2020 年 45 巻 2 号 p. 109-116
20世紀初頭、アメリカ連邦治水法の特徴は低予算で流域開発優先の堤防事業であった。だが、1927年ミシシッピ川大洪水を機に、堤防万能論は否定され、総合河川管理が主流となった。連邦治水事業の大規模化に伴い、国の費用負担が増大するにつれて、地方負担の引き上げが要求されたが、連邦と地方の費用分担は、政治的取引、経済状況、省局間の権限争いに左右された。戦後、一貫性を欠く費用分担システムに対して、一律費用分担法案が議論され、1986年の水資源開発法において、一定の負担比率が定められるようになった。