映像学
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論文
芸術映画社による製作現場の変容
戦時期日本における「ドキュメンタリー」の方法論の実践
森田 典子
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2018 年 100 巻 p. 10-31

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抄録

【要旨】

 本稿は、戦時期日本の文化映画業界で活動した中堅プロダクション・芸術映画社の製作者らが、ポール・ローサの「ドキュメンタリー」の概念を方法論として取り入れることで製作現場を変容させ、結果として文化映画の映像表現を刷新したということを明らかにする。具体的には、その方法論をはじめて本格的に模索した『雪国』(1939)と、それらの模索を経て新たな方法論を生み出した『或る保姆の記録』(1942)という特徴的な2作品の製作実践について論じる。さらに、これらの実践が芸術映画社にとって、日本における戦時体制の強化に対処する手立てとなっていたという点を示唆する。

 これまでの日本のドキュメンタリー映画研究は、戦争責任論を背景にして戦後に台頭した製作者らによる「ドキュメンタリー」の実践活動を重視し、その反面で戦前世代による文化映画業界での実践活動を看過してきた。これに対して本稿では、1930年代後半から1940年代初頭にかけてローサの「ドキュメンタリー」の概念を積極的に導入した芸術映画社の実践に着目する。カルチュラル・スタディーズの視座を用いて、作品映像と製作者らの言説の中から、当時の社会状況と製作活動とのせめぎ合いを探る。まず『雪国』のスタッフが社会問題をテーマとして掲げ、創造的な方法論を模索するなかで再現手法を試みたことを、次に『或る保姆の記録』のスタッフがテーマよりも撮影対象の追求を重視し、その方法論として対象との協同関係を構築したことを考察する。

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