅延の象徴として受け止められ,欧米の有力な格付け会社が一様にインドの成長見通しについて厳しい評価を下す一因になった。
こうしたなか,経済成長の減速や資本流入の減少などに後押しされる形で,政府は2012年に入り,FDIの拡大や財政赤字の削減を促す構造改革の実施を相次いで決定した。はじめに,1月10日,単一ブランド小売業へのFDIの100%の出資を承認する通達が出された。その後,インド経済の停滞感の払拭を試みる動きは,9月13日の石油関連製品の補助金制限から本格的に開始された。ここでは,軽油価格が2011年6月以来1年4カ月ぶりに1リットル当たり5ルピー引き上げられるとともに,プロパンガスの補助金支給対象を1世帯当たり年間14.2キログラムのシリンダー6本に制限することが決められた(その後,プロパンガスの補助金支給対象は年間9シリンダーに引き上げられた)。この一連の決定は国営石油販売各社の損失拡大を抑え,損失を補填する政府の燃料補助金の削減を通じて財政赤字の拡大を抑制すること,そして価格引き上げを通じて石油需要を低下させ,輸入額を減少させるねらいがあった。
さらに,9月14日には2011年末以降棚上げにされていた総合小売業に加えて,民間航空業(外国航空会社も含めて49%まで),放送業(74%まで),電力取引所(FDIを通じて26%まで,外国機関投資を通じて23%まで)へのFDIの出資比率引き上げが発表され,10月4日には保険業に対するFDIの出資比率引き上げ(26%から49%)と年金の外資開放が閣議決定された。FDIの出資比率引き上げは構造改革が前進しているという印象を国内外に示すとともに,2011/12年度に過去最大になったものの,2012/13年度に入り減速したFDIの流入を回復させ,外国の資本と技術を活用することで財務状況に余裕がない各部門の近代化を促進するという目的が背景にあった。
上記のような一連の構造改革,とりわけ外資出資規制の緩和は,インドにおける1991年以来の大規模な経済自由化の動きとして,国内外の投資家からは歓迎された。しかしその一方,政党間での駆け引きや関連団体の反発により,その実行可能性について疑問視する声もあり,たとえ円滑に実施されたとしても経済成長に結び付くまでには時間がかかるという見方もある。
銀行規制法の改正と銀行の新規認可に向けた動き2012年12月,銀行規制改正法案が上下両院で可決されたことで,インドでは商業銀行の新規設立認可に向けた動きが加速している。2010年2月,当時のムカルジー財務大臣(現大統領)が予算演説のなかで,企業や財閥も申請すれば銀行新設を認可されることになるだろうという方針を示して以降,この問題を所管するRBIは銀行新設に向けたガイドライン作りを開始した。RBIは2010年8月,民間部門における銀行の新規参入に関するディスカッションペーパーを公表し,その後2011年8月,民間部門における新銀行設立認可のガイドライン案を発表し,2012年7月にはガイドライン案に対して寄せられたコメント要旨を公表していた。
2012年7月,財務大臣に就任したチダンバランもこの問題には積極的であり,RBIに対して銀行新設の最終的なガイドラインを作成し,認可申請の受付を開始することを盛んに求めた。これに対して,RBIはガイドライン作成や申請受付の前に,銀行規制法の改正が国会で承認されることが必要であると主張していた。今回,銀行規制法が改正されたことで財閥による銀行業参入が容易になる一方,RBIには預金者利益や適切な経営を保証するために一定期間,取締役会に代わる強い監督権限が与えられることになった。また,民間銀行における投資家の議決権が10%から26%に引き上げられることになったため,銀行業に対するFDIが今後いっそう増加することが期待されている。
(井上)
