1988 年 61 巻 7 号 p. 525-540
本稿は,戦前の文部省中等教員検定制度における地理の受験者を中心とする実態を,時代の背景の中で明らかにし,戦前の地理学と地理教育との関係の一側面を考察しようとするものである.
文検制度は明治18年から昭和18年まで行なわれ,約1,500人の学校での養成を経ない有資格地理教員を送り出した.また地理学の成果を広め,地方の青年の向上心の受け皿となり社会に活力を与えてきた.文検を介しての地理学と地理教育との関係はおよそ3つの時期に分けられる.最初は地理教育は行なわれたが近代地理学は導入されていない時期.次は自然地理学が興り,それが地理教育にそのまま持込まれた時期,最後は人文地理学が拾頭するとともに,地理学と地理教育との関係について問題が生じた時期がそれで,それぞれ委員の構成メンバーや受験者の状況が異なつている.結局は,文検という特殊な制度との関わりが大きかった地理分野では,地理教育の独自性は論議されずに戦時体制に傾斜していった.