抄録
【目的】生理活性脂質の一つであるスフィンゴシン1-リン酸(sphingosine1-phosphate;以下S1P)は多彩な作用を持つ脂質メディエーターもしくは成長因子である。梶本らは、S1Pがグルタミン酸(神経伝達物質)の放出を引き起こし、記憶をはじめとする様々な神経機能に重要な役割を果たす可能性を示唆した。成体期においてS1Pは、ニューロンの新生が行われている海馬と嗅球に分布することから、S1Pがニューロンの増殖や分化と関係している可能性が示唆される。そこで今回、中枢神経系における組織発生や機能分化過程におけるS1Pの役割を明らかにするため、S1Pのリン酸化酵素であるスフィンゴシンキナーゼ(sphingosine kinase;以下SK)とS1Pの受容体であるS1P1およびS1P3の分布を発達期と成体期のマウス脳を用いて、免疫組織化学的に観察した。
【方法】本実験には、生後0日、1週齢、2週齢、3週齢、8週齢のddY系マウスを用いた。マウスを4%パラホルムアルデヒドで灌流固定したあと、厚さ約20μmの脳の凍結切片を作製し、抗SK抗体、抗S1P1抗体、抗S1P3抗体を用いて免疫組織化学的に可視化を行なった。その後、切片を光学顕微鏡下で観察した。
【結果】抗SK抗体の免疫反応は、生後0日においては海馬の錐体細胞と大脳皮質の神経細胞体に見られた。2週齢、3週齢、8週齢においては、海馬の上昇層、放射状層、分子層、歯状回門、苔状線維および大脳皮質の神経線維に観察された。抗S1P1抗体の免疫反応は、いずれの時期においても観察されなかった。抗S1P3抗体の免疫反応は0日、1週齢、2週齢においては海馬の錐体細胞、顆粒細胞および大脳皮質全体の神経細胞体に陽性であった。3週齢と8週齢においては、海馬の上昇層、放射状層、分子層、歯状回門に抗S1P3抗体の免疫反応が観察された。また、3週齢の大脳皮質では、表層に近い神経細胞体に陽性反応が認められ、さらに大脳皮質全体に神経線維に一致した微細顆粒状に陽性反応を示した。8週齢においては、神経線維に一致した微細顆粒状に反応が認められた。
【考察】抗SK抗体と抗S1P3抗体の免疫反応分布は、発達期と成体期で大きく異なり、またその相違は海馬だけでなく大脳皮質においても明らかであった。脳の発達に伴って、神経細胞体から免疫反応が消失することは、SKによってリン酸化されたS1Pやその受容体であるS1P3がこの時期の神経細胞の増殖や細胞分化に重要な役割を果たしていることを示唆している。また、成体期の大脳皮質においても、S1P受容体が広く分布していることが報告されている。よって今回の結果は、成体期の大脳皮質においても、SKによってリン酸化されたS1Pが、S1P3受容体を介して、神経伝導や神経伝達物質の放出をはじめとする様々な神経機能の発現に何らかの重要な役割を果たしていることを示唆するものである。