対米関係はおおむね良好であったが,イランに対して制裁を継続するアメリカにどう対処するかという点は問題となった。アメリカはイランが核兵器開発を秘密裏に行っているとして対イラン制裁を主導してきた。オバマ政権は,2010年7月にイランと金融サービスや石油製品を取り引きする企業への制裁を柱とする包括的イラン制裁法を成立させた。また2011年以降,イランと石油製品を取り引きをしたり,金融関係を持つ企業や銀行がアメリカで事業を行うことを制限する制裁措置を相次いで定めた。これらの措置に基づいてアメリカは各国に制裁に同調するよう求めてきた。
これに対して,インドは2012年1月26日に石油・天然ガス大臣J・S・レッディーが,インドはイランからの石油輸入については国連の制裁には従うが,アメリカなどの要求には同調しないと述べ独自路線を強調した。また3月28日に,デリーで開催されたBRICS(ブラジル,ロシア,インド,中国,南アフリカ)首脳会議に先立ちBRICSの貿易担当大臣会合が行われたが,BRICSはアメリカとEUが科しているイランへの制裁措置に同調しないことを確認した。
しかし,ヒラリー・クリントン米国務長官が来訪し,5月7日にシン首相と会談しイラン制裁への同調を求めた後,インドの政策には明らかな変化が生じた。すなわち,5月15日にはインド政府は2012年度のイランからの原油輸入量を前年度比で11%削減する方針を明らかにした。政府はリスクを減らすため輸入国の分散化を行ったと釈明したがアメリカの圧力は明らかであった。インドはイランからの輸入削減を相殺するため5月18日にUAEと石油輸入に関する協議に入ったが,5月23日には石油価格の大幅値上げを発表せざるをえなかった。クリントン米国務長官は6月11日には,イラン原油の輸入を大幅削減したインドなどに対して制裁措置を今後180日間は適用しないと発表した。アメリカへの同調姿勢は,たとえば,7月27日にアメリカが制裁を科したイランのタンカーがインドに入港することを拒否したことにも示されている。アメリカは12月7日に制裁をさらに180日間適用除外することを発表した。
しかし,インドは,一方でイランとの関係を良好に維持しようとしていることも明らかである。イランは石油供給源として,アフガニスタンや中央アジア諸国への通路として,あるいは地域大国として無視できないからである。非同盟諸国首脳会議でテヘランを訪問したシン首相は, 8月29日にアフマディネジャド大統領などと会談し,貿易の拡大や,2014年に予定されているアメリカのアフガニスタンからの撤退後に両国が協力して果たしうる役割などについて協議を行った。
中国,ロシア,日本との関係中国との関係は比較的安定して推移した。3月1日にインドは来訪中の楊潔箎外務大臣と海賊対策や大陸棚調査に関して協力を進めることで合意し,3月5日には,1月に設置が決められた「インド・中国国境問題協議調整作業メカニズム」の初会合が北京で建設的な雰囲気のなかで行われた。インドが4月19日に中国全土を射程におく核搭載可能な大陸間弾道ミサイル,アグニVの発射実験に初めて成功したことに対しても中国から目立った反応はなかった。9月3日には来訪中の梁光烈国防大臣が,中国はパキスタンが実効支配するカシミール(POK)で中国人を建設工事などに派遣したことはないと説明し理解を求めている。中国が,アルナーチャル・プラデーシュ州や中国が実効支配するカシミール地方のアクサイチンを領土に含める図案をパスポートに印刷していることに対抗して,インド政府は11月23日からインドが主張する領土のスタンプを押印したビザを中国で発給しはじめるという軋轢はあった。しかし,経済関係の深化は順調に進み,11月26日にはデリーで第2回インド・中国戦略経済対話が開催され,投資と貿易を促進するための11の覚書が締結された。
ロシアとは,旧ソ連時代から軍事的に密接な関係にあることを反映し,緊密な兵器取引関係が続いている。インドは10月18日にT-90戦車搭載ミサイル1万基,巡航ミサイル,ブラモス200基以上をロシアから購入することを決定し,また12月11日にロシアから戦闘機MiG-29の引き渡しを受けた。
