2025 Volume 24 Issue 2 Pages 31-42
中国の大学日本語専攻生は日本語学習の意義をどう捉えているのか
―2人の日本語専攻生のライフストーリー
鄭若男(広島大学)
国際交流基金(2023)によると、海外の大学で専攻として日本語を学ぶ日本語学習者(以下、「日本語専攻生」)の数は298,318人であり、中でも、中国の大学に在籍する日本語専攻生の数が最も多く、日本語専攻生全体の約60%を占める。中国の日本語専攻生の数は長年、世界一位であるが、実際のところ、その数は2012年にピークに達してからは減少傾向を見せている(杨、曹、2019)。2012年より、大学入試で日本語専攻を志望する学生の数は年々減少し、日本語専攻で入学しても入学後に転科する学生が増加しているなどといった現象が中国の大学で見られるようになった(曹、费、2018)。日中両国の間の領土紛争による不安定な政治的状況に加え、2000年代に入ってからの中国における大学教育大衆化に伴う日本語専攻生の増加(葛、2017)、および中国から日本企業が撤退したことや日本経済が低迷したことにより日本語学習が卒業後のキャリアに結び付きにくくなった(国際交流基金、2023)ことがあると考えられる。
言い換えれば、今の中国では、日本語を学ぶ実用的な価値が低下している。そこで、中国の大学は日本語専攻を「日本語+簿記」、「日本語+情報科学」、「日本語+他外国語」に変える(曹、费、2018)等、「実用的な価値がある」何かの専門知識を加えることでこの状況に対応しようとしている。しかし、このような「日本語+α」という構造は外国語を学ぶ実用的な価値ばかりを重視し、外国語を学ぶことの意義を矮小化してしまう懸念がある(葛、2015)。大学4年間で、就職に必要な能力や資格を取ることの重要性は言うまでもないが、日本語能力の訓練や資格を取るための学習だけを学生に提供すると、大学は街角の日本語教室や資格を取るための教室とほとんど変わらなくなってしまう。中国の大学日本語専攻教育の今後の発展のため、これから何を目指すべきなのかを検討する必要がある。
そこで、本研究は、日本語を専攻として学ぶ実用的な価値が低下している中で、意欲的に日本語学習に取り組んでいる学生は日本語学習にどのような意義を見出したのかを明らかにし、大学日本語専攻教育はこれから何を目指すべきなのかを議論することを目的とする。そのため、本研究は中国の大学で意欲的に日本語学習に取り組んでる2人の日本語専攻生(茜さん、傑くん)を取り上げて調査する。
日本語専攻生が日本語を学ぶことの意義について論じた先行研究として、葛(2017)と山内(2019)がある。葛(2017)は留学中の元日本語専攻生の日本語学習の意義を日中両国の文化に対する認識の変化という視点から分析した。その結果、元日本語専攻生は日本語を学んだこと、または日本へ留学したことがきっかけで、自分の中に蓄積された中国文化と、中国の大学で日本語を学んで理解した日本文化と、日本で体験し理解している日本文化を比較検討し、最終的に中国文化と日本文化に対してクリティカルな文化意識を持つようになったことが明らかになった。このクリティカルな文化意識の獲得が日本語専攻生が日本語を学ぶことの意義であると葛(2017)は主張した。葛(2017)の調査対象であった2名の日本語専攻生は2人とも日本のアニメ・漫画への強い興味から日本語専攻を選んだため、日本文化に自然に目を向けるようになった。しかし、本研究は、この点において大きな違いがある。詳しくは3-2-1で述べるが、本研究の調査対象である茜さんと傑くんは2人とも日本文化や日本語への興味によって日本語専攻を選んだわけではなかった。日本文化はこのような学生の日本語学習経験においてどのような役割があるのかを考察する必要もある。
山内(2019)はフランスの国立大学で日本語を主専攻として選択した学生に注目し、日本語を卒業まで継続して学んだフランスの日本語専攻学生は、日本語学習体験及び日本語学習に関わる多様な学習体験を連携させ、「日本語学習と人生の繋がり」を構成していることを示した。山内(2019)によれば、フランスと日本との距離的制約と労働市場における日本語人材の需要の低さにより、フランスで日本語を学ぶということは「使うあてのない外国語学習」となる。そして、このような背景下では、日本語専攻生の日本語学習に対する意義づけは、それを人生の中にいかに位置づけるかによって変わると述べている。中国は確かにフランスより日本との地理的な距離も近く、フランスより日本語を使う仕事のチャンスも多い。しかし、日本語専攻の実用的な価値が低下している現在の状況下では、中国の日本語専攻生も自分の人生における日本語学習の位置づけを考えないわけにはいかない。
