2016 年 71 巻 11 号 p. 757-761
物質の持つ磁場を高い精度で検出する手法の開発は,医療,生体,材料工学などの分野で盛んに行われている.例えば核磁気共鳴画像法(MRI)は磁場情報を利用することで物質の内部情報を得られるため,工学の分野で重要な役割を果たしている.また脳磁図は人や動物の脳から生じる磁場を利用して脳の状態を計測し,医療や生体の分野で用いられている.
近年,電子スピン状態の「重ね合わせ」を用いて磁場センサの感度を向上させる研究が,理論と実験の双方から進められている.さらに興味深いことに,古典系に存在しない性質である「量子絡み合い」を用いることで,既存のセンサの感度を上回る磁場センサが原理的には構築できることが知られている.電子スピンをL個用いて磁場センサを構築した場合は,量子的な絡み合いを用いなければ,磁場の推定誤差はΘ (L-0.5)でスケールすることが知られている.これを標準量子限界と呼ぶ.一方で,同じ数の電子スピンを用いても,量子絡み合いを使うことで原理的には(ノイズが全く存在しなければ)推定誤差をΘ (L-1)に抑えられる.これをハイゼンベルグ限界と呼ぶ.
しかしながら,このような量子絡み合いはノイズに弱く,コヒーレンスを長時間保持できないという問題点を持つ.コヒーレンス時間が短いと,磁場を電子スピンと相互作用させる時間を十分に確保できず,磁場検出の感度が落ちてしまう.そのため量子絡み合いを用いても,無限のコヒーレンス時間を持つ電子スピンが用意できない限り,標準量子限界は超えられないと考えられていた.
そこで我々は,現実的な環境下において,標準量子限界を超える感度を持つ磁場センサを構築する手法を提案した.環境と電子スピンが相互作用する際には,電子スピンの状態に関する情報を保持できる「相関時間」と呼ばれるタイムスケールが存在する.我々は,電子スピンと磁場を相互作用させる時間を,環境の持つ相関時間よりも短くすることでノイズの影響を抑えて,磁場センサの感度向上ができることを定量的に示した.具体的には,有限のコヒーレンス時間を持つL個の電子スピンを用いても,推定誤差をΘ (L-0.75)に抑えられる.これは標準量子限界を超えており,電子スピンの数を増やすほど,古典センサとの感度差を大きくできる点で極めて意義が深い.
さらに我々は,超伝導磁束量子ビットと電子スピン集団の結合系を用いることで,量子絡み合い磁場センサを実装する方法を理論的に提案した.この手法は,超伝導磁束量子ビットの高い制御性と電子スピン集団の長いコヒーレンス時間を利用する点を特徴とする.具体的には,量子絡み合いの生成と読み出しの時のみ磁束量子ビットと電子スピンを相互作用させて,電子スピンが磁場と相互作用する際には磁束量子ビットは切り離しておく.この操作により,磁束量子ビットにかかるノイズが電子スピンに伝搬するのを防ぎつつ,磁束量子ビットの持つ非線形性を利用して電子スピン集団を高い精度で制御することが可能となる.その結果,数μm程度の空間分解能を持ち,フェムトテスラ程度の感度を持つ磁場センサを原理的には構築することができる.もし実現すれば,現在用いられている磁場センサよりも三桁程度の感度向上が見込める.将来的には人体から生じる磁場情報を知ることで医療に応用したり,物質の持つ磁場分布を計測することで製薬開発に用いることが可能になる.