しかし,ロシアがTN州に建設するクダンクラム原発3,4号機を巡って問題が生じた。原発を運転することになるインド原子力発電公社は,欠陥設備が原因となって事故が起こった場合,その責任を負わないと政府に要求していることが8月に明らかになった。そのため,反原発運動が活発化していることもあり,政府は2010年の原子力賠償責任法を適用して事故の際には設置企業側にも責任を負わせる条項の適用をロシアにも求めた。しかし,2008年の政府間合意ではそのような条項は同意されていないためロシア側は反発し,協議が続けられている。また,年次首脳会議でプーチン大統領が来訪中の12月24日に,2000億ルピーの軍事関連契約など10の協定が両国間で合意され,両国およびベラルーシ,カザフスタンを含む包括的経済パートナーシップ協定に向けての話し合いを行うことが合意された。しかし,クダンクラム原発3,4号機の問題は解決には至らなかった。
日本との関係は2011年8月に「日本インド包括的経済連携協定」が発効したこともあり,順調に推移した。2012年4月30日に第1回日印閣僚級経済対話がデリーで開催され,日本へのレアアースの輸出,鉄道,インフラ整備,省エネなどで関係を強化することで合意した。10月30日にはデリーでインド,アメリカ,日本の間で海上防衛協力に関する協議が行われた。またASEAN関連首脳会議に出席するためにプノンペンを訪れた日印首脳は高速鉄道,「デリー・ムンバイ間産業大動脈構想」(DMIC),海上安全保障などについて協力方針を確認した。しかし,日本の総選挙で年末に予定されていた年次首脳会合は延期された。
(近藤)
パキスタンとの関係パキスタンとは関係改善が順調に進んだ。政治交流も比較的順調に推移し,2月21日には連邦下院議長メイラ・クマールを団長とする議員団がパキスタンを訪問した。また核安全保障サミットに出席するためソウルを訪問中のシン首相は3月27日にパキスタンのギーラーニー首相と会談した。4月8日にはザルダーリー大統領はデリーでシン首相と会談し,両国間にはさまざまな問題があるが貿易はそれらの問題と切り離して発展させうると述べた。両国は6月11日から係争地であるヒマラヤのシアチェン地域の軍事的対立を緩和するため,イスラマバードで国防省事務次官会議を開催し,打開策を探った。また7月4日からデリーで外務次官級会議が開催されテロ問題などについて協議が行われた。これらの会議では大きな進展はなかったが対話の継続は信頼関係構築の重要な一環となっている。
両国間の緊張を高めかねない出来事は散発的に起こった。たとえば10月1日には国連総会で両国はカシミール紛争を巡って非難を応酬した。しかし,11日にパキスタン外務省は,国連総会での対立は両国間の対話に影響しないとの談話を発した。カシミール問題など両国間に横たわる構造的問題には解決の糸口はないが,政府間の信頼関係構築は続いている。
経済面では,2011年から始まった経済・貿易関係改善の兆しは,2012年,さらなる進展をみせた。2011年4月28日,インド・パキスタン両国の商務次官は貿易関係の促進,ビジネス・ビザ発給基準の緩和,そして石油商品の貿易拡大などを目指す共同声明を発表し,11月2日,パキスタン政府がインドに対する最恵国待遇の付与を承認した(最恵国待遇の付与はその後,撤回され,インドとの「貿易正常化」の原則的承認が与えられた)。
こうした流れを引き継ぎ,2012年2月29日,パキスタン政府はインドとの貿易に関して,輸入可能な品目を規定するポジティブリスト方式から輸入不可能な品目を規定するネガティブリスト方式への転換を表明し,3月20日には1209品目のネガティブリストを通知した。インド政府も8月1日,国防,宇宙,原子力以外の分野について政府ルートでのパキスタンからのFDIの受け入れを初めて公式に容認した。また,両国は9月8日にはビザ発給条件を緩和することで合意し,12月17日から新しいビザ制度を開始した。さらに,貿易・商業活動を促進するため,互いに自国の商業銀行の支店を開設することについて交渉を続けている。