3-1本研究における「意義」の定義とそれにアプローチする方法
本研究において「意義(meaning)」という言葉を使う際には、それは「物語的意味形成(narrative meaning-making)」(Polkinghorne、1988)の概念を指すものとする。Polkinghorne(1988:瀬尾2020引用)によれば、人間社会の現実は「物質的領域(material realm)」、「有機的領域(organic realm)」及び「意味的領域(realm of meaning)」という3つの領域の間の関わり合いによって構築され、人間を単なる生命ではなく意識と言語を持つ思慮的な存在たらしめているのは意味的領域であり、この領域を探求することが人間を理解する上で必要である。なお、Polkinghorne(1988)の「意味的領域」について、李(2021)は、人間の意味的領域へ接近することは「物語」1を通すことでしかできず、人間は自分の経験に関する物語を語り、語り直しているうちに経験の意味を生み出すと解説している。つまり、「物語的意味形成」とは、出来事と出来事を筋立てて物語の形として語ることを通して、自分の経験を意味づけることなのである(瀬尾、2020;李、2021)。
人間が自分の経験に付与する意味を物語の形を通して明らかにする研究方法の1つにライフストーリー研究法がある(中山、2021)。ライフストーリー研究法は語り手の人生全体あるいはその一部に焦点を当て、語り手の経験や見方を探求する、主観的世界の解釈を重視した研究法とされる(桜井、2005)。従って、これは本研究が目指す日本語学習経験の意義を日本語専攻生自身の視点から考察することに合致していると考える。
3-2調査概要
3-2-1調査対象
本稿の調査対象は中国のA大学の日本語学院に在籍した2名の学生であるが、この両名を茜さんと傑くんと呼ぶ。インタビュー当時は2人とも大学3年生でN1の受験勉強をしていた。2人とも日本への留学経験はなかった。茜さんは自らの意志で日本語専攻を選んだが、傑くんは中国の大学入学試験における専攻振り分け制度2による不本意入学である。
筆者と調査対象の関係性について述べると、インタビュー当時、筆者はA大学の大学院生で、茜さんは筆者が学部生時代に所属していた部活の後輩だった。そして、傑くんは筆者がTAとして担当したクラスの学生であった。本研究の問題意識に照らせば、調査対象は「意欲的に日本語を勉強している」日本語専攻生でなければならない。そのため、筆者がその観点から自分の知り合いの後輩の中から意識的にこの2名の調査対象を選び、インタビューを依頼した。2人とも、インタビュー開始の時点で、筆者と知り合ってから1年以上経過しており、ある程度の信頼関係を構築できていた。
3-2-2データ収集
インタビューはコロナ前の2019年の10月に行い、調査対象たちから同意を得てその内容をICレコーダーで録音した。インタビューの使用言語は筆者と調査対象の母語の中国語である。2名の調査対象に対してそれぞれ1時間28分と1時間21分のインタビューを実施し、その時間内のすべての発話を分析の対象にした。インタビューを終えてから、録音したデータを文字化し、筆者が日本語へ訳した。その後、2名の調査対象それぞれのストーリーを作成し分析に用いた。
「日本語専攻生が日本語学習経験から見出した意義は自分の人生の中に日本語をどのように位置づけるかによって変わる」という山内(2019)からの知見を受け、インタビューでは、まず、調査対象たちが日本語専攻を選んだ理由と大学卒業後の計画について聞いた。そして、調査対象たちが自分の日本語学習経験に付与する意義を聞き取るために、大学ではどのように日本語を勉強しているのか、日本語を勉強している間、特にどんなことに力を入れているのか、日本語学習によって自身がどう変化したと思っているかを聞き、調査対象が物語の形で自分の経験を語るように促した。
