近代教育フォーラム
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「Learningの思想史」の戦略を問う : ふたつの「学習」が必要か(コメント論文,Learningの思想史・序説,Forum 2)
宮寺 晃夫
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2004 年 13 巻 p. 93-102

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抄録

教育学言語としての「学習」は、心理学言語としてのそれとはことなるつかわれ方をする。心理学言語としての「学習」は行動主義的に定義され、S-Rによる習慣形成から高度な知識の習得まで、ひろく行動の変容を説明する原理としてつかわれる。それにたいして、教育学言語としての「学習」は内容特定的に規定されてはじめて意味をもつ。それゆえ、教育学の立場で関心があるのは、「何が学習されるか」(What is learned?)であって、「学習とは何か」(What is learning?)ではない。この内容特定的に規定される「学習」のルーツはどこにもとめられるのか。ひとつは中世大学でのLiberal artsの学習である。それを松浦氏は'Learning'と大文字で表示し、それは<教える-学ぶ>の教育関係から自立した「人間の知的営み」であったとしている。これは重要な着眼である。しかし問題は、Liberal artsという特定化された内容のLearningが、教育学言語としての「学習」(learning)にどのようにつながっていくかである。このLearningからlearningへのトランスファーを、本稿では思想史的にあとづけていく。

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