洛西栂尾高山寺(以下、高山寺)は、鎌倉初期に明恵房高弁(一一七三~一二三二)(以下、明恵)が中興開山以来、現在にいたるまで膨大な典籍文書が所蔵される。この高山寺経蔵は、貴重な資料を伝存する宝庫として名高い。これら所蔵される典籍文書については、『高山寺経蔵典籍文書目録』全五冊(以下、『高山寺目録』)として刊行され、現在その全貌をある程度窺い知ることができる。
本稿では、現在の高山寺経蔵の基礎をなしたとされる慧友僧護(一七七五~一八五二)(以下、慧友)の事績について、その果たした役割や活動の目的を明らかにする。慧友の七十八年という長い生涯は、一貫して幕末の高山寺において、荒廃した境内堂宇ならびに経蔵聖教の修繕・整備を精力的に推し進めたことがわかる。その功績は、現在貴重な多くの資料を伝存する高山寺経蔵を考える上で極めて重要である。