2017 年 98 巻 p. 48-67
【要旨】
1948年のジーン・ネグレスコ監督によるハリウッド映画『ジョニー・ベリンダ』で、主役で聾唖のベリンダ・マクドナルドは⼀切言葉を話さない。この点において、メロドラマ映画や特に40年代女性映画の典型的な例として、本作はしばしば先行研究によって取り上げられてきた。しかし、本作の重要な主題のうちのひとつは、まさに言葉に他ならない手話をベリンダが習得するという点にある。そこで、本稿は手話が⾮言語的なメロドラマの⾝振りではなく、言葉そのものである点を議論の出発点とする。すると、他の40年代女性映画における男性医師の機能(ヒロインが自分では言語化できないトラウマや真実を言語化する)と、本作の医師ロバートの機能は異なることになる。それを踏まえ、主に裁判のシーンを言葉という観点から分析することを通じて、男性医師ロバートもベリンダと同じく、支配的な社会から疎外された人物であることを明らかにする。本作はエンディングで、ベリンダやロバートらマイナーな言葉を話すもの同士が結束し、支配的な社会に取り込まれることもなく、また逃げ出すのでもなく、そこから適度な距離を保った新たな社会を打ち立てようと試みている様を描いているのだ。最後に本稿は、エンディングの⼆面性を明らかにし、彼女らの試みが孕む不安と希望を指摘する。