印度學佛教學研究
Online ISSN : 1884-0051
Print ISSN : 0019-4344
ISSN-L : 0019-4344
知覚定義の解釈をめぐるYuktidipikaとSamkhyatattvakaumudiの思想的共通性
近藤 隼人
著者情報
ジャーナル フリー

2011 年 59 巻 3 号 p. 1127-1131

詳細
抄録

Isvarakrsna(4-5世紀)の著した古典サーンキヤ体系綱要書Samkhyakarika(SK)では知覚(drsta)が"prativisayadhyavasaya"(SK5a)と定義されており,この知覚定義の解釈をめぐってSKに対する注釈書であるYuktidipika(ca.680-720,YD)とVacaspatimisra(10世紀)のSamkhyatattvakaumudi(STK)は多くの点で共通した見解を示している.両書とも"prativisayadhyavasaya"を"visayam visayam prati vartate"(各々の対象ごとに作用する)と解釈して「感覚器官」(indriya)と同置し,さらにまた翳質(tamas)が制圧されて純質(sattva)が優勢であるときに知覚が起こるとする点も共通している.そして,知覚定義における各語の存在意義に関しても同様の見解を示している.すなわち,"prati"は感覚器官と対象との接触(sannikarsa)を意味するため,"(prati)visaya"は疑惑知(sandeha/samsaya)を知覚から排除するため,"visaya"は非存在のものを知覚対象から排除するために用いられているとYDとSTKは見なしている.これらの点に加えて,認識結果(pramana-phala)を「認識手段(pramana)による<精神性たる能力>に対する裨益」(cetanasakter anugrahah)と見なしている点も共通している.しかし,ヨーガ行者の認識に関しては.YDが半ば強引な形で知覚に含めるのに対し,STKはその存在を認めつつもプラマーナの文脈で考察することを意図的に避けている.以上の点に加え,如上の見解が,現存する他のサーンキヤ文献に見受けられないという事実も勘案すれば,STKはYDの所説に単に追従するだけではなく,それを批判的に扱った上で発展的に継承していったのではないかという可能性が指摘されうる.

著者関連情報
© 2011 日本印度学仏教学会
前の記事 次の記事
feedback
Top