2022 年 33 巻 p. 59-62
本調査は,洪水常襲地域である旧挙母(現愛知県豊田市)において,水害と治水対策の歴史,城下移転に至る経緯とその要因を明らかにしたものである.挙母藩が城下の高台移転を決断した契機となったのは明和4年の洪水であり,その最大の原因が矢作川の天井川化であった.要因として挙げられるのは,江戸初期の河床替工事による土砂堆積であるが,上流側の山津波による災害も加わり,さらに,農民の反対運動による安永川工事の遅延が被害を拡大した.また,昭和46年と明和4年の浸水範囲が一致することからも,堤防決壊など大規模な水害が発生した場合は,地形的に脆弱なエリアへの浸水被害が予想される.自然地形の上に都市が成立している以上,江戸期からその脆弱性は変わっていない.今後,都市の防災対策を講じる上で,過去の災害の被害状況と経緯,原因について調査分析し,治水対策等に活用することが重要である.