放送研究と調査
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シリーズ 戦争とラジオ <第5回> “慰安”と“指導”
放送人・奥屋熊郎の闘い(後編)
大森 淳郎
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2019 年 69 巻 12 号 p. 44-63

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抄録

前編では、奥屋熊郎の出発を見てきた。奥屋はラジオの「指導性」を存分に発揮して大衆文化のレベルを向上させようとしていた。しかし、その「指導性」は、満州事変以降、日本社会が座標軸ごと右に地滑りしてゆく中で、いつのまにか国民を戦争に導いてゆく「指導性」と重なり合ってゆく。『国民歌謡』も『詩の朗読』も、軍・政府の宣伝手段となっていったのである。そしてそのことに奥屋自身、疑問を持つことはなかった。 奥屋が変わるのは、太平洋戦争が勃発するおよそ半年前のことである。軍人の横暴さに辟易とした奥屋は「このような訳のわからぬ権勢が民衆の頭を抑えている時代に、啓蒙的な行動は禁物であると悟った」のである。 だが「指導性」を放棄することは奥屋にとってはラジオを放棄することに等しかった。1943年、奥屋は日本放送協会を去る。 後編では奥屋の「指導性」の変質の過程を見据える。放送の「指導性」とは何か、奥屋が直面した問題は今日なお新しい。

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© 2019 NHK放送文化研究所
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