後期資本主義の時代における脱工業化の進展の中で、関西の産業界は厳しい状況に置かれている。また、資本や人のグローバルな移動によって「世界都市」としての東京の位置づけが強まっている。関西の衰退と東京一極集中という空間の再編成のもとで、もともと移動性が低かったはずの関西の私鉄系不動産資本による首都圏への進出という現象が確認される。1970年頃における近鉄不動産の先行例もあるが、2000年以降には京阪電鉄不動産、そして本稿で扱う阪急不動産が新たに首都圏への進出を開始した。鉄道沿線開発というビジネスモデルないし「阪急文化」を重視してきたはずの阪急不動産がなぜ、いかに首都圏進出を進めてきたかを明らかにする。