本稿の目的は,翻訳のプロではない研究者/言語教育実践者が英語で書かれた学術書を日本語に訳して出版するという行為にまつわる葛藤,そしてそこから見出し得る社会的貢献について考察することである。具体的には,これまでに訳書1冊を協働的に出版し,現在は別の翻訳プロジェクト2件に関わっている私がその過程で経験した葛藤を,「翻訳の非専門家が訳書を世に出すこと」「機械翻訳を使用すること」「翻訳が既存の尺度では業績として評価され難いこと」という3つの観点から詳述する。次に,そういった葛藤を抱きながらも,私自身が知り得た学識を「共有知」として他者と分かち合っていく試みが言語文化教育をはじめとする研究領域のみならず,一般社会にとっても,重要かつ必要不可欠であることを論じる。最後に,そのような取り組みが結果として地域間・文化間・言語間における学識上の格差を是正していくことに資するという点を主張して,結びとしたい。