日本物理学会誌
Online ISSN : 2423-8872
Print ISSN : 0029-0181
ISSN-L : 0029-0181
最近の研究から
経路積分法で探る金属中の水素の拡散メカニズム
君塚 肇尾方 成信志賀 基之
著者情報
ジャーナル フリー

2020 年 75 巻 8 号 p. 484-490

詳細
抄録

水素は元素のうちで最も軽く量子性が強いため,金属中に導入された場合,他の不純物原子と比べて種々の特異な性質・挙動を示す.その中の一つに水素の拡散がある.通常,軽い同位体は重いものよりも速く物質内を拡散する.しかし,これは水素の場合には必ずしも当てはまらない.実際,面心立方構造を有するパラジウム,銅,ニッケル中の水素同位体(軽水素,重水素,三重水素)の拡散係数の測定値は特異な同位体効果,すなわち,高温および低温では軽い同位体ほど速く拡散が進行するものの,ある中間の温度域では重い同位体ほど速く拡散が進むことが報告されている.この現象は,金属結晶中の格子間サイトに位置する水素同位体の局所振動モードの違いのみからでは説明できず,水素同位体の物質中の輸送や反応の速度論の予測が今なお,材料物理における挑戦的な課題の一つであることを示すものである.

多くの遷移金属は水素と広い非化学量論的組成にわたって金属的性質をもつ水素化物相を形成する.中でもパラジウムは,室温において容易に水素と反応し,結晶格子間に多量の水素(パラジウムの体積の約1,000倍の気体水素)を吸収する.このような性質からパラジウムは水素吸蔵金属や水素透過膜材料のプロトタイプとして注目され,研究が盛んに行われている.パラジウムを始めとする種々の材料の水素透過・吸蔵特性を評価する上で,材料中の水素の拡散速度はその性能を決める重要な因子となる.温度等に依存して多様に変化する水素同位体の振る舞いを根本から理解し,その拡散メカニズムの真の姿を明らかにするためには,水素の原子核に対する量子効果を適切に考慮することができる理論的モデルを構築することが欠かせない.

最近,我々はこの課題を解決するために,経路積分法と電子状態計算を連成させた第一原理手法を用いて電子と原子核の双方の量子力学的性質を考慮し,面心立方構造を有するパラジウム結晶中の水素同位体の拡散挙動を幅広い温度で予測することに成功した.その結果,パラジウム中の水素同位体の拡散係数のアレニウスプロットは,温度の低下とともに量子ゆらぎの影響が顕在化することによって“上に凸”の折れ曲がり(拡散の抑制)を示すこと,更に低温域では量子トンネル効果の発現によって拡散障壁は減少に転じ,“下に凸”の折れ曲がり(拡散の促進)が生じることを見出した.このようなアレニウスプロット上の“逆S字型”の挙動は,異なる温度・質量依存性をもつ量子効果の競合によって生じるものであり,実験により示唆されていながらその機構の詳細が不明であった水素拡散の特異な同位体効果を明瞭に説明する.

パラジウム中の格子間サイトに固溶する水素はエネルギー的に四面体サイトよりも八面体サイトの方を好むが,1%程度の格子膨張を与えると水素原子の安定位置が四面体サイトに遷移する.我々の解析では,これによって量子効果の影響が潜在化し,水素拡散が抑制されなくなることを見出した.このような量子ゆらぎと格子ひずみの協調によって発現する高速な格子拡散モードは,水素透過特性に対して弾性ひずみを工学的に利用した材料設計の可能性を開くものである.

我々のアプローチは様々な材料における水素同位体の量子的振る舞いを理解する際に幅広く適用できる.今後,本研究の成果を発展させることで,水素エネルギー材料の性能向上に対する有用な設計指針が得られるようになることを期待する.

著者関連情報
© 2020 日本物理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top