本稿は朝鮮時代(1392年〜1910年)の宮殿建築技法を直接知る最後の世代である大工・裵喜漢の自伝『朝鮮木手・裵喜漢の生涯、この朝鮮の鋸も錆びてしまった』のうち大工道具について口述している部分を取り上げ、その和訳を紹介する。日本の植民地時代(1910年〜1945年)以降、朝鮮半島の大工道具は日本の大工道具に置き換わっていく。原書は置き換わる境目の時期に活躍した裵大工が朝鮮時代の鋸、鑿、鉋、墨壺など代表的な大工道具について、日本の大工道具との違いも交えながら語っている。日常的に大工道具を使う大工の観点から、日韓大工道具を比較している貴重な資料と評価できる。