人類の歴史は採集の歴史でもあった。採集とは人間のために自然からものをとることであり,理科教育においても実物教育として長年採集が行われてきた。これを歴史的に追ってみると次のような型が考えられる。1. 生物を採集し,それを教室に持ってきて,教科書に書いてある分類,形態,効用等と対比しながら学習する。2. 生物を採集し,標本をつくって後の学習の資料とする。3. 生物を採集し.それを飼育栽培することによって,生物の継続観察をしたり,後の学習の資料とする。4. 野外学習として採集がある。生物の生活や生態系を調べる。小学校低学年では遊びながら学習する。5. 個人の採集を課題として出したり,クラプ活動.グループの採集で,郷土や他の地域の生物の目録をつくる。生物の採集のピークは明治後期から大正の初期と昭和十年前後であった。一方では生徒の好奇心と蒐集欲と所有欲を満足させるだけで採集そのものが目的となっている。それが自然を破壊するとは誰も考えなかった。教科書には生物の役割や生物相互,自然との関連が書いてあり.学習したのにもかかわらず.採集とは無関係であった。採集は日本人の自然観を形成し,自然の無限さと自然の自己所有,人間が自然を支配するという自然観をつくった。自然保護が強調され,採集せず観察の方向へ最近ではいっている。以前は日本の生物学の分類形態の背景と人間の利害関係を背景にして採集が行われ,非科学的な自然観を生んでいった。自然に親しみ,友とした日本人は採集という矛盾したことを行ってきた。現状と未来を考えて理科教育は自然というものを考えて採集を根本的に改め,教育効果が上がるようにしなくてはならない。