両国間の貿易額は2010/11年度時点では26億ドルであったが,両国政府は一連の関係改善を通じて2014年までにこれを60億ドルまで拡大させるという目標を持っている。係争地での散発的な衝突がみられるなか,印パ間の貿易と経済関係の正常化に向けた取り組みは両国の信頼醸成を促し,南アジア地域の安定と発展に結びつく可能性があるため,今後の動向が注目される。
(近藤・井上)
政治においては翌2014年の連邦下院選挙に向けて動き出す。すでに迎合主義的な政策がとられる気配がみられるが,厳しい財政事情のなかで経済改革の効果を削がないことが求められよう。また会議派はシン首相がすでに高齢であることから,2014年にむけて世代交代を迫られることは確実で,次期指導者と目されるラーフール・ガンディーの動きが重要性を帯びてくるであろう。
経済面での主要な課題は,政策当局が限られた財政・金融政策の手段を用いて,インフレ抑制と成長促進という短中期的な課題に対処する一方,2012年に公表した一連の規制緩和路線を着実に実行に移し,中長期的な成長見通しを改善することにある。また,物品サービス税(GST)については長年議論が重ねられ,もっとも重要な構造改革として位置づけられており,2013年のインド経済における重要な動向のひとつになると考えられる。
(近藤:地域研究センター研究グループ長)
(井上:南山大学准教授)
1月 | |
1日 | 政府,外国人個人投資家によるインド株式の直接購入を15日から解禁。 |
10日 | 商工業省,単一ブランド小売業への外国直接投資(FDI)の出資上限を現行の51%から100%に引き上げる通達発出。 |
21日 | ジャールカンド州バーンダリアでマオイストの攻撃で警察官13人殺害。 |
23日 | オディシャ州ボランギル県のラトール村で高カーストの放火により,指定カーストの村が焼き払われる。 |
24日 | インド準備銀行(RBI),現金準備率(CRR)を6.0%から5.5%に引き下げる(28日から実施)。 |
24日 | インラック・タイ首相来訪(~26日)。 |
29日 | ベンガル湾で日本の海上保安庁とインドの沿岸警備隊の合同演習。 |
31日 | 中央統計局(CSO),2010/11年度の実質GDP成長率(前年度比)速報値を発表。前回改定値の8.5%から8.4%に下方修正。 |
2月 | |
2日 | 最高裁,第2世代携帯電話周波数帯割り当てを巡る汚職事件に関連して,2008年1月以降,8社に割り当てられた122件すべてのライセンスの取り消しを決定。 |
7日 | CSO,2011/12年度の実質GDP成長率(前年度比)の予測値を6.9%と発表。 |
8日 | オディシャ州クタック,クルダ県で密造酒により30人が死亡。A.U.シングデオ州物品税大臣,辞任。 |
10日 | デリーで第12回インド・EUサミット開催。 |
13日 | デリーのイスラエル大使館の車へ爆弾テロ。大使館員1人負傷。 |
13日 | シャルマ商工業大臣,パキスタン訪問(~15日)。 |
13日 | RBI,バンクレートを6.0%から9.5%に引き上げる。 |
15日 | ケーララ州コチ沖で操業中の漁船,イタリアのタンカー警備員により誤射。2人死亡,警備員2人逮捕(19日)。 |
16日 | ムンバイ市政選挙。与党シヴ・セーナー・インド人民党(BJP)連合勝利。会議派・民族主義会議派連合敗北(17日)。 |
29日 | CSO,2011/12年度第3四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を6.1%と発表。 |
3月 | |
5日 | 商工業省,綿花の輸出禁止を発表(国内外からの批判を受けて12日に解除)。 |
6日 | 州議会選挙開票。ウッタル・プラデーシュ(UP)州では社会主義党,パンジャーブ州ではシロマニ・アカリー・ダル・BJP連合,ウッタラカンド州では会議派,マニプル州では会議派,ゴア州ではBJPが勝利。 |