4-1 茜さんのストーリー
【日本語を学び始めたきっかけ】
茜さんは高校時代、理系の学生だった。茜さんの両親は2人とも医者であるため、両親は茜さんに医学部に入ってほしかった。しかし、茜さんは小さい頃からアメリカと韓国のドラマを見るのが好きで、外国の文化に憧れがあり、将来、絶対外国語を学びたいと思っていた。
茜さんは大学に入る前に日本語に触れたことはなく、特に日本文化に興味を持っていたわけでもない。それでもA大学の日本語専攻を選んだのは、熟慮の結果である。中国の経済が進んでいる地域には、幼児の時から英語を習い、大学に入る前にすでにニアネイティブのレベルに達する学生も多い。このような学生たちには英語では敵わない、そして、中国には朝鮮族がおり、彼らにとって韓国語はほぼ母語のようなものなので、自分が韓国語を勉強する意味はない、と茜さんは思っていた。その結果、茜さんは小さい頃からアメリカと韓国のドラマが好きであったにもかかわらず、英語と韓国語以外の外国語から大学の専攻を選ぶことにした。また、茜さんは、外国語を学ぶ際には環境が重要な要素であると思い、内陸の都市より、国際交流が盛んな港町のほうが外国語を学ぶのにいいと考えた。そこで、港町にあるA大学に目を向けた。A大学の日本語専攻が全国的に有名なこともあり、最終的にA大学の日本語学院へ進学することを決めた。A大学の日本語専攻に進学できたことについて茜さんは以下のように語った。
茜:10年前、A大学の日本語専攻は全国1位とも言えるくらいレベルが高かったのではないでしょうか。ここ数年間は北京と上海のいくつかの大学に超されましたが、それでも全国的にはレベルの高いほうです。A大学の日本語専攻で成績が上位のほうになれれば、自分は優秀な日本語学習者と自信を持って言えるのではないかと思っていました。
【卒業後の計画】
茜さんは一時は、卒業後、日本へ留学し、日本語を使って何か他の専攻を勉強することを考えていた。どの専攻にするかはまだ決まっておらず、これから自分の可能性を見出すつもりである。また、茜さんは日本へ留学することを優先して考えていたが、翌年4年生になったら就職活動もしたいと思っており、よい仕事があれば、そのまま就職する可能性もある。
茜:卒業後は日本へ留学に行きたいです。日本で日本語を学ぶのではなく、日本語で何かを勉強したいと思います。専攻はまだ決まっていません。いろいろやってみてから決めたいです。もし、日本語が使える、将来性のある仕事に就くチャンスがあれば、そのまま就職してもいいと思います。自分の可能性を狭めたくないです。
【日本文化への理解は就職の時の日本語専攻生の強み】
茜さんの周りに、日本語専攻ではなく、独学でN1に合格した人がいる。茜さんは卒業後、就職することも考えていたため、そのような人の存在に茜さんが危機感を感じ、就職の時の日本語専攻生の強みは何だろうと考え始めた。
茜:周りには、日本語専攻ではない学生でも独学でN1かN2に合格した知り合いが多くいます。そのような人たちと比べて、就職する際に私が日本語専攻生である強みについてよく考えます。私の考えでは、日本語専攻生として、言語能力に加えて、日本の歴史や文化、または日本社会を理解していることが私たちのメリットだと思います。
日本の文学作品や日本文化に関する本を読むことを通しても日本文化を理解することができるが、そこには「時差」が存在すると茜さんは思った。そこで、「今」の日本文化を知るために、彼女は積極的に日本人の友人を作っていた。A大学には、「日本語コーナー」という毎週行われる日中交流イベントがあり、茜さんはそこで、何人かの日本人の留学生と知り合った。そして,茜さんは日本人の友人と付き合っているうちに、コミュニケーション上の障害が起きた時は相手の立場に立って理解しようと心がける。
茜:日本人の人間関係における距離感は中国人より少し遠いと感じました。日本人の友人と知り合ってからお互いに何回もプレゼントを交換したり、一緒に図書館に行ったりしていました。私的にはもう仲のいい友達のような関係だと思いますが、「壁」のようなものの存在はまだ感じられます。それはたぶん、日本には古くから「縄張り」という文化があるからです。他の人が自分の領地に入ったら、すぐ排除してしまうという文化です。相手の立場で考えれば、すべてのことは理解できると思います。
