今世紀になってからのデフォー研究において、Ian WattのThe Rise of the Novel (1957)は、まことに輝かしい業績であったといわなくてはなるまい。しかしながら、それに対しては、E. M. W. TillyardがThe Epic Strain in the English Novel (1958)において、いちはやく疑問を投げかけた。最近にはMaximillian E. Novakが矢つぎばやに、Economics and the Fiction of Daniel Defoe (1962)とDefoe and the Nature of Man (1963)を公にして、デフォー解釈についての再考を要求した。「ロビンソン・クルーソー」についても再考すべき時期がきていると考えて、ここに小論を試みる次第である。