日本物理学会誌
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解説
有機結晶を舞台としたπ電子–プロトンカップリング物性の新展開
森 初果
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2019 年 74 巻 2 号 p. 82-92

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抄録

電子の波動性と粒子性が拮抗することで多彩な電子物性を与える強相関電子系は,d電子系の遷移金属酸化物,f電子系の金属間化合物とともに,π電子系有機伝導体でも物性研究が盛んに行われている.強相関電子系では,強い「電子–電子」のクーロン斥力エネルギーにより一電子近似が破たんする.そして,このクーロン斥力エネルギーが,電子の運動エネルギーと拮抗し,大変興味深い物性現象が観測されている.例えば,電子間のクーロン斥力(電子相関)が,電子の運動エネルギーよりも上回るために出現する絶縁相(モット絶縁相あるいは電荷秩序絶縁相)の系に圧力を印加すると,分子間の相互作用が増加し,電子の運動エネルギーが電子間斥力に勝って,劇的に金属相へ転移したり,絶縁相から金属相へ変化する途上で,型破りな超伝導相が出現する.このように,有機伝導体についての物性研究は,無機伝導体とも共通の基盤を持ちながら,π電子固体を舞台として,電子の電荷,格子,スピン,軌道の自由度で表される伝導性および磁性を中心として発展してきた.

一方,電子の次に軽く,量子性を有するプロトンを用いた「プロトン固体物性」も独立に研究されてきた.例えば,水素結合中のプロトンの位置に依存した分極を用いる水素結合型誘電体がある.低温でプロトントンネリングによる量子揺らぎが効くと,量子常誘電性を示す.また,重水素同位体効果により,水素結合中の重水素が熱的な無秩序状態から,低温で秩序状態へ転移すると,常誘電相から,反強誘電/強誘電相への転移が起こることが観測されている.

近年,独立に研究されていた「π電子固体物性」と「プロトン固体物性」が,有機結晶を舞台としてカップルし,各々単独では見られない,新たな固体物性である「π電子–プロトンカップリング固体物性」を創出している.この舞台となる有機結晶の最大の特徴は,分子が構成単位であるので,分子内および分子間に多様な「分子自由度」があること,また,構成分子から分子集積体まで,設計・制御できる点にある.

π電子–プロトンカップリング系のモデル物質として,キンヒドロンが知られている.この結晶は,プロトン受容性および電子受容性を持つパラベンゾキノンとプロトン供与性および電子供与性を持つジヒロドキシベンゼンの2種分子の共結晶である.4 GPaの高圧下でプロトンと電荷双方の分子間移動があり,興味深いことに,π電子–プロトンがカップルして,2種の分子から単成分分子となり,エネルギー共鳴状態となっていることが赤外分光から確認されている.

また,近年開発された水素結合型室温有機強誘電体では,水素結合中のプロトンの移動ばかりでなく,それに伴う電子分極が大きく寄与し,π電子–プロトンカップリング系強誘電状態になっていることが明らかにされている.

さらに,π電子とプロトンがカップルした強相関電子系有機伝導体が近年合成されている.ここでは,水素結合プロトンの量子常誘電性とカップルしたπ電子系の量子スピン液体状態や,水素結合中の重水素の熱的な無秩序–秩序転移を起因とした電気伝導性や磁性のスイッチング現象など,特異なカップリング物性が見出されている.

有機結晶は,構成分子が柔らかく,かつ弱い分子間相互作用で集積しているため,小さな外場(電場,磁場,光,圧力)で大きな応答を示す.ゆえに,外場応答からπ電子とプロトンのカップリング現象が制御できるのである.

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