上記以外にも、茜さんは日常生活のさまざまな場面で日中文化の差異に敏感に気づき、その差異の原因について考えるようにしている。例えば、インタビューの際に、茜さんはA大学の代表として、A大学が所在する市で開催される日本語のスピーチコンテストに出場するために多くのスピーチの原稿を作成し、その修正を日本人教師に依頼した際、そのフィードバックを通じても日中両国の文化的差異を感じた。
茜:私がスピーチコンテストのために書いた原稿は、いつも日本人の先生に修正していただいています。そして、高校時代に国語の作文を書くような感覚で日本語の原稿を書いたところ、先生からは、よく「茜さん自身は具体的に何をしましたか」とか、「スローガンだけではなく、具体的に何をすればいいのかを書いてみたらどうですか」といったコメントをいただきました。最初はこのようなコメントにとても戸惑いましたが、だんだん理解できるようになりました。恐らく、中国語の作文では書き手の思想の深さや高さが重視されるのに対し、日本語の作文は、書き手に具体的で現実的な考えがあるかどうかが重視されると思います。これも日本と中国の間の価値観の違いではないかと思います。
【日本語学習による自身の変化】
日本語を勉強し、そして、積極的に日本文化を理解しようとする中で、茜さんは自分自身の成長も感じた。茜さんは「鈍感」と「気が付く」という2つの日本語の言葉を使い、日本語を勉強する前後の自分の性格においての変化を語った。
茜:今思えば、私は以前、本当に鈍感な人でした。人の言うことを文字通りに理解することしかできませんでした。例えば、教室で誰かに「ちょっと寒いですね」と言われたら、それは「窓を閉めてほしい」という意味だなんて全然思いつかなかったです。日本語を勉強して自分は以前より少し気が付くようになったような気がします。そして、自分の言いたいことを言うときも、他人を傷つけないようにもっと婉曲的な言い方がないかを考えてから話すようになりました。
4-2傑くんのストーリー
【日本語を学び始めたきっかけ】
傑くんは高校時代、文系の学生で、最も好きな科目は英語だった。しゃべることが好きで、外国語ができたら他の国の人とも交流することができるようになるので、早い時期から大学で外国語を学ぶと決めていた。大学入試の時の第一志望は当時就職しやすいと言われたA大学のスペイン語専攻だったが、点数が足りず日本語専攻に振り分けられた。しかし、傑くんは自分が日本語専攻に振り分けたことに対して、とてもポジティブに考えていた。
傑:高校時代から外国語が好きです。しかし、世界にはたくさんの言語があります。自分がどの言語に向いているのかは分かりませんでした。最初の頃、スペイン語専攻に入れなくて少し残念でしたが、今は日本語を勉強していて、日本語の勉強に自分は向いていると思います。もしあの時スペイン語専攻に入ったとしたら、今の日本語のようには上達できなかった可能性もあります。なので、日本語専攻に入ってよかったと思っています。
【卒業後の計画】
傑くんは大学卒業後にすぐ就職することを考えていた。そのため、優秀な社会人に必要な能力は何かとよく考えていた。傑くんが知っている優秀な社会人の先輩たちの中には、最初は日本語を使う仕事に就くものの、そのあと、どんどん違う分野で活躍するようになり、日本語を使わなくなる人が多かった。
傑:僕は今3年生ですが、卒業したらすぐ就職したいです。最初はたぶん日本語を使う仕事を探します。就職ができた後は、仕事をしながら、他の技能を身に着けたいです。その後はどんどん日本語から離れていくと思います。そのため、日本語能力はもちろん重要なのですが、長期的な視点で見ると、日本語を学ぶことで広げられた視野、そして、鍛えられた思考力のほうがよりと重要ではないかと思います。
【日本語を学ぶことで視野を広げ、思考力を鍛えたい】
自分の視野を広げる方法として、傑くんはいろいろな国から来た留学生の友人を作ることを挙げた。傑くんは日本人の友人以外に、韓国人やオーストラリア人の友人もいる。留学生たちと付き合うことで、同じ国から来た人たちもそれぞれ自分の個性を持っていて、一人の性格を国民性とまで拡大解釈するのはいけないことだと思うようになった。
