人文地理学会大会 研究発表要旨
2002年 人文地理学会大会 研究発表要旨
セッションID: 409
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第4会場
ポストモダニズムとリアリズム
とある論争と、その「地図」
*泉谷 洋平
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抄録


  ここ2、30年の間に、社会理論や文芸批評、ポスト構造主義哲学などにおいて空間的語彙への言及が増加してきたことにより、従来縁の薄かったこれらの領域と人文地理学とが接点を持つ機会が、ますます増えつつある。それにともない,人文地理学と他分野との境界が次第に不明瞭になるとともに、いわゆる「地図の無い人文地理学の研究」が目立つようになった。このような研究においては、ポストモダンという語が(その意義をどのように理解するか、それに対していかなる態度をとるかはともかく)一つのキーワードとなっており、とりわけその徴候が顕著になったのは、1980年代の後半から1990年代の前半にかけての時期であったと思われる。英語圏を中心とした近年の人文地理学のこのような動向は、日本の人文地理学において、「百花繚乱」、「百家争鳴」などと表現されるように、ある種のカオス状態として受け止められている。本報告の目的は、このような近年の英語圏における人文地理学の理論的研究の状況を、単に「混沌」としでなく、少しでも理解可能なものとするための見取り図を提供することにある。
  ところで、日本において近年の英語圏における人文地理学の研究動向を、ポストモダン人文地理学の名のもとに整理したものとして、加藤(1999,人文地理51,164-182)がある。そこでは、1980年代後半から1990年代の初めにかけて人文地理学でポストモダンの議論に先鞭をつけた代表的論客であるハーヴェイ、ソジャ、ドイチェ、マッセイらの中に、〈対象としてのポストモダン/態度としてのポストモダン〉 という対立軸(それは、やや乱暴に要約すれば、〈ハーヴェイ・ソジャ/ドイチェ・マッセイ〉という対立軸でもある)を見出しうることが指摘されている。さらに詳細に検討すれば、〈対象としてのポストモダン/態度としてのポストモダン〉が〈ハーヴェイ・ソジャ/ドイチェ・マッセイ〉のみならず、〈地理学に固有の「知」/フェミニスト地理学を中心とする批判理論〉という区別とも重ねられていることが分かる。
  しかし、このような区別は、私見では「ポストモダン人文地理学」の適切な見取り図を提示するものではない。われわれの目に近年の英語圏の人文地理学が「百花繚乱」と映るのは、〈対象としてのポストモダン/態度としてのポストモダン〉という区別が日本において十分に理解されていなかったからではなく、むしろ、1980年代後半から1990年代初め(加藤1999のレビューの対象となった時期)において、すでに〈態度としてのポストモダン〉自体が差異化していたためである。すなわち、〈懐疑的ポストモダニスト〉と〈批判的実在論〉という二つの異質な理論的立場が、90年代のはじめにはここでいう〈態度としてのポストモダン〉の中に亀裂を生じさせていたのである。前者は、現況の知的困難を抜け出すために、いわゆる「表象の危機」の問題にこだわって考え抜くことで新しい方向性を模索しようとする立場で、後者は逆に表象の危機の問題で明らかになった知的デッドロックを部分的に承認した上で、表象の相対的な確実性に依拠した科学的実践の可能性を模索する的立場との確執である。この時期に文化地理学やフェミニスト地理学などさまざまな下位分野で生じた論争は、ここで検討する対立を反復するものであり、同様の対立は人文地理学のみならず,他の人文社会科学や現代思想の諸領域でも反復されていた。
  今回の報告では、1990年代前半にAAAG誌およびAntipode誌上で、〈対象としてのポストモダン〉、〈懐疑的ポストモダニスト〉、〈批判的実在論〉それぞれの確執を孕みつつ展開した、相互に関連する二つの理論的論争の検討を通じて、以上のような〈態度としてのポストモダン〉の見取り図を、実際にあった論争の過程を「地図」化しながら提示するとともに、論争という知的実践それ自体に孕まれる空間性の問題にも触れることにする。なお,本報告で対象とする論争は以下のものである。
I. AAAG.誌上で展開されたCurry、Pred、Hannah & Stromayerらの論争(1991-1992)
II. Antipode誌上で展開されたStrohmayer & Hannah、Barnett、Sayerらの論争(1992-1993)

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