9日 | RBI,CRRを5.5%から4.75%に引き下げる(10日から実施)。 |
12日 | 予算国会開会(~5月22日)。 |
14日 | 鉄道予算発表。西ベンガル州首相ママタ・バネルジー(全インド草の根会議派[AITC]),運賃の値上げに抗議し,同党のD・トリヴェディ鉄道大臣の罷免要求。 |
16日 | プラナブ・ムカルジー財務大臣,2012/13年度予算案を国会に提出。2012/13年度の実質GDP成長率を7.6±0.25%,財政赤字をGDP比5.1%と予測。 |
18日 | トリヴェディ鉄道大臣辞任。後任にロイ船舶省閣外大臣就任(20日)。 |
23日 | シン首相,韓国訪問(~27日)。李大統領と会談,第2回核安全保障サミット出席。 |
28日 | デリーで第4回BRICSサミット開催。 |
4月 | |
7日 | インド・アメリカ海軍共同軍事演習「マラバール」ベンガル湾で実施(~16日)。 |
8日 | ザルダーリー・パキスタン大統領来訪。 |
11日 | ファヒム・パキスタン商業大臣来訪(~13日)。13日,シャルマ商工業大臣,パキスタンからのFDI受け入れと商業銀行の支店の相互開設に原則合意。 |
15日 | デリー市議会選挙。BJP勝利(16日)。 |
17日 | RBI,2012/13年度金融政策声明を発表。レポ・レートを8.5%から8.0%に引き下げ。 |
19日 | 核搭載可能な大陸間弾道ミサイル,アグニV,発射実験に成功。 |
19日 | 商工業省,2011/12年度の輸出額を3037億㌦と発表。年間目標(3000億㌦)を上回る。また貿易赤字は1849億㌦で目標額(1500億㌦)を上回り過去最大に。 |
30日 | アッサム州ドゥブリのブラマプトラ川でフェリー沈没。100人以上死亡。 |
30日 | デリーで第1回日印閣僚級経済対話開催。 |
5月 | |
5日 | クリントン米国務長官来訪(~8日)。 |
7日 | ムカルジー財務大臣,一般的租税回避防止規定(GAAR)の1年延期などを発表。 |
8日 | アッサム州で「全アッサム・タイ・アホム学生連盟」と「ボドランド運動人民共闘委員会」によるゼネスト。 |
15日 | 政府,今年度のイランからの原油輸入量を前年度比で11%削減する方針を発表。 |
23日 | インド,トルクメニスタン・アフガニスタン・パキスタン・インド・ガスパイプラインプロジェクト協定に署名。 |
27日 | シン首相,ミャンマー訪問(~29日)。 |
31日 | CSO,2011/12年度の実質GDP成長率(前年度比)の改定値を6.5%と発表。予測値(6.9%)から下方修正。また,2011/12年度第4四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を5.3%と発表。 |
31日 | 政府,2011/12年度の財政赤字を対GDP比5.8%と発表(昨年時点の概算値は4.6%)。 |
6月 | |
8日 | アッサム州で自治州設立を求める「ボドランド運動人民共闘委員会」の大衆運動。列車運行マヒ。 |
11日 | クリシュナ外務大臣訪米。13日,クリントン米国務長官と第3回印米戦略対話。 |
13日 | マハーラーシュトラ州ラトナギリ県でジャイタプル原子力発電所建設のための土地の収用に反対し農民,漁民が抗議行動。 |
16日 | シン首相,主要20カ国・地域(G20)サミット,BRICSサミット出席のためメキシコ,そして国連持続可能な開発会議出席のためブラジルを訪問(~23日)。 |
22日 | ルピー,対ドルレートで一時57.33ルピーまで減価し,史上最安値を更新(終値は1㌦=57.16ルピー)。 |
25日 | 政府,2008年のムンバイ同時多発テロ事件を計画したとされるアブ・ハムザ(A・ジュンダル)容疑者の逮捕を発表。 |
