印度學佛教學研究
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<根本法華>のシンボリズム(三)
――虚空會における生中心のドラマ(2)――
小谷 幸雄
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2008 年 56 巻 3 号 p. 1193-1201

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抄録

本稿(全三回)は大正末期から昭和の前半にかけて梵本法華經からゲーテ形態・發生學の發想と方法でそれの原型の摘出を試みた富永半次郎の業績紹介である.今回は涌出品後半の,六萬菩薩の誰一人をも知らぬ彌勒の釋迦への質問から始まり,有名な廿五歳の黒髪の青年(=父)と百歳の子達の譬喩の文脈を受けて壽量品が登場する.如來「壽命の詮量」とは「完成されたサンスカーラ」の認識判斷の詮量の謂で,人(プルシャ=純粹精神)による<五>百塵點劫點下は數論派の過去遡及・本源回歸の發想を改作し,五蘊を微塵的構成に見立て,意識・無意識の一回轉を一劫として,從來の時間形式の<劫>を踏襲しつゝ五蘊活動に還元して空間形式で表現したもの.過去遡源のみに非ざる「復倍上數」における現在活用の意義.後世形而上學的に「本覺」思想に展開する契機となった羅什譯の問題點にも觸れる.屬累品は五蘊正觀の證の委囑と認可.虚空會舞臺の後始末.最後に傳統・法華經に言及した英文著作二點に觸れる.1-H.Kern:"The Lotus of True Law"(序)は天體日月神話的にこの經典が佛陀の力と榮光を印象づけるとし,M.Anesakiは,「佛教のヨハネ傳」たるこの經典が現實問題の解決の鍵を佛陀の悟りと宇宙的眞理の同一視の中に探らんとすると述べる.因みに富永はゲーテ『ファウスト』の『ヨハネ傳』冒頭のLogos→行為の譯問題に「悲劇」の所以を見た.

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© 2008 日本印度学仏教学会
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