人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
セッションID: 207
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第2会場
沖縄県豊見城市におけるマンゴーの主産地形成
*中窪 啓介
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抄録

 これまで沖縄農業が抱えてきた問題として,市場経済に対応した産地としての取り組みの不十分さがある。戦後,他県の農産物産地では,農協を中心とした主産地形成や,その発展型としての高度主産地形成が見られた。主産地では生産農家による機能的組織化が進められるとともに,高度主産地への移行に従って,農協が産地存続のために農家を従属させて市場細分化に対応する状況も発生した。  他方,沖縄県の農協では,これまで市場への組織的対応が十分に機能してこなかった。販売事業においては,共選共販体制が築かれた品目も少なく,市場に向けて商品を戦略的に販売してこなかったといえる。市場の要求である「定時・定量・定質」の出荷に応えるとともに,県行政が掲げる農作物のブランドを形成するためには,生産者の組織づくりが重要となっているのである。  これらを踏まえて,新興作物として将来性が期待されるマンゴー(アーウィン種)の主産地形成について取り上げる。マンゴーの導入は県北部地域が早く,農家主導で生産規模が拡大していった。他方,南部地域では遅く,農協主導によって産地化が進められていった。このため,南部地域では他地域よりも県産マンゴー出荷量に占める農協共選取扱率が高く,産地としてのまとまりも良いといわれている。南部地域は,農協のマンゴー販売事業にとって重要な拠点となっているのである。南部地域の中でも特に豊見城市は,農産物を安定供給できる産地として,県行政によってマンゴーの拠点産地に指定されている。発表では,豊見城市におけるマンゴー産地を事例対象として取り上げたい。  豊見城村では1970年代後半に,数戸の農家によってマンゴーが導入された。初期のマンゴー農家は,主に農外収入に多くを依存する経済基盤の豊かな農家のみに限られていた。しかし1980年代後半より,産地規模は急速に拡大していった。この主因として,県内でマンゴー生産への意欲が高揚していったことに加えて,村内3地区への土地改良事業の導入と,マンゴーを対象とした補助事業の導入があった。  村では導入当初より,農家と農協との協同で産地化が進められていった。マンゴー農家のほとんどは,農協の生産部会に所属し,農協へマンゴーを出荷していた。農協の販売事業では,共選共販体制の構築や販売経路の複雑化など,市場への集団的対応も早くから図られていた。このため,販売事業の取り組みに遅れがあった県内他産地に対して,豊見城村のマンゴー産地は市場関係者から高い評価を得ていた。  しかし1990年代半ばより,農協の流通体制をめぐって篤農家の「農協離れ」の問題が現れた。この問題は,県内の農協の統一を機に,さらに他の多くの農家にも見られるようになった。その要因として,一つ目に,篤農家においては,産地が拡大し様々な生産者が農協に出荷するようになる中で,農協の販売事業は,自身が生産する高品質の果実の特権性を十分に保証していないと考えたこと,二つ目に,多くの農家が,農協の統一によって,それまで築かれてきた高い産地評価や独自の販路が損なわれると捉えたこと,三つ目に,多くの農家が,産地形成に大きな役割を果たした農協の果樹担当者の異動に反感を抱いたことが挙げられる。  農家の農協外出荷を支える主因として,県内外の市場において農協の寡占状態が築かれていないことがある。特に県中央卸売市場では,個別農家の評価が価格形成に強い影響を与えており,顧客の信頼を得られたならば,農協販売価格以上の高価格を実現することが可能である。また,県産マンゴーの多くは個人販売されており,観光関連業者や通販業者などへの出荷も多いといわれる。農協外出荷においても多くの需要が存在しており,流通の多様性が維持されているのである。  農家の農協離れに対して,豊見城市の農協共選区では,2006年以降,共選参加者に8割以上の出荷量と,時期や品質に偏りのない出荷の条件を課すようになった。さらに,選果を厳格化させ,品質基準の幅を広げ,多元的な流通網を開拓することによって,多様な生産者からの要求に応えようとしている。販売事業においては,県内業者との直接契約など,従来からの独自の販路を維持するとともに,県経済連の販売戦略に委ねた県外出荷の体制も構築されている。今後,市場において安定した高価格を実現するためにも,いかに産地内の農家を取り込んでいけるかが鍵となっているのである

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© 2008 人文地理学会
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