印度學佛教學研究
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経量部についての新視点
――ガンダーラ有部の研究を通して――
石田 一裕
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2011 年 59 巻 3 号 p. 1153-1157

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抄録

経量部についての研究はこれまで順調に進み,近年は初期瑜伽行派と経量部の関係が論じられるに至っているが,未だその全貌が明確になったとは言い難い状況である.そこで筆者は,本稿において経量部について従来とは異なる視点を提供することを目指した.経量部は,称友疏によって「経を量とし論を量としない人々,これが経量部である」と定義されるが,これは『倶舎論』世品の「我々は経を量とし,論を量とするものではない」という一文を起源とするものと考えられている.またこの一文がシュリータータに帰されるべきものであることもこれまでの研究で明らかにされた.しかし,経量部の定義の祖形ともいうべき後者の一文と類似する文言が,『倶舎論』智品に見出されることはそれほど注意が向けられていない.この一文は「たとえ論に違背しても経に違背しない方が優るのである」というものであり,論書よりも経典を重要視しているという点において,世品の記述と同じ思想背景を有していると考えられるのである.実は,この一文はガンダーラ有部の立場を示したものであり,『大毘婆沙論』から『倶舎論』に引き継がれたカシミール有部とガンダーラ有部との論争に現れるものである.それゆえガンダーラ有部と経量部は同一の思想背景をもつと考えられ,筆者はさらに経量部をガンダーラ有部の一派だと推測している.そしてこの視点を確保することで,これまで進められてきた経量部の起源に関する研究に新たな視座が開けると考えられるのだ.すなわち経量部の起源の候補である譬喩師や初期瑜伽行派がガンダーラという地に展開した学派であり,経量部は時にそれらの諸学派から学説を吸収し,また時にオリジナルの学説を生み出したのではなかろうか,というような推測が成立するのである.つまりこのように考えることで,経量部説のすべてを譬喩師や初期瑜伽行派にのみ帰する必要がなくなり,より建設的な議論が可能になるのである.本稿ではその第一歩として,経量部とガンダーラ有部の経重視の姿勢を考察し,経量部の定義およびその祖形と,ガンダーラ有部の立場との類似が見逃せないものであることを指摘した.

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© 2011 日本印度学仏教学会
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