智山学報
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種子の所熏習に関する一考察
ー『光記』『宝疏』における種子の所熏習の解釈の相違をめぐってー
倉松 崇忠
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2017 年 66 巻 p. _31-_46

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抄録

    『俱舎論』は日本において仏教の基礎として多くの僧侶によって学ばれ、倶舎学として成立した。この倶舎学では、中国における『倶舎論』の注釈書に基づき研究がなされてきた。
 中国における主な『倶舎論』の注釈書には、神泰の『泰疏』、普光の『光記』、法宝の『宝疏』、円暉の『倶舎論頌疏』などがある。『泰疏』『光記』『宝疏』は三大疏と呼ばれ、倶舎学において重視されてきた。日本において、『泰疏』は珍海の『倶舎論明眼鈔』や宗性の『倶舎論明思鈔』に引用されるが、早くから散逸し、現在は20巻の内、巻1、巻2、巻4、巻5、巻6、巻7、巻17の7巻のみが現存している。また『倶舎論頌疏』は天台宗において重視されるが、これは『倶舎論』の六百頌の理解のための注釈書であり長行釈の研究には適さない。よって日本の倶舎学では『光記』『宝疏』が重用されるようになった(1)。
 種子説は、『倶舎論』の記述によれば部派仏教のなかで経部が採用した説であるとされるが、その後、瑜伽行唯識派にも受け継がれている。種子説の主要な論点の一つとして、種子が何処に、或いはどの様に熏習されるのかという種子の所熏習の問題がある。
 本稿ではまず、玄奘訳『倶舎論』、『光記』、『宝疏』を参照し、種子の所熏習の問題について、『光記』『宝疏』においてどのような解釈の相違があるのかを検討する。次に、それらの相違がどのような理由によって生じたのかという問題について、『光記』『宝疏』の記述、及び『倶舎論』や『順正理論』などの阿毘達磨論書の記述を用いて経部における所熏習の諸説を検討することによって解明する。

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2017 智山学報
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