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日本物理学会誌
Vol. 71 (2016) No. 11 p. 736-745

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http://doi.org/10.11316/butsuri.71.11_736

交流

低レベル放射線の生体への影響では,DNAの鎖切断や酸化的塩基損傷など,化学的に安定で難修復性の損傷に起因する生物効果・遺伝的影響が重要とされている.宇宙ステーションや他の惑星などでの世代交代まで含めた生命の存続に対する放射線の影響は未知であり,NASAではDNA損傷・修復の研究予算のバックアップを行っている.しかし被曝後のDNA損傷のメカニズムはまだ解明されていない.

放射線効果は物質に与えられた放射線エネルギーの緩和後に,照射前とは異なる安定生成物が発生することの総称である.細胞中の分子は生命活動にかかわる機能を持ち,その機能が失われれば細胞死に至り,変質すれば機能障害を来たす.典型例がDNA損傷であり,その抑制のために,細胞内では修復酵素というタンパク質が代謝活動の異変に応じて損傷を検出して修復する.つまりDNA損傷の修復は細胞生理学上の問題である.地上の環境放射線レベルで発生するDNA損傷は修復酵素によってほとんどが修復されると考えられており,被曝線量の許容値はこの生理学的許容量と密接な関連があると推測される.さて,損傷修復に寄与するのは修復酵素だけだろうか.細胞は開いた熱力学系として,恒常的に形態と機能を保持している.一分子に与えられる放射線のエネルギーは巨大でも,細胞全体に拡散すれば温度上昇さえ起こらない.損傷定着までに存在する多数の化学反応が,熱力学系が向かうであろう安定状態への緩和経路を構成すると考えられるが,そこに照射前の安定状態に戻る経路を想定することは突飛だろうか? 従来の常識では細胞液中に発生したOHラジカルのような活性種のDNAへの攻撃,とくに核酸塩基の酸化損傷が重要な放射線効果の原因とされてきた.ところが,細胞中にはOHラジカルを捕捉する物質が多数存在する.OHによりラジカル化した核酸塩基を還元修復する抗酸化剤も知られている.つまり,酸化損傷に限らず損傷定着までの化学反応により生成する異常生成物を緩和的に消滅させて元の状態を復元する“その場修復”が存在すると考えられる.これにDNA損傷の緩和的定着が放射線作用の起点と途中経路を共有し,放射線感受率の決定に競争的に寄与すると予想される.その解明は同時にDNA損傷のメカニズムの解明となるに違いない,これが著者らの作業仮説である.

以上から,DNAの緩和的損傷定着・修復経路の解明をめざした新規の実験を開発中である.真空中で近似的に再現した水和状態のDNAに対して放射線相互作用の起点となる原子部位を軟X線シンクロトロン放射光のエネルギー選択性を用いて特定し,後続する異常生成物の生成・消滅を観測する.これまでに軟X線吸収スペクトル測定法を確立してDNA構成単位であるヌクレオチドに適用した.DNAには核酸塩基にのみ窒素原子が含まれることに注目し,窒素のK殻イオン化エネルギー付近のX線吸収スペクトル測定により核酸塩基を選択的に観測し,直接放射線相互作用の部位を原子レベルで特定した.また,水溶液のpH条件を変化させて,核酸塩基のプロトン化構造変化をX線吸収スペクトル中に見出した.これは放射線により発生するプロトンイオンによるDNAへの間接効果の実験的再現であり,間接効果の影響下にあるDNA(ヌクレオチド)のX線吸収(直接効果)という,二種の放射線効果の作用機序の共同について提言し,まとめとする.

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