2018 年 54 巻 5 号 p. 450-451
潮風薫る八幡浜から内子に向かう。抜けるような青空と、ミカンであろうか陽光を照り返す緑の木々がまぶしい。いかにも南国である。内子は、江戸後期から明治にかけて木蝋(もくろう)の生産で栄えた。木蝋は櫨(はぜのき)の実から油脂分を抽出し、多くの工程を経て作られる。照明としての役割の終焉、安価なパラフィン系の蝋への置換、さらにろうそくそのものの需要の低迷が重なり生産量は激減しているが、往時にはこの木蝋と伊予紙や大洲半紙に代表される和紙産業が大洲藩6万石の屋台骨を支えたという。