印度學佛教學研究
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楞伽経の識論
常盤 義伸
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2010 年 58 巻 3 号 p. 1219-1223

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抄録

南条校訂梵本をグナバドラ漢訳四巻本によって再構成した私家版(2003年,100部発行,贈呈了)による.1.法顕訳六巻本の大乗涅槃経は,涅槃を歴史上追憶されるべき過去の出来事とする理解から踏み出し,歴史自体の根源的な目覚めの各人における現成とする方向を示し,楞伽経はこれを思想建立の立脚点とした.2.楞伽経は,無著・世親の唯識思想の「五法,三性,八識,二無我」を総括するために「自心現」「自心現量」などの語を用いた.中辺分別論釈と関連する表現も用いられた.唯識三十頌の第二〇・二八偈を楞伽経が仏説として取り上げ論ずるうち第二八偈では,「知が依存すべき対象を見出さない」のは,その知が無知のためか他の障碍があるからではないか,として質問者が『サーンキャ・カーリカー』第七偈を思わせる用語を並べる.仏陀の答えは,果から因を類推するサーンキャ派の考えとの違いを浮き彫りにする.華厳経入法界品の解脱長者は自心(自分の心)を仏陀の力で輝かすべきだとするが,楞伽経では自心(自己である心)とはアーラヤ識を指す.自心現量とは,外の存在と見られるものは自己である心の対象化に他ならず,外の現れも自心も自性がなく空だ,ということ.楞伽経は,人々にこの理解を自ら会得し他の人々にも根のない迷妄から離れてもらうことを願うべきだと説く.3.楞伽経の如来蔵・アーラヤ識は,サーンキャ派のプルシャ・プラクリティ二元論を批判して佛教の立場を表明するために構想された概念だが,従来,如来蔵をプルシャと同視しアーラヤ識の闇に隠れた如来の胎児と解する擬似サーンキャ説が見られる.楞伽経はこの解釈を斥ける.如来蔵とは如来たちの源,如,を意味し,如来蔵・アーラヤ識とは目覚めていない如であるアーラヤ識ということ.目覚めた如は,三性の第三,真実の現成,如来蔵の本質現前,とされる.

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© 2010 日本印度学仏教学会
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