傑:今まで、日本人、韓国人またはオーストラリア人のような英語圏から来た留学生と関わったことがあります。僕は日本語専攻生ですけれども、日本人の留学生との関係が他の国の留学生よりいいということはありません。どの国にも気が合う人もいれば、気が合わない人もいます。今は一人の性格をその人の出身の国民性だと拡大解釈しないように心がけています。
そして、茜さんと同様に、傑くんも日本人の友人と交流を重ねる中で、日常生活の様々な場面で日中文化の違いに注意を向け、その背後の理由を考えようとしている。例えば、傑くんは日本人の友人はほとんど全員「手帳」というものを活用して上手に日程管理をしていることに気づき、なぜ、中国人の大学生はそうしないのかと考えたこともあった。
傑:ある日本人留学生のEさんと知り合ったのをきっかけに、彼を通じて多くの日本人留学生と知り合うことができました。そこで私は、日本人の大学生のほとんどが手帳というものを持って、それを使ってしっかり時間管理していることに気づきました。なぜ、中国の大学生はそうしないのかという話になると、中国人は時間をそこまで厳しく考えていないからと思う人もいますが、それもあるかもしれませんが、それだけではないかなと思います。日本の大学生は大学に住んでいなくて、大学に通いながらアルバイトをしている人も多くて、一日のスケジュールがそれぞれ違います。しかし、中国の大学生はみんな寮生活で、アルバイトもしなく、周りとほぼ同じスケジュールで動くのが普通だから、そんなに細かく時間管理しなくても困らないです。それに、中国人の大学生が寮に住むこととか、アルバイトをする必要がないとかのことは、また中国の政治や経済とも深く関わっていると思います。
また、思考力を鍛える方法として、日本文化を多角的に見ることを傑くんはあげた。
傑:授業の中で日本と言えば、大多数の先生たちは先進国、環境がきれい、国民が礼儀正しいというような日本の良い面を話しています。しかし、それはあくまでも日本の一側面です。日本は先進国ですが、貧困問題も深刻です。せっかく日本語を学んだのだから、日本のことを多角的に見たいです。自分の思考力を鍛えることにもなりますから。
【日本語学習による自身の変化】
傑くんは日本語を勉強する中で、日本式の思考様式や価値観から影響を受け、自分自身を反省するようになった。日本語を勉強してからの自分の変化について、傑くんは日本語の「優しい」という言葉を使って説明した。
傑:高校時代の僕はまさに不良少年でした。他人の気持ちはあまり気にせずに、話し方も丁寧ではありませんでした。今はある程度「優しい」人になりました。他人の立場で物事を考えることもできるようになったし、礼儀正しさの重要性にも気づきました。
5-1日本語を学ぶことに見出した実用的な価値と日本文化の重要性
茜さんと傑くんのストーリーから、彼らにとって、日本語を学ぶことは彼らの将来の進学や就職において実用的な価値を持っていることが分かる。茜さんは卒業後日本の大学院へ進学すること、そして日本語を使える仕事に就くことを考えていた。どちらの道に進んでも日本語は重要な役割を持つ。また、傑くんは自分がいつか日本語を使わなくなることを想定しているが、それでも、社会人になって最初の段階では日本語を使う仕事に就くことは否定していない。茜さんと傑くんは2人とも、大学入学前は、日本語が好きでもなく、日本語に触れたことさえなかったが、日本語を勉強しながら自分の将来の人生設計の中に日本語を編み込み、「日本語学習と人生の繋がり」を構成してきた。
さらに、茜さんと傑くんは2人とも日本文化の重要性を強調していた。彼らにとって、日本語を学んで日本文化を理解することは自分のキャリアアップに繋がるという意義を持っている。茜さんは、日本語専攻ではないのに独学でN1に合格した人と比べた、日本語専攻生としての自分の強みは何かを考えた結果、「日本語能力に加え、日本の社会や文化に対する理解が自分たちの強みである」という結論に至った。一方、傑くんは日本語を学ぶことで「広い視野」と「思考力」を自分の中に取り入れることが重要であると思い、「日本文化を理解すること」がこれらの能力を身に着ける大事な方法であると思った。そのため、茜さんと傑くんは日常生活の中でも意識的に日本文化と中国文化を比較し、両国の間の文化の差異の原因は何かと自分なりに解釈しようと努力していた。茜さんは日本人留学生とのコミュニケーションの中で違和感を覚えた際、それは日本には古くから根付いている「縄張り」という文化の影響によるものだと解釈した。また、日本人教師がスピーチ原稿に対して行ったコメントからも、日中文化における価値観の違いに敏感に気づいた。一方、傑くんは日本人の大学生が手帳を使い、真面目に時間管理をしているのに対し、中国人の大学生はあまりそれをしないことについて、「中国人は日本人ほど時間を厳しく考えていない」と単純に解釈するのではなく、その背後には両国の政治や経済の影響が複雑に絡み合っていると考えていた。