26日 | ムカルジー財務大臣とV・シン零細・中小企業大臣が辞任。財務大臣はシン首相,零細・中小企業大臣はデシュムク科学技術および地球科学大臣がそれぞれ兼任(8月10日,デシュムク氏の入院に伴い,その職責はV・ラヴィ在外インド人問題大臣が兼務)。 |
29日 | RBI,2011/12年度の経常収支赤字が過去最高の782億㌦(GDPの4.2%)になったと発表。 |
7月 | |
7日 | アッサム州の洪水犠牲者,121人に。 |
10日 | リー・シンガポール首相来訪(~12日)。 |
12日 | カルナータカ州BJP政権で州首相の交代。J・シェッタルが州首相に就任。 |
18日 | ハリヤーナー州マネサールのマルチ・スズキで工場労働者による暴動発生。1人死亡,100人近く負傷,114人が逮捕(その後,同工場は8月21日に操業再開)。 |
19日 | 大統領選挙が行われ,ムカルジー(元財務大臣)が当選し大統領に就任(25日)。 |
20日 | RBI,優先部門貸付に関する指針改定を発表。 |
21日 | アッサム州コクラジャール県でボド民族とムスリム住民の間で衝突発生,27日までに45人死亡,39万2000人が避難。 |
30日 | 21州で大規模停電発生(~31日)。 |
31日 | 内閣改造。財務大臣にチダンバラン前内務大臣,内務大臣にシンデー前電力大臣が就任。電力大臣はモイリー企業問題大臣が兼任。 |
31日 | RBI,法定流動性比率の24%から23%への引き下げを発表。 |
8月 | |
1日 | 商工業省,パキスタンからのFDI受け入れを決定。 |
2日 | 西ベンガル州ダージリン県で行われたゴルカ領域機構議員選挙でゴルカ人民解放戦線圧勝。 |
8日 | モンスーン国会開会(~9月7日)。 |
11日 | アンサリ副大統領再任(副大統領選挙7日)。 |
13日 | マハーラーシュトラ州プネーで北東部の学生が襲撃される。 |
15日 | カルナータカ州バンガロールで北東部出身者が襲撃されるとの噂から,同地域出身者がパニックに(~17日)。特別列車が用意され約2万4000人がアッサム州などへ帰郷。政府は噂防止のためSMS大量送信を禁止。 |
17日 | 政府,会計検査官報告により,2004年から2009年の間,石炭鉱区の配分に透明性を保証しなかったことで,国庫に1兆8600億ルピーの損失を与えたという批判を受ける。 |
22日 | 銀行法改正案に抗議する銀行員による全国規模の大規模ストライキ(~23日)。 |
28日 | シン首相,第16回非同盟諸国会議出席のため,イラン訪問(~31日)。 |
31日 | CSO,2012/13年度第1四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を5.5%と発表。 |
9月 | |
3日 | 来訪中の梁光烈中国国防大臣,中国はパキスタンが実効支配するカシミールで中国人を建設工事などに派遣したことはないと説明。国境の平和の維持および合同軍事演習の実施を約束(4日)。 |
7日 | クリシュナ外務大臣,パキスタン訪問(~9日)。8日,外務大臣会談。ビザ発給条件の緩和などで合意。 |
10日 | タミル・ナードゥ(TN)州ティルネルヴェーリでクダンクラム原発への抗議行動が暴動に発展。 |
13日 | 政府,軽油価格を1リットル当たり5ルピーの引き上げとプロパンガスの補助金支給対象を1世帯当たり年間6シリンダーに制限することを決定。 |
14日 | 政府,総合小売業,民間航空,電力取引所,放送業へのFDI出資比率引き上げを決定。20日,通達発出。 |
15日 | 計画委員会,年間成長目標を以前の9.0%から8.2%に引き下げた第12次5カ年計画案を承認(10月4日に内閣承認)。 |
17日 | RBI,CRRを4.75%から4.5%に引き下げる(22日から2週間で実施)。 |
18日 | AITC,政府の燃料価格引き上げや外資規制緩和などに反対して連立離脱を表明,閣僚6人辞任(21日に正式離脱)。 |
