オーストリア文学
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『時祷書』・心的外傷・文献学
リルケ研究史批判
黒子 康弘
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2016 年 32 巻 p. 25-35

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抄録

一八四八年の革命を経て、雑誌版『ピッチ焼き職人』(Die Pechbrenner,1849)は単行本版『みかげ石』(Granit)になり、雑誌版『聖夜』(Der heilige Abend, 1845)は単行本版『水晶』(Bergkristall)になった。『みかげ石』は、改稿版が公表されたシュティフター作品のなかでは、改稿により分量が大幅に減少した唯一の作品であり、雑誌版のペストをめぐる逸話が大幅に改変された。これに対して『水晶』への改作は、筋書きに変更が見られないことから、小規模の改稿にとどまるものであるという見解が一般的である(1)。本論では、この小規模の改稿を再検討し、改作後の『水晶』を『みかげ石』との連続性のなかで考察したい。単行本版を収めた作品集『石さまざま』(Bunte Steine, 1853)のなかでは、『みかげ石』が第一巻の最初の、『水晶』が第二巻の最初の物語となったため、両作品は離れて配置された。しかし、作者シュティフターが一八五一年十一月に「最初の物語(=《みかげ石》)の後には、《聖夜》が続きます」(PRA 18, 95)と 予告しているように、作者の頭のなかで両作品が連続していたのではないかと推測されるのである。 四八年の三月革命を目の当たりにして、青少年の教育の必要性を痛感したシュティフターは、教育的な関心をもって『石さまざま』に取り組み、ここでは「子どもの物語」から「青少年の物語」への方向転換が図られているものの、この作品群の核となる共通項を見つけ出す試みはあまり成功していない(2)。青少年の教育という観点からこの作品群を理解しようとする際、『水晶』は一つの躓きの石となる。シュティフター作品に頻繁に登場する教育者の存在や、何か を学んでいる学習者の様子も、この作品では見えにくいからである(3)。実際に『水晶』の研究史は、救出という帰結や物語冒頭のクリスマスをめぐる描写から考えられた宗教的な解釈と、自然の脅威と子どもたちの極限状態についての解釈という二極に牽引されてきたように見える。本論ではこうした先行研究に対峙しながら、『水晶』の教育の問題を再検討したい。

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