5-2生き方を構築するための日本語学習
茜さんと傑くんにはもう1つの共通点がある。それは、彼らは2人とも、3年生の時点で自分の人生を長いスパンで見て、自分はいつか「日本語専攻生」ではなくなり、他の分野で活躍するような者になることを想定していることである。茜さんは卒業後、日本へ留学し、日本語「を」学ぶのではなく、日本語「で」何かを学びたいと述べていた。傑くんも自分がいつか他の「技能」を身に着け、日本語から離れていくことを想定していた。
このような彼らの人生においても、日本語を勉強することは実用的な価値以外の意義がある。それは、日本文化という異文化に出会ったことをきっかけに、今までの自分の生き方を内省するようになったということである。例えば、茜さんは日本語を勉強することで、以前の自分より気が付くようになったと感じた。以前の自分は他人の言うことを文字通りにしか理解できなかったが、日本語を勉強してから他人の言葉の背後の意味も考えるようになった。また、傑くんは昔の自分を反省し、礼儀正しさの重要性に気づき、他人のことを配慮できるようになった。縫部(2001)は、外国語学習が学習者の成長欲求を促進するのに有効であると述べ、外国語である日本語、異文化である日本文化を学ぶことによって、学習者自らの母語と母文化を顧みさせ、最終的には一個の人間として己のあるべき姿を確立することができると指摘した。茜さんと傑くんは日本語学習を通して、彼らが感じた日本人の生き方を鏡のようにして自分自身の生き方を内省し、これからの生き方を新たに構築した。これが、彼らが日本語を学ぶことを通して実感した自分自身の人間的な成長だと言えるだろう。
本稿は、意欲的に日本語学習に取り込んでいる中国の2名の大学日本語専攻生を取り上げ、彼らが日本語を学ぶことにどのような意義を見出したのかについて調査した。その結果、これら2名の語りから、日本語を学び日本文化を理解することには、自身の将来のキャリアアップに繋がる意義、またはこれまでの生き方を内省するきっかけとしての意義があることが分かった。
現在、絶えず変化する就職市場の状況に対応するため、中国の大学日本語専攻教育は実用的な価値ばかり重視し、人間的な成長を促す教養教育の機能が弱くなったという批判がしばしば見られる(喬、2014)。だが、本研究では、茜さんと傑くんのストーリーから、文化を理解することを通して実用的な価値と教養教育が実は共存できることが示された。しかし、残念なことに、茜さん、傑くんは日本文化を語る時、大学側が設置した「日本文化」や「日本概況」などのような日本文化関連の科目にはほとんど触れていなかった。筆者がこれらの授業について聞いても、調査対象たちは「ほとんど印象がありません」、「真面目に聞いていませんでした」と答えるだけだった。中国大学における日本語専攻教育を改善するには、文化教育の授業の質の向上が期待される。
機械翻訳技術が急速に発展し、またインターネットの普及により外国語を学ぶためのリソースが楽に入手できる現在、世界規模で言語を大学時代の専攻として学ぶ実利的な価値が低下しており、大学言語教育は大きな転換期にある(木村、2022)。本研究から得られた知見は中国の大学日本語専攻教育に限らず、世界中の大学言語教育のこれからの発展を考える際にも参考になるだろう。だが、中国には18万人近い日本語専攻生がいる。本研究の2名の調査対象はその中のごく一部の学生しか代表できていない。今後、日本語専攻の卒業生や現場の教師たちの語りも聞いたうえで、中国の大学日本語専攻教育がどう改善されるべきなのか、具体的にどのような教育実践が考えられるのかをさらに議論していきたい。
参考文献
【日本語】
葛茜(2015).中国の大学日本語専攻教育における教育理念の意味づけと問題点―言語教育政策の分析を中心に『日本研究教育年報』19,1-18.
