ファルマシア
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オピニオン
フッ素化学の果たす役割,昨日・今日・明日
田口 武夫
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2014 年 50 巻 1 号 p. 1

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抄録

十数年前になるが,アメリカ化学会フッ素部会でのシンポジウムの標語が“Fluorine, a small atom with a big ego”であった.「サイズは小さいが極めて個性豊かなフッ素」について理論と応用の両面から,より一層の新知見や新技術さらにフッ素の有効利用について議論しようという趣旨であり,フッ素の特徴を的確に表現したものである.フッ素化合物の重要な応用分野は,工学的展開における機能性材料と生物活性や薬理効果に基づく医薬品や農薬とに大別でき,現代社会においてフッ素化合物の利用は不可欠である.
1928年にフロンガスが,1938年にポリテトラフルオロエチレン(テフロン)が発見された.そして第2次世界大戦を経て20世紀半ば以降にフッ素化合物が我々の身の回りに数多く出現し,フッ素の利用は大きな躍進を遂げてきた.他の元素では実現できないフッ素の極めて特異な性質によるものであり,フッ素化学は20世紀の歴史の1ページを飾るものと言えよう.しかし,1974年ローランド博士らによって,大気圏内で難分解性のフロン(クロロフルオロカーボン類)による成層圏オゾン層の破壊が指摘され,さらにフロンは地球温暖化の一因としても認識された.1996年の特定フロンの全廃,使用上の規制や回収・分解技術の構築,代替フロン開発の必要性などは,フッ素化学のイメージダウンとなった.一方で,エネルギーと環境問題に関連する電池分野,技術革新の著しい半導体分野,さらにナノマテリアルをはじめとする新材料分野でフッ素化学は急速に発展し,今後も飛躍的に拡大していくものと思われる.
医農薬分野でもフッ素の利用には着実な進展が見られる.1953年に発表されたコルチゾール9位へのフッ素導入による抗炎症作用の増強,また5-フルオロウラシルのチミジン生合成阻害による抗悪性腫瘍薬としての登場は,医薬品開発におけるフッ素の利用と有機フッ素化合物の合成法の開発を著しく促進させることになった.現在臨床で用いられている合成医薬品の約16%が含フッ素化合物であり,最近20年間の開発品でもこの数字はほぼ同じである(538品目中90品目が含フッ素化合物).農薬分野ではフッ素の利用は極めて大きい.農薬全体に占める含フッ素化合物は約17%であるが,2001年以降に発売された農薬は実に52%が含フッ素化合物である.医薬品と農薬では認可の基準が異なるが,フッ素導入により活性の改善が顕著であることを示している.
生物活性や薬理効果を考慮したときのフッ素の主な特性は,(1)原子サイズが水素に次いで小さいことに基づく水素のミミック効果,(2)全元素中で最大の電気陰性度に基づく静電的因子,(3)炭素―フッ素結合の大きな結合エネルギーに基づく代謝的安定性,(4)フッ素導入による疎水性の変化に基づく体内動態への影響などである.さらに最近では,X線結晶構造解析データに基づいたフッ素含有薬物のC―F結合と標的の酵素や受容体タンパク質との詳細な相互作用解析など,フッ素導入効果に関する議論に新しい切り口が提案されている(参考:MEDCHEM NEWS,19,7―12(2009)など).現実にはフッ素置換体を含めた多くの関連誘導体の構造活性相関の検討から新薬候補が誕生するが,フッ素誘導体の今後ますますの活躍を大いに期待している.

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© 2014 The Pharmaceutical Society of Japan
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