20日 | 野党と小売業者,政府の外資規制緩和に抗議するゼネストを実施。 |
30日 | アーンドラ・プラデーシュ州ハイデラバードでテーランガーナー州設立を求めるデモ行進が暴徒化,警官隊と衝突。 |
10月 | |
4日 | 政府,保険業に対するFDI出資比率の引き上げと年金の外資開放を決定。 |
15日 | ギラード・オーストラリア首相来訪(~17日)。 |
18日 | 政府,戦車搭載ミサイル1万基,巡航ミサイル,ブラモス200基以上をロシアから購入することを決定。 |
24日 | ファンカルロス1世・スペイン国王来訪(~27日)。防衛産業や防衛関係者の人的交流に関して覚書を署名。 |
26日 | クリシュナ外務大臣,辞表提出。27日には閣内4大臣,国務3大臣,辞表提出。 |
28日 | 内閣改造。外務大臣にはクルシッド前司法・公正大臣が就任。 |
29日 | チダンバラン財務大臣,2012/13年度の財政赤字目標をGDP比5.3%に修正する一方,2017年3月までに段階的に3.0%に削減する方針を示す。 |
30日 | RBI,CRRを4.5%から4.25%に引き下げる(11月3日から2週間で実施)。 |
11月 | |
1日 | アッサム州のエスニック紛争の避難民3万人が避難キャンプを離れ帰還開始。 |
4日 | チダンバラン財務大臣,2012/13年度の実質GDP成長率が5.5~6.0%になる見通しを示す。 |
4日 | ハーパー・カナダ首相来訪(~9日)。 |
7日 | TN州ダルマプリ県で,カースト・ヒンドゥーが被抑圧カーストの3集落を襲撃。 |
9日 | カルザイ・アフガニスタン大統領来訪(~13日)。 |
13日 | ミャンマーの指導者アウンサン・スーチー氏来訪。シン首相と懇談(14日)。 |
17日 | ジヴ・セーナー指導者B・タカレー死去。ムンバイ市政当局,治安強化。 |
18日 | シン首相,カンボジア訪問(~20日)。第7回東アジアサミット,第10回インド・ASEANサミット出席のため。 |
20日 | ザルダーリー・パキスタン大統領,印パ間のビザ取り決めを裁可。 |
21日 | 2008年のムンバイ同時多発テロ事件で拘束された唯一の実行犯であるM・A・A・カサブ死刑囚の死刑執行。 |
22日 | 冬期国会開会。AITCが下院へ政府不信任案を提出したが,否決。 |
26日 | デリーで,第2回インド・中国戦略経済対話開催。投資と貿易を促進するための11の覚書を締結。 |
30日 | CSO,2011/12年度第2四半期の実質GDP成長率(前年度同期比)の概算値を5.3%と発表。 |
12月 | |
5日 | 連邦下院,政府の総合小売業の外資規制緩和法案を否認する動議を否決。上院でも否決(7日)。 |
9日 | ヤヌコーヴィチ・ウクライナ大統領来訪(~12日)。 |
14日 | マニプル州でクキ民族の州設立を求める「クキ州要求委員会」による「封鎖」が中央政府との協議で解除。 |
16日 | デリー市内のバス内で女性が性的暴行被害。17日には女性への性犯罪に対する抗議と罰則強化を求め,学生,市民らによる大規模デモ。警官隊と衝突(22~23日)。 |
17日 | 財務省,2012/13年度の実質GDP成長率を5.7~5.9%,2013年3月時点のWPIインフレ率を6.8~7.0%と予測。 |
17日 | インドとパキスタン,新ビザ制度を開始。 |
20日 | 州議会選挙開票。グジャラート州ではBJPが,ヒマーチャル・プラデーシュ州では会議派が勝利。 |
20日 | 銀行規制改正法案が上院で可決。 |
20日 | デリーでインド・ASEAN記念サミット(~21日)。サービスと投資分野でのFTAの交渉完了。 |
24日 | プーチン・ロシア大統領来訪。 |
24日 | ヤダヴ・ネパール大統領来訪(~29日)。 |
27日 | 国家開発評議会,第12次5カ年計画を承認。 |