近年,意味論と語用論のインターフェイスに関して,「文自体に命題を表す力が備わっている」とする字義主義と「文は文脈の助けを借りない限り命題を表すことはできない」とするコンテクスト主義との対立をめぐる議論が再燃している.しかしながら,トートロジーX ETRE Xを扱った研究は,これが意味論と語用論の境界に位置する現象であるにも関わらず,大半が暗黙のうちに字義主義の立場に立っている.この論文では,RECANATI (2004/2007)に基づいてコンテクスト主義の妥当性を確認した上で,次の三つの根拠に基づき,トートロジーに対してもコンテクスト主義的な分析がなされるべきであることを示す.(i) 字義主義はトートロジーが字義的に表す命題に基づく推論の存在を仮定しているが,そのような推論の存在は疑わしい.(ii) トートロジーが文脈とは独立に表す命題 (最小命題) を取り出すことはできない.(iii) 「トートロジーが表す字義通りの命題」の存在を仮定しなくても,「補強」「転移」などの語用論的操作を仮定することにより,トートロジーが実際に表す命題を直接的に導き出すことができる.