葛茜(2017).中国人日本語専攻生の文化的アイデンティティと日本語を学ぶことの意義―留学中の元日本語専攻生のライフストーリーから『日本語・日本学研究』7,85-95. http://repository.tufs.ac.jp/bitstream/10108/88968/1/jo000705.pdf
木村護郎クリストフ(2022).異言語間コミュニケーションの一方略としての機械翻訳『ことばと社会』24,18-36.
喬穎(2014).『中国の日本語教育と大学日本語専攻生の対日認識の形成に関する研究―日本語教育における「個人」の意義』[博士学位論文,早稲田大学]早稲田大学リポジトリ. http://hdl.handle.net/2065/44826
国際交流基金(2023).『海外の日本語教育の現状―2021年度日本語教育機関調査より』国際交流基金. 国際交流基金 - 2021年度 海外日本語教育機関調査 (jpf.go.jp)
桜井厚(2005).『境界文化のライフストーリー』せかり書房.
瀬尾悠希子(2020).『多様化する子どもに向き合う教師たち―継承語教育・補習授業校におけるライフストーリー研究』春風社.
中山亜紀子(2021).ライフストーリー.八木真奈美,中山亜紀子,中井好男(編)『質的言語教育研究を考えよう―リフレクシブに他者と自己を理解するために』(pp.105-126)ひつじ書房.
縫部義憲(2001).『日本語教師のための外国語教育学―ポリスティック・アプローチとカリキュラム・デザイナー』風間書房.
山内薫(2019).『「学習と人生のつながりの軸」の形成と意識化を目指した日本語教育―フランスの日本語専攻学生の移動性に注目して』[博士学位論文,早稲田大学]早稲田大学リポジトリ. http://hdl.handle.net/2065/00063321
李暁博(2021).ナラティブ・インクワイアリ.八木真奈美,中山亜紀子,中井好男(編)『質的言語教育研究を考えよう―リフレクシブに他者と自己を理解するために』(pp.47-69)ひつじ書房.
【英語】
Polkinghorne, D. E. (1988). Narrative knowing and the human sciences. State University of New York Press.
【中国語】
曹大峰,费晓东(2018).中国高校日语学习环境的现状研究(1)―基于问卷调查的分析结果[中国の高等教育機関における日本語学習環境の現状に関する研究(1)―アンケート調査の結果に基づき]『日本学研究』28,89-108.
杨雅琳,曹大峰(2019).中国高校日语学习环境的现状研究(2)―基于深度访谈的分析结果[中国の高等教育機関における日本語学習環境の現状に関する研究(2)―インタビュー調査の結果に基づき」『日本学研究』29,107-128.
本稿において、文脈によって「物語」、「ストーリー」という2つの用語を使うが、どちらも同じ意味である。
中国は日本と異なり、大学や専攻ごとに入試が分かれておらず、一回の統一試験で進学先が決まる。志望大学への入学だけを望み、特に専攻へのこだわりがない学生に向けて、「専攻振り分け制度」が設けられている。願書を提出する時に「専攻の振り分けに従う」ことにした学生は、志望大学の志望専攻の合格ラインに達していない場合でも、その大学の他の合格ラインが比較的に低い専攻の合格ラインに達していれば、その専攻に振り分けられ、当該大学への入学ができる。だが、理系の学生が文系に、文系の学生が理系に、受験生は自分が思いもよらない専攻に振り分けられるリスクも存在する。